環境と自然2011/03/04 01:36

 ここのところ家で仕事。毎日の出校はないが、一日おきくらいには出校している。会議とか、研究会とかいろいろ仕事はある。来年度の基礎ゼミナールのテキスト作成中で、この仕事を後回しにしていたので、期日が迫ってきて慌てて原稿をまとめている。

 28日にアジア民族文化学会の秋の大会のシンポジウム打ち合わせを、ナシ族の署神を祭る儀礼を一緒に調査したE氏とK氏とで行った。テーマは環境と何々というようになるだろうが、具体的には決まっていない。

 とりあえず私の方からシンポジウムのイメージだけを語った。環境を文化論とかからわせて論じようというこのテーマはなかなか難しい。環境問題は政治的、社会的なテーマではあるが、文化論や文学の問題としてはなかなか難しいところがある。

 その理由としては、環境はそのまま自然とみなすことができないからだ。自然は神である、と言える。が、環境は神であるといえるだろうか。自然は人間もその一部といえるが、環境はそうは言えないだろう。最近、文化論や文学として、環境問題をテーマにすることが多い。それは、自然と人間との共存が失われることへの危機感に対し、自然と人間とが実はうまくつきあってきたのだ、という証拠を、伝統的な儀礼や古代の歴史や物語資料に見いだしていく、という展開になる。

 ところが、人間が自然とつきあってきたことを、人間は自然を大事にして共存しようとして、自然とつきあってきたのだ、と解釈してしまうのはおかしい。人間が何故自然と共存してきたかは、人間が何故自然の植物や動物を食べてきたのかを問うことと同じで、そこに特別な意味を見いだしていたからではない。生きるとはそれ以外になかったからだと考えるしかない。自然神を祀る儀礼も自然神との親しい関係を物語る物語も同じことで、そこでの自然は、人間が生きていく上で畏れたり敬ったりする他者である、ということに過ぎない。その他者と共存するためにその他者とかかわっていたわけではない。かかわらなければ生きて行けないからかかわっていたに過ぎない。

 が、生きることそのものが危機的だとしたとき、その理由についていろいろ考える。その一つが自然との関係がうまくいっていないという反省であろう。今、その反省をしているのだ。が、自然とうまくいっていないのではなくて、本当は、環境とうまくいっていないのだ。人間のための環境が人間のためになっていないということである。が、環境問題は環境問題にすぎない。自然問題とは言わない。何故なら自然という他者は、人間がいくら困っても自分は(自然は)困らないからである。緑のない荒涼とした砂漠も立派な自然である。

 が、私たちは、環境問題を自然問題と考えたい。自然とかかわらなければ生きて行けないという、論理を越えた信仰に似た理屈で、この問題を考えたいのだ。自然をおろそかにしたから自然から復讐されていると考えたいのだ。 ある意味で楽な思考方法である。

 だんだん話が複雑になってきたが、環境問題を自然問題と考えることは、病気を神罰と考える思考とそれほど変わらない。だからだめなのだということではなく、この思考は、人間の根源的なところに根ざしているので、簡単にだめだとは言えない。ただ、学問的ではないというだけである。しかし、学問などというのもあやしいところがあるので、こう言えばいいか。あまり考えずに済む方法であるならそれはだめだということだ。楽すぎる思考はよい解決策を生まない、ということである。

 何が言いたいかというと、自然神を祀る儀礼が、すでに環境問題を実践した思想を持っているなどと簡単に決めつけるのは、それは楽すぎる結論である、ということである。環境問題を自然問題に置き換えることを良しとしよう。そうしないと、わたしたちのシンポジウムは成立しないから。ただ、それは、ものを食べるということそのものの意味を問わなければならないような、極めて本質的な意味での解きがたい問題に立ち向かうことでもある、ということだ。

 自然問題と環境問題を楽ではない方法でかかわらせるとすれば、人間が自然という他者とどのような方法で向き合ってきたのかを問うことだろう。人間もまた自然である。その自然を他者とするということは、例えばシャーマンが自分の中に神を見いだすようなものだ。比喩的に言えば、シャーマンが自分の無意識の中に折り目を入れて、他者を顕在化することだと考えている。問題はその折り目を入れる方法である。それは身体の痛みではないかというのが、今考えている所である。身体の外延の延長に自然も環境もある。痛みは、人間が自然や環境を他者とみなす一つの方法である、ということだ。

