センター入試終わる2014/01/19 23:02

 センター試験終わる。毎年恒例だが、何とか事故もなく終了。私は今年は一日目の試験場責任者。とりあえずほっとした。

 金曜は休校日だったのでウォーキングをかねて多摩川まで散歩。狛江近くの多摩川沿いにある万葉歌碑まで歩いて行った。案外に近く40分かからなかった。歌はあの「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき」。オノマトペを巧みに盛り込んだ良い歌である。万葉を教えている者としてやっと地元の歌碑を見に行ったというわけだ。もっとも、どうしてこの場所に歌碑があるのかはよくわからない。この歌からすれば多摩川沿いならどこでもいいという気がする。当時は布を晒していた場所ということだろうが、今となっては何処か分からない。この歌碑は江戸時代に猪方村というところに建てられたものだが、洪水でながされ現在の地に再建されたという。

 イザベラ・バードの『中国奥地紀行Ⅰ』を読了。なかなか読み応えがあった。揚子江を海のほうから船で四川省まで遡る記録である。ジャンクと呼ばれる平底の船をチャーターして上流に向かって行く。それにしてもイザベラ・バード女史の冒険心は並ではない。その覚悟もすごい。1900年前後の中国にはすでにイギリスの居留地があちこちあり、欧米人は中国人の憎悪の対象になっている。特に白人女性に対する偏見がひどく、女史は途中の街で何度も暴徒化した街の人たちに襲われ命を奪われそうになっている。それでもめげずに奥地にすすむその精神力はすごいというしかない。奥地には宣教師がたいていはいっているが、女史の場合は、宗教的使命というものではない。未知の世界への探究心であって、植民地時代における欧米人の冒険心とはすごいものだと思わされる。

 それにしてもこの『中国奥地紀行』は中国語に翻訳されても中国人は決して読まないだろう。読んだら、余りに中国人への悪口が多いことに嫌悪するだろう。とにかく、最初から最後までジャンクを動かす曳夫や途中の街で出逢う役人や労働者への、その不潔さや武知名振る舞いに対する文句に満ちている本なのだ。むろん、褒めているところもあるが、それはほんの僅かである。自分たちの国を植民地化しようとしている英国の婦人が同じ神の子であるとは思えないとまで悪口を言うのであるから、この本を中国人が読んだら激怒するだろう。

 それに対して『日本奥地紀行』はたいていの日本人は読んで心地よくなるような本である。今は失ってしまった純朴な日本人の姿が美しく描かれているからだ。その違いは何だろうと思ったのだが、やはり、日本は当時の揚子江流域に住む中国人たちと比べたら、自然環境も良く、物質的に豊かとは言えないまでも、閉鎖的ななかで幸福にくらしていたのだと思われる。

 揚子江流域の人々の過酷な暮らしだけはこの本からよく伝わってくる。特に、揚子江を往き来する何千艘ものジャンクをロープで引く曳夫たちの労働はこの本の一番の読みどころである。長江には急流が幾つもある。上る船には大きな船だと400人の曳夫がロープで引くのである。当然崖地で足場が悪い。足を滑らして死ぬ者もいる。また船のなかでもやはり曳夫が棹で操船するが、これもまた危険な仕事でやはり急流に落ちてしまう者がいる。

 長江の物流をささえるすさまじい曳夫たちの働きぶりに私は感動さえしてしまったくらいだ。女史もまたそういうまなざしを向けてはいるが、やはり、彼らの不衛生で無知な面のほうが目立つように描かれる。そこには欧米人の人種的偏見がないとはいえないだろう。明治に日本に来た欧米人の描く日本人の純朴さは、欧米人もかつてもっていたが、産業革命で彼らが失ってしまったものであるという(渡辺京二『逝きし世の面影』)。だからノスタルジックに描くのだが、とすれば、中国人の不衛生だがエネルギッシュに生きる姿を、驚きながらも汚いものを見るような目で語るのは、中国を植民地化した欧米人の複雑な心理が働いているからかも知れない。

 金曜から今日まで、小説を一冊、新書を二冊読んだ。それらについては次に。