「恋するフォーチュンクッキー」がいいね2013/11/09 00:36

 ようやく原稿を書き終える。締め切りは過ぎたが、何とか間に合ったというところだ。タイトルは「柳田国男と教科書」だが、苦労した。教科書のことなど余り考えたことなどなかったので、資料集めにも苦労した。今、卒業期の学生に卒業レポートの指導をしているのだが、こちらが指導して欲しい位であった。

 柳田は昭和初期から教科書には批判的だった。だが、戦後、教科書作りに参加出来るとなると、むしろ積極的に参加する。柳田の教育論を実践する絶好の機会だと考えたのだろうが、しかし、それだけではない、そこには柳田の教育論に内在する問題に起因する、というのが論旨なのであるが、字数の問題と、時間がないこともあって資料を丹念に調べられなかったのが心残り。まあ、でも何とか責任は果たした形だ。

 私の著作『神話と自然宗教(アニミズム) 中国雲南省少数民族の精神世界』(三弥井書店)が出版される。表紙のデザインの評判がいい。写真は私が撮ったもので、担当のYさんがいろいろ頑張ってくれた。少数民族の神話や祭祀の調査記録だが、私の思い入れがはいった文章なので、アカデミックな本ではない。読みやすいという声がある。これで何とか雲南省の人たちに少しは、恩返しが出来たのではないかと思っている。そのためにも、出来れば中国語に訳して中国で出版したい。出来ればだが。

 今度の日曜日に学生を連れて日帰りで伊勢神宮に行く予定なのだが、どうも天気が荒れそうだ。どうなることやら心配である。

 最近、AKBの「恋するフォーチュンクッキー」のyoutube動画をよく見る。特に、一般の人たちが作ったバージョンが面白くてついつい見てしまう。神奈川県バージョンが有名になったが、タクシー会社のもなかなか面白いし、インドネシアの外国語バージョンも楽しそうだ。この歌、聞いているうちになじんでくるというか、耳に残る歌だ。シンプルで、歌詞も元気がでる。踊りも面白い。うちの短大のバージョンを作って投稿すれば良かったと、つい思ってしまった。もう遅いだろうが。けっこう大学バージョンもある。でもそうすると私も踊らなきゃならんのだろうな。神奈川県の県知事も踊っていたし。

 私も学生たちを元気づけたいといつも考えているのである。それが仕事だということなのだが、そうかみんなで踊るのもありなんだと、この「恋するフォーチュンクッキー」動画をみて教えられた。

式年遷宮とおかげ犬2013/11/12 00:17

 日曜日、日帰りで学生を連れて伊勢神宮に行って来た。みんなに日帰りは無理だと言われたのだが、何とか行って帰ってきた。でも、はらはらする旅行であった。

 7時50分発の新幹線でまず名古屋に。6分の乗り換え時間で名古屋から関西本線の「快速みえ3号」に乗り換え、伊勢市へ。11時10分に伊勢市に着く予定だった。不安は6分の乗り換え時間である。遠いところかに来る学生もいるのでなるべくぎりぎりの新幹線にのることにしたのだが、これがまずかった。まず茨城の地震の影響で1分遅れる。このくらい大丈夫だろうと思っていたが、静岡でストップし動かなくなった。浜松で不発弾処理をしているので停車しますとのこと。これで乗り換えはあきらめた。次の快速は一時間後、不発弾処理は一時間かかるという。が、何とか30分停車で動き出し、一時間遅れの快速で伊勢市に向かうことが出来た。

 伊勢市着12時20分。「みえ何号」というこの快速10分ほど遅れることがわかる。単線なので、信号待ちが多く、時刻表通りに行かないということらしい。帰りもこの快速なのである。名古屋での新幹線の乗り換え時間が8分である。つまり、予約していた新幹線に間に合わないおそれがあることがわかった。

 天気は晴れ。前日まで、10日は、荒れ模様の天気、雨で雷も伴うなどと予報がされていたので、覚悟してきたが、なんと天気は良いではないか。早速、外宮に参拝。すごい人である。正宮はまだ新旧揃っている。両方見られるのは20年に一度だけである。さすがに旧い方の茅葺きの屋根は苔むしている。式年遷宮をする理由がよくわかる。やらないと朽ち果ててしまうからである。

 一時間ほどで参拝を終わりタクシーで内宮へ。1500円ほど。こっちも人が多い。江戸時代の参拝もこんな感じだったのだろうなどと思いながら人に押されて伊勢参りである。内宮の旧い正宮は見えないのが残念。何故、内宮をこの地に立てたのか。やはり五十鈴川が境界的な役割を果たしているからだろう。そのことがよくわかる。外宮には川がない。人工的に作った水路があって橋がかかっているが、あれは防災用だということだ。しかし、内宮の背後の山は外宮よりすごい。さて、こちらも一時間ほどで参拝が終わる。これだけ人がいて押されるように動くとゆっくり見てもいられないのである。時間が余ってしまった。3時前には参拝が終わる。おかげ横丁にもいったが、ここもすごい人混みでゆっくり見ていることもままならない。赤福の本店で赤福を買い、ぜんざいを食べるのが唯一の休憩。

