銃・病原菌・鉄2012/03/01 01:18

 相変わらず会議日が多く出校の日が続く。原稿を書かなくてすんでいるだけ楽だが、読書だけは続けている。陰陽師関係の本を調べながらジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』上巻を読み始めた。今朝は、雪の影響で小田急が遅れているというので、京王線で神保町まで乗ったが、こっちもかなり遅れた。いつもの倍の一時間は乗っていたのではないか。おかげで、『銃・病原菌・鉄』をかなり読み進めることが出来た。

 この本のテーマは、何故、ある地域の人類の文明が発達し、同じような環境にある別の地域の人類は同じように発展しないのか、という問いにある。ヨーロッパ人がアメリカ大陸を侵略し植民地化したが、何故、南アメリカのインカ帝国はヨーロッパを侵略しなかったのか、という問いである。

 あるいは、農耕においても、ある地域で農耕栽培が発展し同じ気候条件を持つ他の地域ではいつまでも狩猟採集の段階にあるのは何故か、という問いである。ある条件が揃えば必ず文明が発達する、という合理的な説明原理ではこの問いには答えられない。同じ条件下にあっても、一方は農耕栽培を始め、富みによって武器を持ち、支配地域を拡大していく。一方は狩猟採集段階にとどまり、優れた武器を持たず、ある時に武器を持った集団に侵略されて滅んでいく。この差は一体どうしておこるのかという問いである。

 突き詰めれば偶然としか言いようがない、ということになるのだろうか。世界四大文明というが、文明が発達する条件は必ずしも四つの地域にしかなかったわけではない。が、たまたま、四つの地域の人々が、一歩前に出てしまった。ある地域が一歩先んじると、他の地域は、その影響下におかれてしまう。つまり、一歩先んじた地域との関係の中で発展していく、ということになる。そうして世界文明の分布図が定まってしまう。

 「銃・病原菌・鉄」とは一歩先んじた人々が手に入れたもしくは身につけたものである。動植物という自然を人為的に加工していく段階で、新たな病原菌が生まれ、同時に人間はその病原菌の免疫力を身につける。この病原菌は、実は銃よりも威力がある。スペイン人が南米の原住民を銃で殺戮した数より、彼らが持ち込んだ天然痘などの病原菌によって奪った命のほうがはるかに多かった。

 歴史のある段階で、一歩先んじた人々と、そうでない人々との差は、まさにこの「銃・病原菌・鉄」を持つか持たないかの差である、ということなのだ。

 まだ上巻しか読んでいないが、結局、考え方としては、世界史レベルでの各地域の文明の発展を「複雑系」的に把握する、ということなのだと理解した。「複雑系」とは、ある合理的な法則性による動的な展開の理論ではなく、あるいくつかの単位が動き始めると、それらの動きが相互に干渉し始めて、一見ばらばらに見える動きをとりながら、自己増殖的に拡大し、動きそのものがより大きな空間を占めるようになる。そういった動きを「複雑系」と呼ぶが、ある地域の文明が発展し、他が発展していかない、ということそのものが、ある法則性、例えば発展していく地域の人間が優れているから、というものに基づくものではなく、ただ、たまたま一歩先んじた地域の文明が、他の地域と相互に干渉しながら増殖していっているだけだ、ということである。

 むろん、ここまで明快に述べているわけではないが、今のところそのように理解して読みすすめている。

 それにしても何故ある地域が「銃・病原菌・鉄」を独占し、持たざる地域を支配するのか、という問題は、極めて現代的な問いでもあるだろう。アメリカのようにそれらを持つ強大な国家は、民主主義とか神とか正義のためとか理念を掲げて、持たざる国への支配を正当化する。が、あんた方はたまたま最初に一歩先んじただけで、別に偉いわけでも何でもないよ、ということをどうやら、この本は暗に言おうとしているようである。

 下巻に読み進むとまた別の読みになるかも知れないが、今のところ、面白く読んでいる。

無本意学生2012/03/05 01:07

 土日と京都へ出張。京都産業大学で行われたFDフォーラムに参加。これも毎年のことで、この時期京都に出かけている。今年は、大学授業のパラダイム転換というテーマのシンポジウムに参加した。

