定常型社会を学ぶ2014/02/10 00:35

 入試が終わり、合格発表の準備等慌ただしい。今日は都知事選挙だが、朝から出校でそれどころではなかった。帰ってから寄ろうと思ったが雪道で断念。というより入れたい候補がなかったというのが本当のところだ。当選確実の出た候補者は特に投票したくなかったのだが、まあ当選だろうなあとは思ってた。対立候補の一本化が出来なかった時点で勝負はついていた。とにかく、コンクリートの公共工事に金を使うのではなく、福祉に金を使って欲しいが、どういう手腕を発揮するか。

 今、広井良典の本を読んでいる。『コミュニティを問い直す』はすでに読んだが、『定常型社会』(岩波新書)を読了。そして『グローバル定常型社会』(岩波書店)を読んでいるところだ。広井によれば、これから世界は経済規模を拡大していく成長路線の時代ではなく、一定の生産と消費の枠内で持続する社会を目指す「定常型社会」の時代になると述べる。発展途上国は経済成長路線を突き進むとしても、中国を含む人口の多い途上国国家はここ数十年で老人人口の割合が急激に増え、成長路線そのものが成り立たなくなるという。つまり、若年層の人口減少時代に突入し、そして全体的に人口減少時代になるというのだ。

 食料を増産する技術によって人口は爆発的に増える、というのはどうやら幻想らしい。確かに一時は増えるが、どの国家も老人の人口比が拡大するに従い、生産及び消費人口は減少していく。その最先端を突き進んでいるのが日本なのである。人口減少に入り始めた日本の経済が成長路線を取っても展望がないことは、松谷明彦・藤正巌『人口減少社会の設計』(中公新書)が解き明かしている。

 広井は、福祉社会の実現は環境問題とリンクさせるべきと説く。従来は、政府が市場経済に関与せず社会福祉にもあまり金を出さない保守派の小さな政府VS福祉を政府が支える社会民主派の大きな政府派の対立構図だったが、この対立は、実は、両方とも経済成長路線そのものを肯定しているという意味で、それほどの違いはない、という。むしろ、これからは、経済成長路線派VS一定の規模の経済のままの持続的社会を目指す定常型社会派の対立になるべきで、環境問題の解決は、定常型社会によってしか解決出来ず、その定常型社会における福祉のあり方を考えて行くべきだというのである。

 これらの本を読むと、アベノミクスは時代に逆行した政策だということがよくわかる。アベノミクスの本質は、格差社会に目をつぶることで、一部富裕層の利益を確保しようということであろう。確かに経済は好調に見えるが、大企業だけが潤い、中小企業の経営は相変わらず苦しい。雇用も派遣法の改正でますます正社員の割合を減らそうとしている。給与が安くても、労働時間を減らし、相互互助的な社会の仕組みがあれば、人は安価に幸福な生活が出来る。が、アベノミクスがやろうとしていることは、派遣労働を増やし、給与をあげるために、多くの企業をブラック化して労働時間を増やそうとしているだけなのだ。そして、その不満をそらすために、外敵を作り愛国心を訴える、という中国と同じやり方をしている、というわけだ。つまり、表面的に景気を良くして、一部を除いて大多数が不幸だと感じる社会を作ろうとしている、ということになる。

 大多数の人がそこそこ幸福を感じる「定常型社会」の実現はかなり困難だとは思うが、グローバル資本主義の落としどころはその辺りにしかないということは言えそうだ。