しょうがない公共性2014/05/01 00:24

 いよいよ明日から連休にはいる。29日は出校日で、1日、2日は振り替え休日で学校は一週間ほどの連休になる。毎日会議や学会でやすむことなくよく働いた。風邪もひかず今年は何とか倒れずに過ごしている。

 最近、医者のすすめもあって特に歩くことにしている。暇があれば歩き、通勤もなるべく遠い駅まで歩いてそこから電車に乗る。近頃は27分ほどかけてつつじヶ丘駅まで歩くことにしている。遠出もよくする。この間は、自宅から二子玉川駅まで歩いて行った。Ⅰ時間ちょっとかかる。野川沿いを歩き次大夫堀公園の先を左折し、国分寺崖線の丘陵を越えて仙川にでる。仙川沿いを下流に歩き、丸子川に出る。丸子側沿いを歩き岡本民家園の緑地を通り、そこから遊歩道に入り二子玉川駅にでるのである。このルートはほとんど遊歩道だけの道なので、緑も多くおすすめである。さすがに帰りはばててバスで成城学園前まで乗る。

 京王線芦花公園駅から小田急線の経堂駅まで歩いたこともある。芦花公園から環八を越えて烏川緑道に入る。この緑道沿いに歩いて行くと経堂近くの小田急線の線路をくぐる。この道もなかなか面白い。これからも暑さにめげず歩かなくては。

 柄谷行人『遊動論』読了。面白かった。柳田国男についての戸惑いをもある意味でクリアにぬぐってくれる。そういう意味では、柳田論の画期となるだろう。が、あまりに抽象的かつ理想的過ぎるので、『遊動論』を根拠に柳田を解読するにはまだ無理がある。

 『遊動論』の眼目は「先祖の話」の徹底した評価にあるだろう。稲作定住民を先祖という視点で定義づけた論とか、戦争をすすめた国家を肯定する論とか批判ばかりされるこの「先祖の話」を、互酬的な交換原理という視点から読み解く方法にはかなり驚かされた。ここには死者(先祖)との互酬的な交換が描かれているのであって、それは国家に抗する方法なのだと言い切る。この互酬的な交換の原理は、定住以前の「遊動」する共同体の原理であって、その原理が、「先祖信仰」という形で日本の農村に残っている。それを国家に抗する意図で回復しようとしたのが「先祖の話」だというのである。

 私はかつて「先祖の話」を新しい公共性の問題として読むべきである、と論じたことがある。が、それ以上には踏み込めなかった。死者(先祖)との関係論でもあるというところまでは指摘したが、それ以上のことは言え無かった。わたしたちの社会もわたしたち自身も自然や死者と分かちがたくある。が、それを積極的に評価すればノスタルジーやたんなる近代批判になる。一方、それらを切り捨て能動的な個人の自由な立場で創出する公共性に価値を置けば、かえって均質で遊びのない孤独な関係の社会を想定するしかない。

 柳田の言っていることは、先祖という死者を切り捨てて公共的空間を作れないということである。これはよくわかる。が、その切り捨てられない関係をどういう論理で説明するのか。宗教で語ってしまえば容易だが、それは論理ではない。が柄谷はあっさりと、「互酬的な交換」がそこにはあるのだと、論理化したのである。そうかそう言えばよかったんだ、と私などは目から鱗であった。

 が、批判はあろう。稲作定住民の先祖信仰を、定住以前の「遊動」的共同体における死者との関係と果たしてみなせるのかどうか。強引と言えば強引かもしれない。が、この方向での論理はそれほど間違っているとは思えない。私は、雲南省の少数民族の儀礼や神話を調査してきたが、そこに貫かれている原理は「互酬的な交換」であるからである。それについては『神話と自然 雲南少数民族の精神世界』で論じている。

 ただ、わたしたちが新しい公共性を作ろうとするとき、その遊動性をどのように取り込み、どう機能させるのか、と問題をたてられるのか、そこが肝心である。『遊動論』のすぐれたことろは、死者や自然をかかえこまない公共性はないのであって、それを抱え込んでいるとしても、それは自由を疎外する呪縛ではなく、むしろ、国家という大きな権力の束縛に抗する公共性たり得るのだと、論理的に説明できる道筋を明らかにしたことにあろう。が、それは、論理のかなり遠い先に道がないことはないという程度のことであって、今の公共性における例えば死者の問題をどう評価するのかと問うたとき、それほど役に立つわけではない。

 東日本大震災のとき多くの消防団員の方が殉職された。この人達の霊を国家が慰霊するとき、その行為を美化するだろう。国家とはそういうものである。そのことに違和を感じるのは、次の震災のとき、自らを犠牲にするのが美徳であるという暗黙の強制がそこに作られるからである。私たちは、自分の命を犠牲にしてまで人を救うことはないとは言え無い。韓国のフェリー沈没で、船長や乗組員が真っ先に逃げ出したことに誰もが怒ったことはわからないではない。が、それなら、彼らは全員殉職するべきだったのか。それも誰も言え無いことである。フクシマの原発事故のとき、現場で命を賭けていた人たちに暗黙に殉職を強いるように英雄扱いを露骨にしていた政治家を思い出す。例えば、政治家が戦死者を讃美するのは、次の戦争のときに若者にまたお国のために戦ってもらうためである。震災で殉職された方々を美化するとき、それと同じ心理がないとは言え無い。

 これは簡単に答えの出ない問題である。が言えるとすれば、みんなしょうがなく殉職したのだということだ。これは批判ではない。賛辞である。誰も、立派な自己犠牲の精神で人を救うために残ったのだというように言ってしまったら、それはかなり政治的匂いのする言説になる。が、それなら何故逃げなかったのだ、命を粗末にするべきでないという意見もでるだろ。が、人は、そういう立場に置かれたら逃げたくても逃げられないのだ。恐怖と戦いながら仕事を続ける。そういうものなのだ。それを「しょうがなく」と言ったまでである。ほとんどの戦死者も「しょうがなく」戦争にいった。それを、戦争に抵抗しなかった意志の弱い人間と批判は出来ない。

 わたしたちは公共性が必要だ。その公共性を維持するためにはなにがしかの自己犠牲がともなう場合があろう。そのとき、その犠牲を公共性のための犠牲として美化することには抵抗がある。が、犠牲そのものは避けられないというのもわかる。そういうときもある。そのとき、「しょうがない」と言える程度にとりあえずは公共性を肯定するくらいがちょうどいいのではないか。あまり、しゃかりきに公共性を主張して自己犠牲を讃美したくはない。かといって、沈む船から真っ先に逃げ出す船長のようではありたくない。その中間あたりで、公共性と向き合うということが落としどころだ。

 そして、生きている者も死者も適度な距離感でつきあえる社会が成立すれば、柄谷の言う、互酬的な交換を原理とする遊動的な社会が現れると思うのだ。

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