 あのサンデル教授の対話型授業を日本の紹介した千葉大の小林先生の発表があった。内容は、小林先生も千葉大で対話型授業を実践しているので、その報告である。もうお一人は、静岡大の先生で、キャリア教育の授業実践例の報告、そして、もうお一人は、すでに定年退職され今は特任で教えていられる先生の、言わば旧方式による授業のお話で、この話が一番よかった。歴史の先生だが、ITもパワーポイントも使わず、資料を配付し黒板に板書するオーソドックスの授業をしていただけだ、という。ただ、FD活動が盛んになる前から自分でアンケート用紙を作ってやっていたそうで、批判的意見は全て公開し、良い評価がでるとみんなにお礼を言ったという。なんか、素朴な先生で、会場も他のパネラーも、みんな褒めていた。

 結局、良い授業というのは、教員の魂の問題なのだと実感。双方向だとか工夫とかも大切だが、教員が教えようとする知識を通して伝わる心の問題に帰すのではないのかということだ。千葉大の小林先生は、結局はエッセンスを伝えられるかどうかだと語っていたが、エッセンスとは、知識の要点ではなく、知識をどういう心で伝えるのかその心のこと。やはり、抽象的だが、突き詰めればそこにいくのだろう。

 ただ、こういった議論は、ある程度の知識を受容できるレベルの高い大学での話である。最後に会場からの意見が幾つかでたが、われわれのような低偏差値の大学では、そんなに上手くはいかない、書けない読めない学生を相手にどれだけのエネルギーを使っているか分かりますか、という悲鳴に近い意見も出た。このフォーラムに出ると新しい言葉に出会うのだが、今年出会ったのが「無本意学生」という言葉である。

 低偏差値の大学では新入生の大半はこの「無本意学生」だという。「不本意」ではない。「不本意学生」は、志望校に落ちてここに入ってきている、という自覚があるからまだいい。自分がまだ見えている。ところが「無本意学生」は、自分の本意が何処にあるのかわからない。これおいしいから食べたらとごちそうを口に持っていっても、おいしいものを食べたいという欲望がないから食べようとしない、というのと同じだという。好奇心がないから、どんなに啓発しても乗って来てくれないということだろうか。こういう学生が多いのだという。

 東京の低偏差値大学のある先生は、会場の教員に向かって、何を書こうとしているのかよく分からない学生の文章を読み、今この学生はいったいこの文章で何を発信しようとしているのか、いったい何処にいるのか、まずその位置をつかむところから教育が始まる、それが私たちの現実なんです、おそらく、東大の先生より五倍は大変です、と語った。

 そうか今「無本意学生」とどうつきあうのか苦闘している先生もいるのだと実感。まだそこまでの学生とのつきあいを体験していない私は恵まれているのだと言えるだろうか。でも、他人事ではない。

 好奇心とは生への強い欲求の現れである。「無本意学生」は、たぶん、この欲求を何らかの理由で抑制しているのだと思う、その理由は、強い欲求を持ったとしてそれが実現できないことを知っているので、防衛機制が働く、ということだろう。今の学生は、これまで一度も好景気を体験したことのい年代である。好景気という欲望実現の機会のないまま育ってきた者たちにとって、無駄な欲望、つまり好奇心を持たないことという選択が本能的に行われてしまうということか。

 とすると、おいしい料理を出してもあんまり効き目がないということだ。おいしい料理を食べてみたいという欲望そのものを引き出してやらないといけないということだ。これは教えられるものではない。そういう「無本意学生」に教員は魂で向かったとして、効果はあるのだろうか。あると信じたい。

最初の一押し2012/03/08 00:54

 今日は勤め先のFD研修会があり、出席。自己発見のグループワーキングのプログラムを、教員が実際にやってみる、という研修である。本来は、企業の新人研修とか、学生の就活支援プログラムの一貫として行われるものてある。私は、昨年、他大学へ研修で行っているので、内容は知っているのだが、FD委員ということもあり参加した。

 40名ほどの参加者がいた。中には半ば強制で出席させられた教員もいたようだ。いろんな方式による自己紹介や、課題をみんなで解決するグループワーキングなど、実際に始まってみると、学生気分になれてみんな盛り上がっていた。学校の中でもあまり話したこともない先生と自己紹介したりするのは、恥ずかしいが、知り合いになれたという意味では良い機会だった。

