問答論2011/05/05 00:09

マンションのアプローチ階段の藤の花が満開である。一昨年剪定したのでまだ花の数は一時ほど多くはないが、それでもだいぶ下に垂れてきている。この藤棚は、調布市の保存樹木に選定されていて、これだけ立派なのは調布市では他に一つあるだけだという。マンション自慢の藤棚である。

 今日は学生を連れて樋口一葉の旧居跡などを観て歩く。もう初夏という暖かさでやや汗ばんだ。三田線の春日で降りて菊坂から東大赤門前の法真寺まで行って戻る。授業時間内で行って帰ってこれる。いつも思うがいいところに学校がある。

 今年も夏に雲南省のシンポジウムに招かれていて、そこで発表しなければならない。そこで神話を「問答」で歌っていく様式について何か言おうと思い、折口信夫の「国文学の発生」を読んでいるのだが、どうもよくわからない。マレビト神と土地の聖霊との問答に起源を求める論理はわかるのだが、具体的にどういう問答を想定しているのか、そこがわかりにくいのである。折口の発想を支えているのは、芸能における翁に対する三番叟だったり、能のシテに対するワキとの関係で、それをマレビト神に対する土地の聖霊に重ねている。

 例えば、折口は、土地の聖霊は来訪神のことば(呪言)を繰り返す、という言い方もしている。たとえばそれは「もどく」ということである。三番叟などがそうだ。三番叟は、翁神の言葉を繰り返す。これはとてもわかりやすい。が、それならそれは問答ではない。

 折口は、常世神が村を訪れ土地の精霊を屈服させた次第を語る、やがてその次第を人間が演じるというようになり、土地の精霊が常世神の呪言に対して返奏の誓詞を述べるというように整えられていくと述べている。従って、常世神の来訪とは、この屈服した精霊の土地・山川の威霊を村が受けるということになる。なかなか入り組んでいるのだが、要は、問答は、来訪する神に対して精霊が服従していく一つのプロセスだということであろう。

 また神と精霊との問答は呪言争いだとも述べている。山の鳥や狸などにも根負けして掛け合いを止めると災いを受けるという伝えが多いと語る。神と精霊を人が演じこの呪言争いが祭りの中心行事だとも言う。この呪言争いを、神に扮した村人と、巫女とが向き合って掛け合いをしたのが歌垣の始まりなのだとも述べる。

 どうも折口は、神の一人称叙事詩とは別に、常世神と精霊との掛け合いによる神の表現形態があったということを想定している。それは神の呪言であって、その神の呪言は、人間に掛け合いの形で受容せられていくのだ、とどうやら述べているのである。つまり、一方的に神の言葉を人間が聞くのでなく、そこに繰り返しや混ぜっ返しのような様式によって伝わる、ということである。

 さて、この論理が、雲南省の少数民族の問答の論理に用いられるかどうか。たぶん無理である、ということがわかった。それで、落ち込んだ。もう一度やり直しである。