偲ぶ会2011/10/30 11:05

 昨日、2年前不慮の死を遂げた詩人奥村真を偲ぶ会が飯田橋で行われ出席。久しぶりに会う人たちもいたが、ほとんどは始めて逢うひとたちである。彼とは学生運動時代からの知り合いであるが、詩人になってからの知人・友人たちの主催なので、私の知らない人たちがほとんどだった。彼は、学生運動の後、私塾寺子屋で内村剛介のところでロシア語を学んだり、現代詩を学んだりしていたので、その時代の友人達が多いようだ。

 会場で、彼のいろいろなエピソードを聞いたが、やはり彼は無頼派を生き抜こうとしたのだとよくわかった。私生活はいたって真面目でマメであると奥さんは語っていた。ただ、酒を飲むと、その飲み方は尋常ではない。それは私もよく知っている。彼は60歳まで生きたが、よくあの歳まで生きていられたと皆が言うくらい、酒を飲んだ後の無頼ぶりは相当なものだった。

 太宰や安吾たちの無頼派が周囲から一目置かれるのは、その底に深い絶望があることがわかるからである。奥村にもそれがあった。偲ぶ会に出席していた詩人が、彼の詩は難解だとかあまりいいとはおもえなかった、と言っていたが、たぶん、それは、彼の詩が、その絶望をすくいとるというより、その絶望をカモフラージュするものになっていたからであろう。

 絶望を隠しながら、やや斜に構えた饒舌な言葉で、この世を生きることになんの意味がある?というような詩を読まされたら、普通は、ついていけない。たぶんに、そういうところがあった。この奥村が気に掛けていた男にMがいた。奥村の大学時代の同級で、二度死んだ男である。会のなかで、このMのことも話題になった。Mは、凄惨な内ゲバのなかで人生を過ごした男である。刑務所を行き来していたが、ある時彼の死亡通知が届き、葬式をしたということだ。そのことの一部始終を奥村からよく聞かされた。海で入水したということである。ところが、しばらくして彼が生きているという情報が伝わり、あの葬式はなんだった、ということになった。奥村も何が何だかわからんと呆然としていた。

 其の後のことをしらなかったが、偲ぶ会でMが最近獄死したのだということを聞いた。Mもまた、ほんものの絶望を生きたのだと思う。絶望を胸に秘めるなどと言う余裕など無く、出口のない生を死に場所を求めて生きたのだ。

 学生運動のような政治の後を生きる、というのは、こういった絶望を生きる、というものたちを生む。私はそこまでの絶望を背負い込まなくて済んだが、幾分かは共有している。

 タブレットを買って、マンガを読もうと、映画化されて話題になっている「ヒミズ」の第一巻を購入して読んでみた。これが面白かった。絶望が伝わってきた。情けなくて思わず笑ってしまう絶望だが、どこか奥村の詩につながるところがある。こういう情けなさを、文学やマンガで表現出来ていることに安堵を覚える。

                       逝きしもの偲んで帰る秋の坂

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