 終わっての懇親会では、酒を飲みながらだが、ある先生の意外な面を知ることが出来た。鶴岡八幡宮で正月に神楽を舞っている、というのだ。それももう二〇年も。むろん、そういうこととは全く縁のない別の専門の先生である。授業で神楽を教えている身としては、大変興味をそそられた。一度学校で神楽をやってよと注文をした。別の先生は、すぐ近くに住んでいて、野川沿いを犬の散歩で歩くという。ということは、私と、出会っているかも知れないということだ。いつも会議で一緒だが、こういう話をしたことがなかったので、なかなか楽しかった。

 『銃・病原菌・鉄』読了。それほど刺激的という本ではないが、いろいろ勉強にはなった。結局、人類の間の、文明の不均衡発展は何が原因かを追求した書、ということになろうか。結論としては、たまたま、発展した文明を持った人類が、他の発展しなかった人類より、地理的、環境的諸条件に恵まれていただけ、ということになる。つまり、ある人種が優秀だからでもなく、また、これが肝要だが、発展段階的に文明は進歩していくという法則があるから、ということでもない、ということだ。要するに、たまたま恵まれたある条件下に存在した偶然性が、食料生産を増やし、人口を増やすことで、「銃・病原菌・鉄」を生みだし、そのことが、他の条件に恵まれなかった他の人類に圧倒的に差を付けることになった。その始まりは、だいたい1万3千年前頃、だというのである。

 その恵まれた条件はユーラシア大陸にあり、チグリス、ユーフラテスの肥沃な三日月地帯、中国にあったという。

 この本で教えられたのは家畜の重要さである。ユーラシア大陸が何故他大陸より優れたのか、というとそれは家畜を持ったからだという。家畜を飼う飼わないは、食料の供給に大きな差がでる。また、戦争の仕方にも影響をあたえる。例えば、スペインがインカ帝国を滅ぼした一つの要因は、馬を飼っていたかどうかの差でもあったというのだ。スペイン人は馬に乗って戦った。インカ帝国は馬を持っていない。その違いは、戦争において圧倒的な戦力さであったという。それから、インカ帝国を滅ぼした「病原菌」もまた、家畜を媒介にして生まれたものであつた。家畜を飼育していたヨーロッパ人はだから免疫を持っていた。その差も大きかった。

 世界の主たる家畜は、羊・山羊・豚・馬・牛の5種類である。この5種類を飼う地理的あるいは環境的条件のあるなしが、人類の不均衡発展の大きな理由になったということである。

 前にこの本の発想は「複雑系」だと書いたが、それは間違っていなかった。この書では「カオス理論」と言っているが、ある一定の条件のもとに住んでいる人々が、何らかのきっかけで、家畜を飼い栽培農耕を始める。そうすると、余剰生産物がうまれ、人口が増大し、農耕以外の専門職が生まれ、文字が生まれ、武器が作られ、というように自己増殖的に展開していく。この展開を、ヘーゲル的な「発展段階論」で説明せずに、ある最初の一撃で自己増殖的に展開する動的な集合体、といったとらえ方だ。

 発展段階論なら、最初の発展地域の文明に他の地域もやがて追いついていく、というようにも説明出来るが、この本では、最初の発展が伝播すると、その地域は主体的な発展を止めて、先進地域を模倣する。その方が効率的だからとする。それなら、次第に他地域が発展していくかというと、そこに地理的条件が立ちはだかり、例え途中に砂漠があれば、伝播しないし、また、環境が整っていないとやはり伝播しないということになる。

 つまり、どういう環境に生まれたかが、文明格差の決定的要因ということにもなる。でも筆者は環境決定論ではないという。というのは、環境もまた絶対的ではないからだ。人間との関わりによって環境は変化する。その変化がたまたま良い方向に向いたということであって、その変化に絶対的な法則などないということだろう。

 オーストラリアのアボリジニはずっと狩猟生活だった。たまたま農耕栽培や家畜を飼う条件を持っていなかった、ということだが、その条件があれば、必ず農耕や家畜生産を始めるというようには言えないだろう。

 結局。こういう理論は、最初の一押しは何だったのかというところへ行き着く。野生動物を飼ってみようと促した一押し。野生種を栽培しようと試みさせた一押し。どのようにでも説明出来るが、たまたまだというスタンスがこの本の基本的態度である。そこがこの本の新しさ、と言えるだろうか。

