樹木としての神社2013/11/28 00:27

 環境文化論の授業は、神社がテーマで、時折神社巡りをするのだが、近くの神社へ行こうということになり、学生と赤坂の日枝神社に行って来た。この日枝神社、もともとは、京都の比叡山の神を、江戸城の鎮守の神として招聘したもので、かつては江戸城に祭っていたが、庶民にもお参りが出来るようにと、五代将軍綱吉の時に現在の地に移されたということだ。要するに、江戸の鎮守である。

 千代田線の国会議事堂前で降りて、山王タワービルから地上に出るとすぐ。神社は小高い丘になっているその頂上にある。行って驚いたが、まず、長い専用エスカレーターがあって、階段を登らなくてもいい。この神社そうとう金がある。周囲は、ビルばかりだが、それでも、鎮守の森は少しばかり残っている。エスカレーターで上がって行くと、巨大なクスノキがある。やっぱり、神社はクスノキだ、ということがここでも確認出来る。周囲の樹木もほとんどが照葉樹林である。

 この授業、環境というテーマで神社を扱うのだが、なかなか難しい。やはり、ポイントは樹木なのだろうと思っている。神社の立地は、里と自然(森もしくは川や海)の境界である。つまり、生活圏と神の領域の接点ということだが、それは、そのどちらにも属するということになる。神社の背後に残る鎮守の森は、神の領域との接点を言わば人為的に残した空間ということになろう。この神社の性格を最も象徴的に体現するのが樹木ということになる。

 樹木は、それ自体神の依り代であり、自然そのものであるが、一方で、建材用の柱になる。つまり、伐採され加工される。ところが、この伐採され加工されることを、神社が象徴する日本の自然宗教文化は必ずしも禁じているわけではない。むしろ、伐採され、加工されても、その聖なる性格は失われない。それを最も象徴するのが、伊勢神宮の「心の御柱」である。「心の御柱」はそれ自体神の宿る樹木と同じ意味合いをもつが、その形状は、伐採され柱として加工されたものである。

 伊勢の式年遷宮の祭りは、ほとんどこの樹木を巡る祭りと言ってよい。先ず神殿用の木材の伐採時に、山の神の許しを請う「山口祭」、それから、「心の御柱」の樹木の伐採の許しを請う「木本祭」から始まり、伐採した樹木を運ぶ祭りがあり、加工された用材を今度は建物として組み立てるときの地鎮祭や、上棟祭がある。注目すべきは、伐採された樹木はその聖性を失わないということだ。あたかも神であるごとく扱われるのである。

 諏訪の御柱もそうである。やはり、伐採時に祭りが行われ、樹木は皮を剥がされるが、だからといって聖性を失う訳ではない。柱自体が神として人々に引かれていくのてある。伐採され加工されても聖性を失わない樹木は、神の領域と人の領域との両方に属す性格をもつものである。

 神事に使われる榊も、もともとは、神域にあった照葉樹の総称で「栄木」と呼ばれたが、後に「榊」という字(造字)になったと言われている。その意味では、榊は、神の領域にあった樹木が人の領域で記号的に再現されたものと言える。

 神社が樹木にこだわるのは、神社そのものが樹木みたいなものだからだ。もともと、神の降りる場所でしかないものが神社である。抽象化すれば神の宿る樹木もまた同じようなものだ。言わば加工材にも聖性を感じるアニミズム文化があるから、神社が日本のあちこちにある、ということではないか。

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