新しいアニミズム2011/03/04 23:55

 環境問題の続きです。

 アニミズムは自然保護の思想たり得るのか、ということが、環境問題を文化論の問題と関わらせるときにテーマとなるだろうと思われる。

 自然保護の最も進んだ思想は自然中心主義であり、人間に権利があるように自然にも権利を認めようというものである。つまり、ゴミはまだ使えるからもったいない、だから捨てるなではなくて(これは人間中心主義)、使えるゴミを捨てるのは自然に対する犯罪である、と考えるのが自然中心主義である。

 環境破壊に対して、自然に訴える権利を認めようという考えはすでにある。これらは、自然を人間の暴走を抑える人格を持った存在としてみなす思想であり、ある意味で新しいアニミズムと言えるのかも知れない。加藤尚武は、もともと、近代における人間の権利という概念そのものが、近代的なアニミズムなのだという(『環境倫理学のすすめ』)。つまり、自然に霊魂が宿るという思想から脱却した西欧は、それでも人間に霊魂が宿るというアニミズムを脱却出来なかった。その霊魂が近代的な装いとして権利となったのだという。例えば、個人が死んでもその個人の権利、財産とか所有権とか名誉とか、そういったものを人は尊重する。それは、人が死んでも霊魂が残る、ということと同じなのだというのである。この権利の概念をアジアの社会が受け入れたのは、もともとアニミズム的思考だからというのである。

 面白い考えかたである。自然に霊魂が宿るというアニミズムを脱却できないアジア的世界、つまり、われわれが、なかなか個人の権利を認められないのは、自然とわれわれとが截然と切り離されてないからなのかも知れない。

 さて、自然を神とみなすアニミズムを切り捨てた西欧は、個人の権利の暴走によって、自然破壊に歯止めがきかなくなる。そこで、自然にも権利がある、つまり、霊魂があると言い出した。それが、新しいアニミズム、自然中心主義の自然保護運動というわけである。

 これは加藤尚武の本を読んでの理解だが、自然には霊魂が宿り、その自然と共存してきたわれわれの文化(アジア的文化)は、今、「新しいアニミズム」という視点から見直されている、というのが、環境問題における、アニミズムの役どころ、と言ったところだろう。

 だが、このようなとらえかたは、文化論としては、簡単には乗れない。というのは、新しいアニミズムが、いつのまにか、古代の新しいとはいえないアニミズムを単純に解釈し、複雑で奥深い自然と人間の関係を見えなくしてしまうからである。

 自然に人間を告発する権利を認める、という自然中心主義、新しいアニミズムは西欧から発信されたが、まだ自然そのものに霊魂があるとみなすアジア的アニミズムにどっぷりと浸っているわれわれは、この思想に簡単に乗れるのだろうか。どうもしっくりといかない、というのが大方の感想だろう。それなら、アジア的アニミズムには、人間の暴走を抑える仕組みが内在されているのだと見なすのか。それとも、そんなものはないのか、ないとすれば、アジア的アニミズムはこの問題にどう役立つのか、というようなことを考えなければならなくなる。これは、文化論の思考ではないが、避けるわけにはいかない。

 私なりの答えは、アジア的アニミズムに、人間の暴走を抑える仕組みなどはない、ということである。が、そのことは、人間は自然に対して何でも出来るというのとは違う。人間は自然と、身体的なレベルでもつながっている。そこに、ここでいうアジア的なアニミズムの問題がある。自然開発は自然を傷めて人工物を作る、というように見えるが、その人工物を自然の延長みなせば、開発は、自然の再生産であって、霊魂の拡散を意味するだけである。少なくとも、その程度の柔軟性がアニミズムにはある。

 ただ、度を超すという問題ががある。そういうときに、自然と人間の関係はうまくいかなくなる。度を超して拡張した自然を、自然とみなせなくなる。つまり、身体の延長としてとらえられなくなる。その時、どうなるのか。たぶん、つながっているというある感覚、つまり身体というレベルを失うことではないのか、と思われる。それが「不安」ということではないか。

 新しいアニミズムはこの「不安」への対処として生まれた。が、日本人は、どこまでこの「不安」を持っているだろうか。かなりの自然破壊をやってきた日本人が、それほどの「不安」を持っていないのだとしたら、これは文化の問題である。つまり、日本人におけるアニミズムの問題である。