吉本逝く2012/03/17 11:11

 15日卒業式、16日卒業パーティ。昨年は震災で中止だったから、予定通り行われることの貴重さを実感という感じである。いつものように、ディズニーホテルだが、今年は、ディズニーシーのホテルミラコスタ。いつものように、ミッキーやドナルドがやって来てみんなと記念撮影。私など毎年、ミッキーと握手している。ちなみに、うちのチビは、私どもにもらわれる前、ボランティアの人にミーニーちゃんと呼ばれていた。うちではミーニーは呼びづらいので、別の名前にしようということになったが、思いつく前にチビ、チビと言っていたのがそのまま名前になってしまった。だから、卒業パーティにミーニーちゃんが来る度にチビのことを思い出す。

 家に帰ったら、吉本隆明の訃報が報じられる。ついに亡くなったか、という思い。糖尿病でかなり悪いと聞いていたし、歳も歳だからそのうち、と思ってはいた。それにしても長生きしたのではないかと思う。本屋にはいつも新刊が並んでいた。そのこともスゴイと思う。私の本棚には吉本隆明の本が何冊あるだろう。数えたことはないが、ほぼ揃っているのではないか。五十冊は間違いなく越えている。百冊近くなるかもしれない。

 ただ、最近書く本はかつての繰り返しだから余り買ってはいない。私は、よく人から吉本主義者と言われる。自分では余りそう思ってはいないが、ただ、ものの考え方とか、論理の構成の仕方とか、知識に対する態度とか、ほとんど吉本隆明の本を読んで身につけたようなものだから、そう呼ばれても仕方がないだろう。

 だから何を学んだのかと具体的に聞かれると上手く答えられない。一つあげるとすれば、知識を学んでも、いわゆる知識人になってはいけないという、屈折した身の処し方を教えられたということだろうか。吉本は知識の普遍性を信じたが、知識人の普遍性を否定した人である。そこに大学の教員にならなかった理由があろう。

 その根拠として「大衆の原像」という言い方をしたが、いわゆる大衆に価値を置いたの
ではなく、知識は常に生活者の側から相対化されるべきだという考え方である。知識の普遍性が、生活の側でどう活きられるのか、という問い方は、柳田国男を除いて、日本の知識人は余りしてこなかったと思うのだ。この教えは、私の骨身にしみている。幸いなことに、私は、偉い知識人と言えるほど頭もいいわけではないし優れた仕事もしていないので、そんなに悩むことなどないのだが、結局、これは、近代以降のするどい知識人批判であったし、現在の日本の思想が、百花繚乱であっても、生活の側からほとんどスルーされてしまう現状への批判でもあろう。

 今度の原発問題でも、科学への進歩というものは決して退歩しない、原子を取り出す技術を得てしまった以上、それに見合う最大限の努力で安全性を担保していくしかないのだ、と一貫して論じていたのはさすが吉本らしかった。

 ただ、私が吉本の思想にやや違和感があったとすれば、それは個をめぐる問題である。吉本の言う、「自己表出」も「共同幻想」も、結局は、個の価値を基盤にすえたものである。私のように古代を専門とするものにとって、個は曖昧なものである。むしろ、人間の共同的なあり方の中に人間のリアリティというものを見つめる。だから、「自己表出」は、万葉集や、神話などの表出を、文学として置き換えて論じていくときにはあまりうまくいかない方法概念だった。

 吉本が個に普遍性を置くのは、人間は(あるいは歴史は)普遍的な場所を目指すものだという信念があるからだろう。ある意味ではヘーゲル的な段階論を使った論理展開をしていた。つまり、人間は共同的に生きる段階から個的に生きる段階へと進むものだという認識の仕方である。それを否定するものではないが、そう簡単にはすすまないのもまた人間であり、人間の社会である。そして、その上手くいかないところが、私の研究領域なのである。

 いずれにしろ、戦後を象徴した吉本さんの死は、間違い無く、一つの時代の終わりを意味しているのだろう。が、そうであるにもかかわらず、日本の思想の現状は相変わらずだなあと思う。何が相変わらずなのかはうまく言えないのだが。  

逝きし人春の揺らぎに何想う

『驚きの介護民俗学』はお薦め2012/03/23 00:30

 二冊の本を読んだ。山崎正和『世界文明史の試み 神話と舞踊』(中央公論社)、六車由実『驚きの介護民俗学』(医学書院)である。『世界文明史の試み』は分厚い本で、期待して読んだが期待はずれ。やっぱりかという感じ。身体論という視座から世界史をどうやって料理するのか楽しみしたのだが、雑ぱくすぎて、身体論の視座が伝わってこない。「する」と「ある」という二つの存在の仕方に世界史を分類するという方法なのだが、これも、分類のための分類になっていて、そう分類したことで世界史が違って見える、という感動がない。これは読まなくても良かった本である。

