歌の力で生きる2010/08/29 23:28

 今日は、オープンキャンパスで出校。AO入試の面談を行う。さすがに日本は暑い。返って来て、政局の混乱しているニュースを見る。日本の政治は混とんとしているようだ。

 18日に大理にはいり、19日は麗江の近くの鶴慶という町まで行き、そこで、以前取材した盲目の歌手に取材した。かれは、幼い時に失明し、父親から歌を教えられ、歌がとてもうまくなった。若い時は、村人から儀礼の時に歌い手として呼ばれ、生計をたてていたという。今の奥さんも、ある家に歌を歌いに行って、歌を掛け合い仲良くなって結婚したという。まさに歌の力によって、生きて来た人である。
 
 鶴慶では、観光地麗江のように売り出そうとして、街並みを麗江のように民族街風に整え、取材した歌手を演出家として雇い、彼を文化財として売り出していた。3年前に取材したときは農家の隠居ふうだったが、今はサングラスをかけ、長い髪を後ろで束ね、偉くかっこよくなっていた。私は、2時間近くインタビューして、彼の半生や、漢調の歌のことなどを聞き書きした。

 大理に戻り、E君達と合流し、白族の明時代の歌碑である「山花碑」について、地元の研究者に取材した。同行した大学院生のTさんや、E君も中国語が話せる。考えてみれば、中国語が話せないのは私一人である。どうも若い時から語学が不得意なので、いまだに中国語は上達しない。上達のこつは、間違ってもいいから、とにかくしゃべってみる積極性なのだが、その積極性に欠けるところが、最大の問題である。この歳になって語学向きに性格を変えるのはかなりきつい。というより無理である。だから、まあせめて読むくらいはできるようにと勉強はしている。

 大理に三泊した。洋人街は相変わらずだが、とにかく中国人の観光客が増えた。彼らはとにかくよくしゃべり、喧噪を好む。だから、洋人街もうるさくなった。麗江も喧噪の観光地になったが、大理もまたそうである。これも、時代の流れというものであろう。

 21日にバスで大理から昆明に。5時間もかからなかった。高速もそんなに渋滞していない。これならバスでくるんだと思ったが、実は、今は、日本から一日で麗江に行ける。成田から広州へ行き、広州で乗り継いで昆明に行くのだが、その昆明行きの便が実は麗江行きでもあったのだ。つまり、昆明に一時降りて、また麗江に行くのである。それに乗れば、昆明に泊まらずに麗江に行き、そこから大理に入った方が時間も費用も節約できた。新しい便のようだが、それを知らなかったことを後悔した。

 21日に、昆明に着き、この日に中国に入る学会の連中を出迎えた。雲南大学のホテルには大きなシンポジウムの垂れ幕が掲げてある。大理も昆明もとても涼しい。標高が二〇〇〇メートル近い高原の気候なのである。スケジュールはきついが涼しいので何とかついていけるところが、ここでの良さである。

                         自閉せる残暑の国に帰りけり

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