 結局四時には伊勢市に戻ってしまった。4時22分の快速「みえ」で名古屋へ。6時5分着で、6時30分の新幹線に予約を切り替え、それで東京に。8時10分東京着。着いたら、浜松町で人が電車に接触したとかで山手線が止まっている。この日はどこまでも事故がつきまとう。が、何とか学生も私も家にたどりつくことが出来た。ふりかえれば、疲れたが、余裕のある日帰り参拝であった。

 おかげ横町で、かわいらしい「おかげ犬」があったので買い求める。「おかげ犬」とは主人の代わりにおかげ参りした犬のこと。

 授業では、どうして直ぐに朽ち果てる倉庫のような建物を建てたのかの講義をした。あの神明造りは、所謂掘っ立て小屋のようなもので、起源はアジア稲作地帯の様式。柱の下に土台を置かず地中に埋めるので掘っ立て小屋と同じ建築様式なのである。日本に伝わったのは弥生時代で、おそらく穀物倉庫とした使われたのだろう。が、穀物に穀霊が宿るから聖なる倉庫という見方もあったかも知れない。日本の神社は元々仮宮であって、恒久的な構造物を建てる発想がなかった。が、天武、持統朝に、日本的なるものが模索され始める。古事記もその一つ。伊勢のアマテラスを祭る建物も、日本的でしかも仏教の恒久的な寺院建築に対抗し得るものとして、どんな建物が良いか考えられ、たぶん掘っ立て小屋のように立っていた仮宮程度の高床式の構造物を、より洗練させて、神社の構造物にしたのだと思われる。より素朴でシンプルで自然的である、という美意識もあったであろう。

 が、問題は直ぐに朽ち果てるという問題をどう解決するかだ。そこで考え出されたのが定期的に建て替えるということである。そうやって、寺院建築の恒久性に対抗しようとした、ということだろう。生命の更新などというのは後から考え出された意味付与である。神明造りの神社は、自然に近い構造物なので、自然に帰りやすい。だから、建て替えるのであって、それは生命の更新では無くて、自然的な建造物の自然への回帰を防ぐ矛盾した行為の連続なのである。

 立て替えの用材を切り出すために、鎌倉時代には木曽の山奥に用材を求めなければならなくなつたという。式年遷宮はそれほど自然に負荷を掛けるのである。最初の式年遷宮の儀礼が「山口祭」なのは象徴的だ。山の神に木を切るこの許しを請い怒りをあらかじめ鎮める儀礼である。

 だから、構造物などない本来の聖地の発想からすれば、式年遷宮など実に無駄なことをやっているわけである。が、そこに意味があるとすれば、われわれの生活は、その無駄の連続の上に成り立っているということだ。自然にちかいことをどこかで理想としながら、自然に帰ることを拒否して生きている。つまり、式年遷宮をわれわれの生活というレベルでみんな行っている。そう考えれば、式年遷宮はわれわれの矛盾したありかたそのものなのである。

就活のアドバイスというわけではないが…2013/11/22 00:13

 論文を書き終わり、授業も進み、今は秋入試という具合で、時間が容赦なく動いていく。山小屋に行く暇もなくて、自宅と学校の往復の毎日である。学科の就職内定率あげるにはどうしたらいいかとか、志願者を増やすにはどうしたらいいかとか、そういうことばかりに頭を使っている。実は、少しばかり内定率も志願者も昨年よりは増えている。が、少しであって、大した数ではない。何処の大学・短大も頭を絞ってアイデアを考えているのだと思うが、そう簡単に浮かぶわけでもない。

 内定が早く決まる学生と決まらない学生の差ははっきりしている。人と接することへの積極性や元気の差である。わが学科の英語コースの内定率はかなり高いが、日本文学コースの学生の内定率が低い。この差はそういう差である。それは語学を学びたい学生と文学を学びたい学生との差でもあろう。文学を学ぶのに人と元気よく接する能力に長ける必要はないが、語学は、そういう能力がやはり必要である。その差が就活に現れてしまうのだ。

 だから、日本文学専攻の学生をどう元気づけてモチベーションを高めるか、これが目下の課題なのだが、なかなか難しい。この時期、未内定の学生は心が折れかかっていて、呼び出しても来てくれない。みんなでお茶会やろうよとかあの手この手で来てもらって話す機会を作っているが、いやはや就活支援がこんなに大変とは、就職進路課の苦労がよくわかった。

 三年前の日本文学コースの卒業生が賞をもらって本をだした。ファンタジー系の本だが、こういう進路もある。沙藤菫という作家名で、「彷徨う勇者魔王に花」という作品が「第9回C・NOVELS特別賞」を受賞し、本が出版された。誰もが作家になれる訳ではないが、内定をもらうかどうかという二者択一的な進路とは違う、もっと多様な進路デザインがもってあっていいと思うのだ。例えば、最近、女性の職人が増えているという。あるいは、農業に飛び込む女性もいる。正社員じゃなくても、前向きに、手に職ではないが、何かの技術を持つために自分を磨き上げていくような進路ならば、なとんかなるものだと思う。今の時代、フリーターの一言で多様な将来の選択肢が否定されてしまうのが残念だ。

