就活教育で悩む2014/08/19 23:44

 明日から中国である。二週間ほどで、ここ数年では長い方の日程である。暑い東京を離れるのは良いのだが、毎日中華料理ばかりで、体重が増えないか心配である。私の場合、体重を減らさないと健康面でかなりやばい。この二週間、毎日調査仲間と夜中国のビールを飲むことになるだろうが、それをどれだけ我慢出来るか、だが、無理だろうなあ。

 今日は出校で雑務。夏休みの真ん中でも仕事はある。これもいろんな役職に就いているためである。ただ、来週のオープンキャンパスは私は調査に行っているので出られない。一応学科長なので、心配は心配である。オープンキャンパス中にAO入試をやっているので。

 来年度は定員を減らすことになっている。従って、入れる側としては、入試も倍率を出せるので少しは良い学生を入れられるという意味で楽になるのだが、むろん入る側からは厳しくなる。しかしながら若年層の人口が減っていくばかりで、受験者も減り続けている。どうなることやらである。

 素晴らしいアイデアを出して受験者を集める、という努力をどの大学でもやっている。むろん成功しているのはごく一部だけであり、その成功例が脚光を浴びて、みんなが模範にする。が、うまくいかない。当たり前である。二番煎じが成功するほど甘くはない。

 結局、人口も経済も縮小していく情況のなかで、学生を集めて大学を活性化させるアイデアというのは、私の見るところ、ほとんど拡大経済成長路線でのモデルの踏襲でしかない。つまり、斬新なアイデアといっても、所詮は、競争社会を勝ち抜く戦略であって、グローバリズム化した社会のなかで、どう広範囲に売り込むか、という戦略でしかない。教育という名のそういった戦略なのである。

 国際化を名告り徹底した英語教育で有名になった大学や、内定率100パーセントで有名になった大学や、グローバリズムに対応した学部で学生を集めた大学とか、結局は、とりあえず資本主義が機能しているなかでの利益を優先的に獲得するための教育を行っている、ということである。

 資本主義に取り残された人々の生き方について考えたり、経済活動そのものが縮小していく資本主義のあり方を踏まえた教育、などというものは、競争の中では敗北主義でしかないから、何処の大学でも、異色な教員の授業では扱っても、大学のマネジメントや人材養成目的などというところからは無視される。

 特に私の勤める、一流ではない女子大学では、一流企業の正社員を目指せる学生は多くはない。むしろ、慎ましい生き方でいいので競争も厳しくない安定した職場で働きたいというのが大半だろう。それでいいと思う。むろん、世の中甘くはないからそうは思っても、厳しい社会の現実に晒されることにはなるだろう。でも、仕事に自己実現を賭ける、といった、一流企業を目ざす学生の誰もが描く自己像が、かつての拡大経済成長路線下のモデルとして作られたものであることは知った方がいいのだ。

 自己実現の方法もその目指す方向も実はたくさんあって、高額の収入がなくても、それなりに充実して生きている人は世の中に結構いる、ということを教える就活のための教育があってもいいのだが、残念ながら今の大学はそういう教育は出来ないのである。一流企業に何人内定者をだしたかが学生募集に響くからで、予備校の一流大学何人合格!というのと同じなのである。

 拡大成長路線に基づいた人材養成は一部の大学に任せて、持続可能な低成長経済に基づいた、それほどの収入がなくてもそれぞれの様々な形の幸福が可能であるような、多様な生き方を抱えた社会を作り、またそういう社会に積極的に生きようとする人材を作る大学があってもいい。そして、そういう大学に受験者がそれなりに集まることが理想あって、そういった理想を実現させるアイデアがあるといいのだが。

 実は、中国から帰ったら、後期の「キャリアデザイン演習」という就活のための学科の必修授業が待っている。この授業の進め方は私が細かに方針を出して、他の教員がその指示に従がうことになっている。が、その私が、就活のための教育って何なのだろうかと悩んでいるのである。この悩みそう簡単に解決しそうにもない。