そなたは美しい2011/07/06 00:52

 短歌時評原稿を書き終え、何とか一息ついた。先週は丸山隆司著『海ゆかば』の書評だったが、今回の短歌時評も「海ゆかば」で書いた。短歌の時評ではないが、大震災とかかわらせて歌の力といったものについて論じた。

 日曜は学会の研究発表大会が名古屋大学で行われた。私は運営委員なので参加。久しぶりに旧知の研究者に会う。この学会は、いろんな時代の研究者が参加するので、たまに行くと、いろんんな人に会える。それがいいところだ。

 月曜は「もののけ姫」の授業。ちょうど先週の金曜日に、日テレで放映していたので、かなりの学生が見ていたので、授業はやりやすかった。ただ、見ていない学生もいるが、その理由は、キモチワルイが多かった。確かに、タタリ神もキモチワルイし、血もたくさん出てくるしと、子供のころに見て耐えられなかったという感想が多かった。

 となりのトトロからみれば、明らかに子供向けで無いことは確かだ。私もみたが、やはり、「もののけ姫」は傑作だと思う。日本の批評家には評判がわるい映画だが、そんなに悪いアニメでもないかと思う。何を描いているのかよくわからないというのがおおかたの評だが、最初からわかりやすさを放棄したアニメなのだし、視点を変えれば案外にわかりやすいアニメである。

 この物語の中心は、アシタカとサンにあり、二人とも境界的存在である。二人の境界性は、解消されることなく、最後まで貫かれる。例えばアシタカとサンが結婚して里に住むなんていうディズニー式のエンディングはないのである。

 この物語はアシタカを軸に展開する。アシタカは呪いを解くために旅に出る、もののけ姫を救い、呪いを解く、という展開は、「行って帰る」物語構造を踏襲する。だが、モノノケ姫とは結ばれないし、アシタカは何と戦っているのかよくわからない。だから、欲求不満がでるのだろう。アシタカが戦うのは、人間の側の暴走を抑えることであり、また自然の側の怒りを鎮めることである。その意味では、アシタカは、自然と人間のバランス装置としての役割である。この役割、ほとんどナウシカと同じである。アシタカはナウシカである、というのが一つの見方としてなりたつだろう。

 エボシは製鉄集団の頭領だが、差別のない自由な社会を作ろうとする。だが、そのために、森林を伐採し、ナゴ守をタタリ神にし、そしてシシ神の首を取ろうとする。むろん、人間社会のなかでそのような理想が成立するわけはなく、武士の襲撃を受け、天皇に利用される。自然の側からの憎しみも一身に受ける。そんなエボシはいろんな評価かできるだろう。この物語で最も魅力的な人物である。『風の谷のナウシカ』のクシャナ姫とよく似ている。人間の幸福のためにクシャナは王蟲を殺し腐海を焼き尽くそうとする。ナウシカはそれを止めるが、アシタカもエボシを止める。

 ところで、この物語の一番感動的なシーンは、サンを助けたアシタカが重傷を負う。人間を憎むサンは瀕死のアシタカに刀をつきつける。そのとき、アシタカはサンに「生きろ」という。そして、「そなたは美しい」という。この言葉にサンは驚き思わず飛び退く。この場面である。この「そなたは美しい」がどのような意味を持つのか、と授業ではいろいろと語った。

 サンが驚いて飛び退いたのは、もののけの子である自分が「美しい」と言われたことにある。人間であることを、こんなにもつきつける言葉は他にない。サンにお前は人間だといくら説得してもサンは聞く耳持たないだろう。だが、「そなたは美しい」は、一発で、サンを人間にしてしまう。何故だろうか。アシタカによる愛の告白だからだろうか。今まで誉められたことのない女の子が「きれい」と言われた驚きなのだろうか。どうも違う気がする。

 サンが飛び退いたのは「美しい」という言葉を受け入れたからだ。拒否はしなかった。それは、「美しい」が、人間の尊厳にかかわる言葉であることを感じとったということである。醜いと思っていた自分が美しいと肯定されたことにただ驚いたのではない。ここは大事なところである。別の言い方をすれば「美しい」という言葉の呪力に打たれたのである。もののけの子サンを観客が受け入れるのは、この場面があるからである。この場面によって、サンが人間の尊厳を身につけた存在であることを感知するからである。

 こ尊厳は、モロによって与えられたのだろう。モロも、モノノケとしての尊厳を持っていた。エボシの銃弾を受けながら、モロは、ナゴ守がタタラ神になったのは死からにげようとしたからだと言う。私は逃げない、だからタタラ神にはならない、という。この死への向き合い方は、すでに十分に尊厳を持つ存在であることを示している。

 さて、このアニメで一番難解なのは、最後にジコ坊がつぶやく「やれやれ馬鹿には勝てん」という言葉である。真っ正直に自然と人間の間に入るアシタカの一途さに対しての言葉なのだろうか。いろんな解釈が可能だが、私は、これは、宮崎駿のつぶやきのように聞こえる。何につぶやいたのかはよくわからない。自分に対してなのかも知れない。

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