最初の一押し2012/03/08 00:54

 今日は勤め先のFD研修会があり、出席。自己発見のグループワーキングのプログラムを、教員が実際にやってみる、という研修である。本来は、企業の新人研修とか、学生の就活支援プログラムの一貫として行われるものてある。私は、昨年、他大学へ研修で行っているので、内容は知っているのだが、FD委員ということもあり参加した。

 40名ほどの参加者がいた。中には半ば強制で出席させられた教員もいたようだ。いろんな方式による自己紹介や、課題をみんなで解決するグループワーキングなど、実際に始まってみると、学生気分になれてみんな盛り上がっていた。学校の中でもあまり話したこともない先生と自己紹介したりするのは、恥ずかしいが、知り合いになれたという意味では良い機会だった。

 終わっての懇親会では、酒を飲みながらだが、ある先生の意外な面を知ることが出来た。鶴岡八幡宮で正月に神楽を舞っている、というのだ。それももう二〇年も。むろん、そういうこととは全く縁のない別の専門の先生である。授業で神楽を教えている身としては、大変興味をそそられた。一度学校で神楽をやってよと注文をした。別の先生は、すぐ近くに住んでいて、野川沿いを犬の散歩で歩くという。ということは、私と、出会っているかも知れないということだ。いつも会議で一緒だが、こういう話をしたことがなかったので、なかなか楽しかった。

 『銃・病原菌・鉄』読了。それほど刺激的という本ではないが、いろいろ勉強にはなった。結局、人類の間の、文明の不均衡発展は何が原因かを追求した書、ということになろうか。結論としては、たまたま、発展した文明を持った人類が、他の発展しなかった人類より、地理的、環境的諸条件に恵まれていただけ、ということになる。つまり、ある人種が優秀だからでもなく、また、これが肝要だが、発展段階的に文明は進歩していくという法則があるから、ということでもない、ということだ。要するに、たまたま恵まれたある条件下に存在した偶然性が、食料生産を増やし、人口を増やすことで、「銃・病原菌・鉄」を生みだし、そのことが、他の条件に恵まれなかった他の人類に圧倒的に差を付けることになった。その始まりは、だいたい1万3千年前頃、だというのである。

 その恵まれた条件はユーラシア大陸にあり、チグリス、ユーフラテスの肥沃な三日月地帯、中国にあったという。

 この本で教えられたのは家畜の重要さである。ユーラシア大陸が何故他大陸より優れたのか、というとそれは家畜を持ったからだという。家畜を飼う飼わないは、食料の供給に大きな差がでる。また、戦争の仕方にも影響をあたえる。例えば、スペインがインカ帝国を滅ぼした一つの要因は、馬を飼っていたかどうかの差でもあったというのだ。スペイン人は馬に乗って戦った。インカ帝国は馬を持っていない。その違いは、戦争において圧倒的な戦力さであったという。それから、インカ帝国を滅ぼした「病原菌」もまた、家畜を媒介にして生まれたものであつた。家畜を飼育していたヨーロッパ人はだから免疫を持っていた。その差も大きかった。

 世界の主たる家畜は、羊・山羊・豚・馬・牛の5種類である。この5種類を飼う地理的あるいは環境的条件のあるなしが、人類の不均衡発展の大きな理由になったということである。

 前にこの本の発想は「複雑系」だと書いたが、それは間違っていなかった。この書では「カオス理論」と言っているが、ある一定の条件のもとに住んでいる人々が、何らかのきっかけで、家畜を飼い栽培農耕を始める。そうすると、余剰生産物がうまれ、人口が増大し、農耕以外の専門職が生まれ、文字が生まれ、武器が作られ、というように自己増殖的に展開していく。この展開を、ヘーゲル的な「発展段階論」で説明せずに、ある最初の一撃で自己増殖的に展開する動的な集合体、といったとらえ方だ。

 発展段階論なら、最初の発展地域の文明に他の地域もやがて追いついていく、というようにも説明出来るが、この本では、最初の発展が伝播すると、その地域は主体的な発展を止めて、先進地域を模倣する。その方が効率的だからとする。それなら、次第に他地域が発展していくかというと、そこに地理的条件が立ちはだかり、例え途中に砂漠があれば、伝播しないし、また、環境が整っていないとやはり伝播しないということになる。

 つまり、どういう環境に生まれたかが、文明格差の決定的要因ということにもなる。でも筆者は環境決定論ではないという。というのは、環境もまた絶対的ではないからだ。人間との関わりによって環境は変化する。その変化がたまたま良い方向に向いたということであって、その変化に絶対的な法則などないということだろう。

 オーストラリアのアボリジニはずっと狩猟生活だった。たまたま農耕栽培や家畜を飼う条件を持っていなかった、ということだが、その条件があれば、必ず農耕や家畜生産を始めるというようには言えないだろう。

 結局。こういう理論は、最初の一押しは何だったのかというところへ行き着く。野生動物を飼ってみようと促した一押し。野生種を栽培しようと試みさせた一押し。どのようにでも説明出来るが、たまたまだというスタンスがこの本の基本的態度である。そこがこの本の新しさ、と言えるだろうか。