『驚きの介護民俗学』はお薦め2012/03/23 00:30

 二冊の本を読んだ。山崎正和『世界文明史の試み 神話と舞踊』(中央公論社)、六車由実『驚きの介護民俗学』(医学書院)である。『世界文明史の試み』は分厚い本で、期待して読んだが期待はずれ。やっぱりかという感じ。身体論という視座から世界史をどうやって料理するのか楽しみしたのだが、雑ぱくすぎて、身体論の視座が伝わってこない。「する」と「ある」という二つの存在の仕方に世界史を分類するという方法なのだが、これも、分類のための分類になっていて、そう分類したことで世界史が違って見える、という感動がない。これは読まなくても良かった本である。

 六車由実の『驚きの介護民俗学』は、送っていただいた本だが、こちらはむしろ感動した本である。雑誌やウェブで連載していた時から読んでいたが、一冊の本になると、また違った印象で読める。

 六車さんは民俗学者。『神、人を喰う』という奇抜なタイトルの、人身御供に関する本でサントリー文芸賞をもらった。昔からの知り合いである。大学の教員を辞め、現在介護の資格をとって介護の仕事をしている。だが、やはり民俗学者で、介護をしながら、老人達の聞き書きをし、それを仕事にいかしながら、かつ新たな学問領域にまで高めてしまった。その成果がこの『驚きの介護民俗学』である。

 宮本常一の『忘れられた日本人』を、介護の現場で実践したと言えば、そういうことに近いが、しかし介護の現場でそれを実践することは、民俗学者がフィールドするのとはまつたく意味合いが違ってくる。それでも、やはり、そこには「語り」の驚くような面白さがある。とにかく、『忘れられた日本人』が示した生活者の「語り」の豊かさを、また再発見した本だと言ってもいいだろう。

 老人の「語り」を伝える民俗学の本であると言ってもいいが、それ以上に介護の実践の報告書であり立派な介護論にもなっている。あるいは、人は何故「語る」のか、という、従来の「語り」論では見えなかった「語り」の様相が見える本でもある。広く文学研究者にも読んで欲しい本である。読み出すとあっと言う間に読めてしまう本であるが、様々な学問が交錯しているという意味で、いろいろと考えさせる。

 正直、私は『神、人を喰う』よりこっちの本の方が優れていると思う。『驚きの介護民俗学』の方は、著者が全身全霊で対象にぶつかって書いているところが伝わってくるし、ここからいろんな方向に向かっていきそうな知的好奇心にも満ちあふれている。何より、「介護民俗学」という誰にも思いつかなかった領域を創り上げた、その興奮が伝わってくる。民俗学者が介護という現場に出会ったというより、この本を書かせるために介護の現場が六車さんを呼び寄せた、ということではないのか。そう思わせる本である。

 とにかく、老人たちの話が面白い。たぶん私の親の世代の人生の物語である。こういってはなんだが、ここに出てくる老人に負けないくらい、私の親も波瀾万丈の人生を送っている。六車さんに出会って話が出来たら六車さんはとても喜んだろうにと思う。

 この本の中で、「何処の町に住んでいる」と必ず最初に聞くおばあさんの話が出てくる。そうやって必ず同じ言葉を儀式のように繰り返すことが、このおばあさんにとっては意味があるのだと書いているが、私は、ふと、昔、川越のある病院の待合室で、見知らぬ同士の二人のおばあさんが互いに話を始めた光景を思い出した。一人が相手に「何処の町に住んでいる?」とまず声を掛けたのである。何処何処の町だと答える。親戚の誰々がヨメに言っているのだが、知らないか、とまた尋ねる。知らないと答えると、今度は誰々がいるかと聞く。何人か目にその人は知っていると返事が返ると、突然、二人の会話は活発になり、二人の接点となった人物を介して、様々な話題が飛び交うのだ。私はそれを近くの席で聴きながら、こうやって他者同士が情報を交換し、接点を見出して、語り合う関係になっていくのだと、なんだか妙に感動した。その始まりが「何処の町に住んでいる?」という言葉であった。この言葉なかなかのものなのである。

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