 むろん、正社員になってその上で好きなことをするのもありだ。特に何かをしたいというわけではないのですが、と相談されたら、まずはそれをすすめるだろう。なれるなら正社員になれ、が賢明な選択である。が、正社員以外の選択肢のない未来はやはり寂しい。まだ短大生なのだから、時間はたくさんあるのだ。

 わたし個人は学生運動やっていこともあり、まともに就職できず、何度も職業を変えた経験者なので、就職について語る資格はないのだが、学歴を問わない仕事をこなしてきたし、前向きになれば世の中何とか生きて行けるという程度のアドバイスは出来る。

 日本は今格差社会になりつつあるが、アメリカや中国ほどはひどくはない。だから、まだまだやりたいことをやれる機会はある社会である。20代は、苦労しても自分の得意技(技術・知識)を手にすることをすすめる。正社員になれたら、それはそれでいいが、そでも、得意技は習得していておいたほうがいい。

 私はどんな仕事でも、どこかに自分がおもしろがれる要素があれば、その仕事に夢中になれる。意外なところに楽しみを見出して仕事ができる、というのも一つの能力である。とりあえず仕事をみつけ、その仕事を楽しみながら、得意技を磨こう。その仕事ずっと続けられる保証などないのが、今の社会の現実でもあるから。

樹木としての神社2013/11/28 00:27

 環境文化論の授業は、神社がテーマで、時折神社巡りをするのだが、近くの神社へ行こうということになり、学生と赤坂の日枝神社に行って来た。この日枝神社、もともとは、京都の比叡山の神を、江戸城の鎮守の神として招聘したもので、かつては江戸城に祭っていたが、庶民にもお参りが出来るようにと、五代将軍綱吉の時に現在の地に移されたということだ。要するに、江戸の鎮守である。

 千代田線の国会議事堂前で降りて、山王タワービルから地上に出るとすぐ。神社は小高い丘になっているその頂上にある。行って驚いたが、まず、長い専用エスカレーターがあって、階段を登らなくてもいい。この神社そうとう金がある。周囲は、ビルばかりだが、それでも、鎮守の森は少しばかり残っている。エスカレーターで上がって行くと、巨大なクスノキがある。やっぱり、神社はクスノキだ、ということがここでも確認出来る。周囲の樹木もほとんどが照葉樹林である。

 この授業、環境というテーマで神社を扱うのだが、なかなか難しい。やはり、ポイントは樹木なのだろうと思っている。神社の立地は、里と自然(森もしくは川や海)の境界である。つまり、生活圏と神の領域の接点ということだが、それは、そのどちらにも属するということになる。神社の背後に残る鎮守の森は、神の領域との接点を言わば人為的に残した空間ということになろう。この神社の性格を最も象徴的に体現するのが樹木ということになる。

 樹木は、それ自体神の依り代であり、自然そのものであるが、一方で、建材用の柱になる。つまり、伐採され加工される。ところが、この伐採され加工されることを、神社が象徴する日本の自然宗教文化は必ずしも禁じているわけではない。むしろ、伐採され、加工されても、その聖なる性格は失われない。それを最も象徴するのが、伊勢神宮の「心の御柱」である。「心の御柱」はそれ自体神の宿る樹木と同じ意味合いをもつが、その形状は、伐採され柱として加工されたものである。

 伊勢の式年遷宮の祭りは、ほとんどこの樹木を巡る祭りと言ってよい。先ず神殿用の木材の伐採時に、山の神の許しを請う「山口祭」、それから、「心の御柱」の樹木の伐採の許しを請う「木本祭」から始まり、伐採した樹木を運ぶ祭りがあり、加工された用材を今度は建物として組み立てるときの地鎮祭や、上棟祭がある。注目すべきは、伐採された樹木はその聖性を失わないということだ。あたかも神であるごとく扱われるのである。

 諏訪の御柱もそうである。やはり、伐採時に祭りが行われ、樹木は皮を剥がされるが、だからといって聖性を失う訳ではない。柱自体が神として人々に引かれていくのてある。伐採され加工されても聖性を失わない樹木は、神の領域と人の領域との両方に属す性格をもつものである。

 神事に使われる榊も、もともとは、神域にあった照葉樹の総称で「栄木」と呼ばれたが、後に「榊」という字(造字)になったと言われている。その意味では、榊は、神の領域にあった樹木が人の領域で記号的に再現されたものと言える。

 神社が樹木にこだわるのは、神社そのものが樹木みたいなものだからだ。もともと、神の降りる場所でしかないものが神社である。抽象化すれば神の宿る樹木もまた同じようなものだ。言わば加工材にも聖性を感じるアニミズム文化があるから、神社が日本のあちこちにある、ということではないか。