吉本逝く2012/03/17 11:11

 15日卒業式、16日卒業パーティ。昨年は震災で中止だったから、予定通り行われることの貴重さを実感という感じである。いつものように、ディズニーホテルだが、今年は、ディズニーシーのホテルミラコスタ。いつものように、ミッキーやドナルドがやって来てみんなと記念撮影。私など毎年、ミッキーと握手している。ちなみに、うちのチビは、私どもにもらわれる前、ボランティアの人にミーニーちゃんと呼ばれていた。うちではミーニーは呼びづらいので、別の名前にしようということになったが、思いつく前にチビ、チビと言っていたのがそのまま名前になってしまった。だから、卒業パーティにミーニーちゃんが来る度にチビのことを思い出す。

 家に帰ったら、吉本隆明の訃報が報じられる。ついに亡くなったか、という思い。糖尿病でかなり悪いと聞いていたし、歳も歳だからそのうち、と思ってはいた。それにしても長生きしたのではないかと思う。本屋にはいつも新刊が並んでいた。そのこともスゴイと思う。私の本棚には吉本隆明の本が何冊あるだろう。数えたことはないが、ほぼ揃っているのではないか。五十冊は間違いなく越えている。百冊近くなるかもしれない。

 ただ、最近書く本はかつての繰り返しだから余り買ってはいない。私は、よく人から吉本主義者と言われる。自分では余りそう思ってはいないが、ただ、ものの考え方とか、論理の構成の仕方とか、知識に対する態度とか、ほとんど吉本隆明の本を読んで身につけたようなものだから、そう呼ばれても仕方がないだろう。

 だから何を学んだのかと具体的に聞かれると上手く答えられない。一つあげるとすれば、知識を学んでも、いわゆる知識人になってはいけないという、屈折した身の処し方を教えられたということだろうか。吉本は知識の普遍性を信じたが、知識人の普遍性を否定した人である。そこに大学の教員にならなかった理由があろう。

 その根拠として「大衆の原像」という言い方をしたが、いわゆる大衆に価値を置いたの
ではなく、知識は常に生活者の側から相対化されるべきだという考え方である。知識の普遍性が、生活の側でどう活きられるのか、という問い方は、柳田国男を除いて、日本の知識人は余りしてこなかったと思うのだ。この教えは、私の骨身にしみている。幸いなことに、私は、偉い知識人と言えるほど頭もいいわけではないし優れた仕事もしていないので、そんなに悩むことなどないのだが、結局、これは、近代以降のするどい知識人批判であったし、現在の日本の思想が、百花繚乱であっても、生活の側からほとんどスルーされてしまう現状への批判でもあろう。

 今度の原発問題でも、科学への進歩というものは決して退歩しない、原子を取り出す技術を得てしまった以上、それに見合う最大限の努力で安全性を担保していくしかないのだ、と一貫して論じていたのはさすが吉本らしかった。

 ただ、私が吉本の思想にやや違和感があったとすれば、それは個をめぐる問題である。吉本の言う、「自己表出」も「共同幻想」も、結局は、個の価値を基盤にすえたものである。私のように古代を専門とするものにとって、個は曖昧なものである。むしろ、人間の共同的なあり方の中に人間のリアリティというものを見つめる。だから、「自己表出」は、万葉集や、神話などの表出を、文学として置き換えて論じていくときにはあまりうまくいかない方法概念だった。

 吉本が個に普遍性を置くのは、人間は(あるいは歴史は)普遍的な場所を目指すものだという信念があるからだろう。ある意味ではヘーゲル的な段階論を使った論理展開をしていた。つまり、人間は共同的に生きる段階から個的に生きる段階へと進むものだという認識の仕方である。それを否定するものではないが、そう簡単にはすすまないのもまた人間であり、人間の社会である。そして、その上手くいかないところが、私の研究領域なのである。

 いずれにしろ、戦後を象徴した吉本さんの死は、間違い無く、一つの時代の終わりを意味しているのだろう。が、そうであるにもかかわらず、日本の思想の現状は相変わらずだなあと思う。何が相変わらずなのかはうまく言えないのだが。  

逝きし人春の揺らぎに何想う