 六車由実の『驚きの介護民俗学』は、送っていただいた本だが、こちらはむしろ感動した本である。雑誌やウェブで連載していた時から読んでいたが、一冊の本になると、また違った印象で読める。

 六車さんは民俗学者。『神、人を喰う』という奇抜なタイトルの、人身御供に関する本でサントリー文芸賞をもらった。昔からの知り合いである。大学の教員を辞め、現在介護の資格をとって介護の仕事をしている。だが、やはり民俗学者で、介護をしながら、老人達の聞き書きをし、それを仕事にいかしながら、かつ新たな学問領域にまで高めてしまった。その成果がこの『驚きの介護民俗学』である。

 宮本常一の『忘れられた日本人』を、介護の現場で実践したと言えば、そういうことに近いが、しかし介護の現場でそれを実践することは、民俗学者がフィールドするのとはまつたく意味合いが違ってくる。それでも、やはり、そこには「語り」の驚くような面白さがある。とにかく、『忘れられた日本人』が示した生活者の「語り」の豊かさを、また再発見した本だと言ってもいいだろう。

 老人の「語り」を伝える民俗学の本であると言ってもいいが、それ以上に介護の実践の報告書であり立派な介護論にもなっている。あるいは、人は何故「語る」のか、という、従来の「語り」論では見えなかった「語り」の様相が見える本でもある。広く文学研究者にも読んで欲しい本である。読み出すとあっと言う間に読めてしまう本であるが、様々な学問が交錯しているという意味で、いろいろと考えさせる。

 正直、私は『神、人を喰う』よりこっちの本の方が優れていると思う。『驚きの介護民俗学』の方は、著者が全身全霊で対象にぶつかって書いているところが伝わってくるし、ここからいろんな方向に向かっていきそうな知的好奇心にも満ちあふれている。何より、「介護民俗学」という誰にも思いつかなかった領域を創り上げた、その興奮が伝わってくる。民俗学者が介護という現場に出会ったというより、この本を書かせるために介護の現場が六車さんを呼び寄せた、ということではないのか。そう思わせる本である。

 とにかく、老人たちの話が面白い。たぶん私の親の世代の人生の物語である。こういってはなんだが、ここに出てくる老人に負けないくらい、私の親も波瀾万丈の人生を送っている。六車さんに出会って話が出来たら六車さんはとても喜んだろうにと思う。

 この本の中で、「何処の町に住んでいる」と必ず最初に聞くおばあさんの話が出てくる。そうやって必ず同じ言葉を儀式のように繰り返すことが、このおばあさんにとっては意味があるのだと書いているが、私は、ふと、昔、川越のある病院の待合室で、見知らぬ同士の二人のおばあさんが互いに話を始めた光景を思い出した。一人が相手に「何処の町に住んでいる?」とまず声を掛けたのである。何処何処の町だと答える。親戚の誰々がヨメに言っているのだが、知らないか、とまた尋ねる。知らないと答えると、今度は誰々がいるかと聞く。何人か目にその人は知っていると返事が返ると、突然、二人の会話は活発になり、二人の接点となった人物を介して、様々な話題が飛び交うのだ。私はそれを近くの席で聴きながら、こうやって他者同士が情報を交換し、接点を見出して、語り合う関係になっていくのだと、なんだか妙に感動した。その始まりが「何処の町に住んでいる?」という言葉であった。この言葉なかなかのものなのである。

民俗学につて語る2012/03/26 02:05

 昨日は柳田の研究会に誘われ参加する。勤め先の近くの女子大学に行く。実は、奥さんと知り合いとで、東中野に井上井月の「ほかひ人」を観に行く予定だったが、Nさんから出てくれとのメールがあって、映画をキャンセルして急遽参加することにした。

 二〇何年やっていた柳田研究会をそろそろ終わりにするにあたって、座談会をするので参加して何かしゃべってくれという誘いである。テーマは、柳田研究会を立ち上げた後藤総一郎をどう超えていくか、ということや、社会変革と民俗学というなかなか難しいテーマである。特に、社会変革というと、いまさら、という感じのテーマだが、このいまさらをどう説明していくのか、それはそれで大事なテーマではあろう。

