砧公園を散歩2011/05/09 00:18

 土曜は地方出身学生との懇親会。わが学科は短大だが地方から来る学生が割合いる。短大はほとんど地元志向だが、地方から来てくれる学生がいることはありがたい。初めての一人暮らしだろうから、情報交換や友達を作る機会にもなればとはじめた。ケーキを食べる茶話会という感じで、二時間ほど学生たちは賑やかにおしゃべりしていた。とりあえず成功といったところだ。

 当日は学会のシンポジウムが同じ校舎であり、私は遅れて参加。面白そうなテーマではあったが、発表は終わっていて、質疑応答が始まっていた。会場にいたGさんから抜き刷りをもらった。私が岩波の『文学』に書いた論に触発されて書いたという論文である。めったに人を触発することはないのだが、Gさんを触発出来たとはうれしいことである。

 心情語とは貨幣であるという比喩を用いながら万葉歌の心物対応構造について論じたものだが、自分としてはなかなかうまく書けた論だと思っている。少なくともこういう発想での論は今までなかったと思うので、満足はしているのだが、今まで評判を聞いたことがなかったので、こんなものかなと思っていたのだが、やはり読んでくれている人はいるものである。

 またYさんが『アジア民族文化研究』の御柱シンポジウムの特集は面白いと言ってくれた。これも、私が苦労しながらコーディネートし原稿を集めた特集なので、ほっとした。『七五調のアジア』もそうだが、苦労して何とか作り上げたものはそれなりに評価される、という当たり前のことの大切さを身にしみて感じている。むろん、それなりの発想や構想力も問われるが、それはいまさらどうにかなるものではない。とりあえずは、面白いと思ったことは、苦労してでも何とか仕上げていくその持続力を衰えさせたくはない。

 そのためにも健康が大事だが、土曜のシンポジウムの懇親会で、私は喫煙者たちが集まる席の真ん中に座ることになり、ずっとタバコ煙を吸わされていた。さすがに、体中がたばこ臭くなった。一人が、自分もタバコを吸っているのだが、タバコを吸う若い研究者にお前は子どもがいるのにタバコなんか吸うのはやめた方がいい、と説教をしていた。その気持ちわからないではない。あの席で私もかなり不健康になった気がする。

 今日は合評会とがあるということだが、授業の準備があるので欠席。明日の「アニメの物語学」の資料作りで一日を費やす。夕方気分転換をかねて奥さんとチビの散歩に砧公園に行く。かなりの人である。一時間ほどかけて砧公園を一周した。写真は、散歩に疲れて横になってしまったチビ。帰って、日テレの「鉄腕ダッシュ」を観る。「ダッシュ村」は福島第一原発のおかげで、計画避難地域に入っている。今は立ち入ることができないそうである。

 管首相が浜岡原発の運転停止を要請したのは賢明な判断だったのではないか。原発に関しては安全神話と危険神話がせめぎあっている状況だが、客観的に見て津波が来たら浜岡原発は危ないだろう。危機管理としては最悪を想定して迅速に対応することが鉄則である。言わば原則通りの判断ということになる。会議を経ていないとか経済のことを考えていないとか文句をいわれているが、重要な判断は常に先送りする日本の会議に任せていたら、また福島原発みたいになりかねない。最悪の場合の経済損失を考えれば、安全と判断出来るまでの運転停止は経済原則にかなうだろう。その意味で、政治判断は当然だったろうが、それなのに、人気取りとか、拙速とかくそみそに言われるのは、この人みんな誉めたくないのだ。こんなに悪口言われる人も珍しい。

 「ダッシュ村」についてだが、柴犬の北斗は元気なのだろうか。たぶん、どこかに引き取られてはいると思うが、好きな犬だったので気になる。「ダッシュ村」が再開されるのを心待ちにしているのだが。
 
                        新緑や人も犬も山羊もいない