琵琶法師2012/02/09 21:43

 久しぶりに風邪を引いた。インフルエンザだろうか。予防注射はしておいたのだが。ただ、休むわけにもいかないのでだるい身体をがまんしつつ出校はしている。なにせ、入試の真っ最中である。

 今年はわが学科最悪の年である。A日程の受験者が激減した。理由がわからない。想定外としかいいようがない。短大の志願者が減りつつあるのはわかっているが、これほどの急激な減り方は、わが短大に何かスキャンダルがあったとか考えないと理解しにくい。就職率だってそんなに悪くはない。去年の大震災の影響がここにも影響をあたえたということなのだろうか。

 B日程が残っているが、どのくらい応募があるか。受験生のみなさんB日程はねらいめですよ。試験の採点、学会誌の原稿、来年度に向けた諸々の雑務等、時間がない。いつものことだが。今年の4月と5月に、よせばいいのに、某文化講座を引き受けてしまった。7回ほどの一回こっきりの講座でどうしてもと言われてつい引き受けた。タイトルが、「日本史におけるシャーマニズム」。卑弥呼とか安倍晴明とか卜部について語って欲しいと言われた。何で私なのか。他にも斎藤英喜とかいろいろいるだろうに、思うに勤め先の場所と文化講座の場所との近さが決め手だったようだ。

 安倍晴明とか卜部は詳しくないが、シャーマニズムについてならいろいろしゃべることは出来るかも知れないと、引き受けた。ということで、斎藤英喜の本や繁田信一の本などを読んでいるところだ。文字通りのシャーマンを日本の歴史の中で探すと、ほとんど無理な話になるが、シャーマン的な技能を持つ呪術師のような宗教者として考えれば、かなり論じる対象は広がる。兵藤裕巳『琵琶法師』(岩波新書)に描かれている琵琶法師もまたシャーマン的な人たちである。兵藤裕巳はそのように描いている。

 かつて、政治にとって怨霊は最大の脅威であった。怨霊による祟りがあればそれを解決しなければならない。その時に活躍するのが、陰陽師などの呪術宗教者である。特に滅んだ平家の怨霊は当時の貴族や武士政権にとって脅威であった。その怨霊を鎮めるために語られたのが平家物語だが、その物語を語るのは、この世とあの世との境界に位置して自在に往還できるシャーマン的な力を持つ琵琶法師だったと兵藤は述べる。

 この琵琶法師の話は「耳なし芳一」として知られている。この物語はラフカディオハーン(小泉八雲)の『怪談』に入っているのでよく知られていよう。兵藤はラフカディオハーンも普通じゃないと書いている。ハーンは、日が暮れても部屋のランプをともさないことがあったという。妻の節子があるとき襖を開けずにとなりの部屋から「芳一」「芳一」と小声で呼ぶと「はい、私は盲目です。あなたはどなたさまでございますか」といって、そのまま黙り込んだという。(小泉節子『思い出の記』)ハーンはほとんど芳一になっていたのか、芳一が乗り移っていたのか。面白い話である。

 ということで、今、平清盛をやっているので琵琶法師の話も盛り込むことにした。

                        首すくめ寒き孤独を避けにけり