自己紹介2011/03/07 01:22

 土日は、FDフォーラムに出席のため京都へ出張。去年も今頃行った。今年は、初年度教育のシンポジウムに出席。私は、勤め先の初年次教育の責任者だから、興味深くシンポジウムを聞いた。いくつか学ぶところはあった。

基礎ゼミの授業で最初に自己紹介をやらせるのだが、このシンポジウムでも、参加した教職員が授業形式で自己紹介をさせられた。これには参った。授業のシミュレーションというわけである。まず、両隣に坐っている参加者と、お互いに名前と勤め先と専門を紹介し、何故この専門を目指したのかその理由を語らなくてはならない。自己紹介が終わったら、そのグルーブの一人が他のグループに行って、自分のグルーブのメンバーを紹介する、ということをやる。他のグルーブもこちらに来て紹介する。

 学生にやらせる自己紹介のやり方だそうだ。最初は戸惑ったが、やっているうちに面白くなってきた。右隣の人は東北の芸術系の大学の先生で、私がAさん知ってると聞いたら、この1月に辞めた、という。ええーっ、とさすがに驚いた。途中で辞められるのか。東京の大学に決まったらしい。亡くなったNさんの後任ということらしい。初耳である。こんなところでAさんの情報を聞くとは。ちなみに、隣の人は私の名前を知っていた。何度かその大学に行っているので彼の勤め先に行っているのでその縁でらしい。世の中は狭い。

 基礎ゼミの成績の付け方でいつも悩むのだが、シンポジウムのある発表者は、合格か不合格で付けているという。つまり、ABCでつけていない。授業の性格からすればありだなと思う。わが校も考え直さなくてはならないだろう。基礎の基礎、つまり、大学生にするための授業なのに、ABCを付けるということは、大学生にするための教育に最初から失敗しているということを教員が示しているようなものである。全員Aにするか合格にするのが、この授業の本来の目的であるはずである。

 帰りの新幹線のなかでH氏の論文を3本ほど読む。彼は秋のシンポジウムで一緒に環境のテーマでやることになっている。さすがにいつものように博覧強記のなかなか読ませる論文なのだが、ただ、環境と文化の問題については、歯切れが悪い。というより、解答の出ない隘路にあえて自らを位置させている。それは、人間は自然に負荷をかけていることにたいして罪業観をもっているはずだ、という、一種の倫理的とも言える態度を決して外さないからだ。彼のえらいところは、安易に例えば、西欧的な環境権とか(私の言い方で言えば新しいアニミズム)の主張を人間中心主義の裏返しだと与しないところで、一方で、アジア的な、自然神への贖罪的行為も単純には自然を穢すことへの罪の意識だと結論づけない。つまり、倫理的な解釈への誘惑を断ち切りながら、自然や動物に対する人間の罪の意識は(罪の意識という言い方ではあらわせないものかも知れないが)それでもある、とそこは決して譲らない。が、彼の出す歴史上の資料は、必ずしも罪業をあらわすものではないので、なかなか難しいところにいる、というのが感想である。

 たぶん、自然への儀礼や、神話的、もしくは呪術的言説をどう読むのか、という問題になるのだろう。一方で、人と自然との関係そのものの、あるいは、その連続と断絶の、歴史的な表象の問題、それをどう論じるのか、ということにも関わる。例えば彼は「情動」を問題にする。それを慈しみや哀れみまで広げると、倫理的解釈だが、それ以前の身体的な動きとして、自然に対する人間の関わり方の回路がある、というようなこととして、とらえ返す必要があるのではないか、というのが、感想であり、秋のシンポジウムの問題にもなるだろうなあ、と感じたところである。

 土曜の朝京都行きの新幹線はから富士山がとてもきれいに見えた。その写真をのせておく。

三月の真白き富士を眺めけり

アニミズムとアニメ2011/03/09 11:22

 昨日(火)は朝から会議で出校。午後、読売新聞社の取材を受ける。実は、読売新聞の文化部の人が『七五調のアジア』に興味をもってくれて、短歌、俳句のコーナーのコラムに、写真付きで紹介したいと言って来た。それで、今日取材を受け写真もとってもらった。少数民族の歌垣の映像をバックに私と本とを写し込むというかなり無理がある構図だが、どんな写真になっているやら。

