冷や汗もののスピーチ2010/02/22 00:27

 土曜は教え子の結婚式が午後にあった。午前中空いていたので、国立博物館に「土偶展」を観に行った。礼服を着ていたがコートを着ていたのでそんな変なかっこうではなかったように思うが。

 国宝の土偶が一同に会するのは初めてだそうだ。よく知っている土偶の本物が観られるので、観に行くことにした。金曜にKさんが学校に寄って、土偶展に行ってきた、日曜までだから早く行った方がいいと言われたこともあるが。

 私が観たかったのは、一つは仮面土偶である。10年前、茅野の中ッ原遺跡から発掘された、仮面をつけた土偶で、私の仮面祭祀の授業でもまずこの仮面土偶の紹介から始まる。実は、この遺跡は私の山小屋の近くで、よく通るのだ。遺跡には発掘場所が再現されていて、レプリカが置いてある。まだ本物は観たことがない。今回やっと観ることができた。会場入り口のすぐのところにあって、やはり土偶のスターという扱いであった。

 同じ茅野から出土した、国宝縄文のビーナスも初めて本物を拝むことができた。同じ国宝の、合掌する土偶もなかなかいいものである。

 観て感じたことはやはりデフォルメのすごさで、このデフォルメは、縄文人の世界が、アニミズムの世界だったことを強く語っている。人間の身体のデフォメは、精霊の側で捉え返された身体であって、それは人の身体でありながら精霊の身体になっている、ということだろう。つまり、精霊が、縄文人にはよく見えていたということである。その姿形は間違いなく土偶の姿形だった。そう考えられる。

 今年、私の演習をとっている学生が、遠野物語のレポートを書くために、彼の車で、土日に遠野まで行って、河童を見たことがるあるかと遠野で聞き回ったという。高速の割引で往復2千円で行けたと言っていた。若いときに直接見たという人が2名ほどいたそうだ。見たという人を知っている、という割合は少なくなかった。

 現代でも河童という精霊を見たという人がいる。縄文時代は、むしろ精霊など見たことが無いという人の方が珍しいということになるだろう。

 午後は、皇居がよく見えるKKRホテルで結婚式。10年前の卒業生だが、卒業後も飲み会などでよく会っているので、呼ばれたのであるが、私に一言祝辞を述べて欲しいと頼まれた。軽い気持ちで引き受けたのだが、会場に来てみて、一言というような祝辞ではなく、乾杯前の新郎側と新婦側の祝辞で、けっこうきちんと話さなくてはならないことがわかった。会場で他の教え子から、先生の祝辞期待してますから、と言われ、これはやばいとあせってしまった。

 というのは、一言だから3分くらいで簡単に話せばいいやと思っていたのだ。インターネットで調べたが、結婚式の祝辞は3分くらいがいいと書いてあったので、そのつもりでいたのだが、どうもそういう祝辞とは違うようだ。

 最初に新郎側の祝辞があったが、新郎は国家公務員なので、上司のお役人が、いかにも官僚らしくよどみなく流暢に部下の仕事ぶりや、結婚生活のアドバイスを語る。10分くらい話していたのではないか。いやはこれはまずいぞと思い、直前にいろいろと何をしゃべろうかと考え、柳田国男の『妹の力』をネタにすることにした。

 『妹の力』の序で、柳田は近代の女性は、さかしさとけだかさを回復すべきだと述べているが、これがどういう意味なのかなかなか難しい。今日はこの女性の力を、おおらかさとやさしさというように読み替えてみたい。やさしさは、他者の痛みを自分の痛みとして受け止める力。だから、相手に気遣いができる。しかし、これが行き過ぎると相手は息苦しくなってしまう、そこでおおらかさが求められる。おおらかさとは、あいてが少しぐらい悲しんだり、痛がったりしても、一緒に痛がるのでなくそんなことたいしたことないと言って笑い飛ばしてしまう力。これは、優しさとは矛盾した力であるが、この両方を併せ持つことが必要で、この矛盾した二つを兼ね備えているのが女性の力ではないか。男にはこの二つを兼ね備えることは出来ない。

 というような話をして、新婦はこのやさしさとおおらかさの両方を兼ね備えた女性だと思うと、褒めてスピーチを終えた。何とか6分まで伸ばせた。とっさに考えた話だが、新婦の同級生には受けていたようだ。特に、司会の(たぶんプロの人)の女性が、気に入ったらしく、後の式の中でおおらかさとやさしさという言葉を繰り返していて、式が終わったとき、とてもよかったと褒められた。まあ、何とか恥をかかずにすんでよかったというところである。

 もう一つうれしいことは、教え子で、今源氏物語の研究者になっているSさんが隣の席だったことで、つまり、Sさんが新婦と同年代で友達だったということを初めて知ったのである。短大を出て、研究者になる学生はきわめて稀でその意味でもとても気にしていた。今日大で助教をやっているが、何とか専任になれるといいねというような話をした。

 当然だが、なかなか良い結婚式であった。新婦がとても明るいので、その雰囲気がよく出ていた。結婚式に招待されるのはうれしいのだが、スピーチというのはこれからは勘弁して欲しい。講義はさすがにもう冷や汗はかかないが、結婚式のスピーチは冷や汗ものである。

                         婚礼の祝辞をよそに春眺む

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