 とりあえず私の発言だけ簡単に記す。まず吉本隆明の柳田論から。吉本は、柳田は内視鏡で村の内部をなめるように描いた人で、外部(歴史的視点や世界からのまなざし)からのまなざしを禁じた人だと語っている。だから、柳田の文章は、液状化したような数珠つなぎのような文章なのだと言う。私は、この吉本のとらえ方が気に入っていて、実は、多くの知識人、例えば吉本が批判する丸山真男などは、その逆だと言うことがわかる。つまり、内部にいる自分のまなざしを禁じて、外部からの(西欧の思想)まなざしによって論じようとする。日本の近代における社会変革の思想がだめになっていったのは、外部からのまなざしだけで内部を遅れた前近代的なものとみなしたからだ。その遅れたもののなかに、自分が抜きがたく存在している事実を見ない態度において成立した思想だったからである。

 柳田はその反対だったが、しかし、外部を禁じれば、自分が入り込んだ内部をどう変革するのか、その方向を見いだせないはずだ。とりあえず、今ある危機への現実的対処は出来ようが、どう変革していくのか未来図は描けない。柳田は、常民が自分たちの生活史を知ることで自らがかんがえていくものだと考えてはいたが、それでも、不親切ではあろう。

 つまり、内部に入り込んでいる自分のまなざしと外部からのまなざしを一致させるのは難しいのだ。言い換えれば、そういうことがどうも日本における思想の課題になっているということでもある。柳田は外部からの眼差しを禁じて、内部からだけで膨大な日本人の生活史、もしくは生活誌を記述した。だから、外部からの思想で革命運動に身を投じ挫折した知識人は、自分たちとはまったく違う方法で、自分たちが変革の対象とした、民衆を記述している柳田に惹かれたのである。柳田の門下生や、戦後の柳田への信奉者は元左翼が多いのはそのためである。

 私だってまあ、似たようなところはある。だが、柳田と違って、内部に入ろうとした多くの知識人は、やはり、外部の思想なしには未来図を描けない。そこに葛藤というかジレンマが生まれる。柳田の言う常民という位置にあることを肯定して、それを外部の思想で語ることは困難であり、ためらいがあろう。後藤総一郎という人は、そのためらいがなかった人であった。だから、常民大学を社会変革という外部的な思考の運動体として、あちこちに作ることが出来た。その意味では、希有な人であった。

 葛藤がなかったことはないとは思うが、それを表に出さず、とにかく、常民大学で社会を変えようと本気で思った人だと思う。それが出来たのは、後藤さんが南信州の山村の出身だった、ということが大きいだろう。彼は、自分が村の内部に位置する存在であることを疑わずに外部の思想を語る、力業が出来た人なのである。批判もあったろうが、常民大学で、多くの人材を育てた功績は大きいと思う。

 それから、私は、柳田民俗学に、社会を変革するといった大きな物語を期待するのはやめた方がいいと語った。柳田はそれほど大きな物語を語ったわけではない。ただ、柳田の信奉者や柳田の批判者が、柳田を大きな物語の枠組みで捉えようとし、あるいはとらえたいと思っているところがある。むしろ、柳田は、近代によって変容していく生活の中で、村や村人、あるいは村から都市に移り住んだ人達の危機に対処できる学問を作ろうした。それは、社会や国家の変革という大きな物語を作ることではなかったはずなのである。

 むしろ、一人一人の中の共同性(民俗文化といったもの)を見つめ直すことだと考えたのである。その意味では、民俗学で「小さな物語」を紡ごうとしたと言える。

 私はたまたま読んだばかりの六車由実の『驚きの介護民俗学』の話をした。ここには、民俗学の方法が、社会的な快適さから見放された一人一人の心や身体の問題と直接向き合うことの出来ることが記述されている。その民俗学の方法とは、社会から取り残された老人たちから個人史を聞くことだが、それは、老人達と新たな関係(ささやかな社会といつてもいい)を創り上げる共同作業とでも言える方法であり、民俗学の一つの方向性を示しているのではないか、というようなことを話した。

 学会で六車さんの論文の審査をした人もその会にいて、感心して聞き入っていたから、少しは、『驚きの介護民俗学』の宣伝は出来たかなと思う。

 久しぶりに難しい話を人前でしゃべってかなり疲れた。

                        まだ咲かぬ桜並木を横に見る