 たぶん3月中旬頃の夕刊に載るんじゃないかと思う。出版してから、反響が気になったが、こんな形で取り上げてもらえることはありがたい。それなりに、この本の意義を理解してくれる人がいるということであり、苦労して何とか本にした甲斐があったというものである。

 四月からの授業にそなえて、アニメや童話に関する本を読んでいる。もう10数冊は読んだか。メルヘンはドイツ語で民話といった意味だが、結局、ヨーロッパにおけるキリスト教以前の土着信仰(いわゆるアニミズム)を留めた話である。グリム兄弟は、採取した話を幾分書き換えたりしたているが、それは、ゲルマン民族の古層の神話により近づけるためだったと言われている。ただ、あまりに残酷すぎるのは一般読者向けに穏当な筋立てにした。

 これらの民話の特徴は、超自然的な作用の働きによって、主人公がある一定の法則に従って行動するということである。この決まった行動パターンを昔話の「機能」として分類したのがプロップであるが、それはそれとして、これらは不思議話、つまり、空想的、幻想的な民話は児童文学として展開し、リアリズム主流のヨーロッパにファンタジー文学の流れを作る。やがて創作ファンタジーが生まれ、それらのファンタジーが映像メディアによってビジュアル化され、その流れの上でアニメーションが成立する。

 ディズニーの最初の長編アニメが「白雪姫」であるのは偶然ではない。グリム兄弟から始まる、民話によるヨーロッパアニミズムの発掘の試みを始発としているのである。

 日本のアニメも、戦前の「桃太郎の海鷲」といった戦意高揚アニメのように昔話を素材にしているが、なんといっても手塚治虫の「鉄腕アトム」から本格的なアニメの歴史が始まったと言っていいのだろう。つまり、日本のアニメはSFから始まる、というようにも言える。日本のおたく文化はSFファンの集まりから始まったが、このように、アニメの物語的基盤であるファンタジーが、児童文学ではなく、SFから始まるというのが、日本のアニメの一つの特徴である。

 ディズニーが児童文学のファンタジー物語、つまり子供向けの物語をアニメの本質として捉えたのにたいして、日本のアニメは、若者、大人に向けたSFを基盤にしたから、その点で、アメリカと日本とではアニメの物語性に大きな違いがあり、それは今でも変わらない。日本のアニメが、現代社会を生きる若者の現実を物語に取り込めるのは、ディズニーアニメのような枠組みを持っていないからである。

 それなら、日本のアニメには、アニミズムは機能していないのか。アニミズムの定義を広げれば、ロボットを擬人化して人間と同等にみなす「鉄腕アトム」もアニミズム的なのかも知れない。日本の伝統的ロボットアニメの特徴は、ロボットに霊魂を認めることであり、あるいは、人間が乗れば人間と融合する(機動戦士ガンダムやエヴァンゲリオン)ところである。

 エヴァンゲリオンでは、人間はロボットを操縦するのではなくシンクロさせることでロボットを動かす。つまり、自分の身体もしくは心の一部と化すということであって、ここまで来ると、これは憑依して動かすというのと変わらない。その意味では、ロボットは、巫者に寄り憑く神のようなものである。

 エヴァンゲリオンは、ロボット(神)に憑依する宿命を負わされた少年少女の巫病の物語なのだと読めば、むしろ、日本のアニメは、アニミズム的世界観をSF的設定の上で充分にあらわしていると言えるだろう。

 なにやら、アニメの話が民俗学的な話になってきた。もともと、昔話の研究者である、グリム兄弟もプロップも民俗学者なのだから仕方がないだろう。そういうものなのだ。

                       春浅し魔法の解ける日を恃み

チビ逃げ惑う2011/03/11 22:34

 近くのコンビニのATMでお金を下ろしていたら、突然揺れ出した。このままATMが止まってお金がでてこなかったらどうしようなどと考えていたら、だんだんひどくなって、客や店の人たちが外に飛び出した。私は、現金が出てくるまで動けない。何とか、出てきて現金をつかんで慌てて外に飛び出す。駐車場にとまっていたトラックが今にも倒れそうに揺らいでいる。これほどの地震ははじめてである。

 家はどうなっているか心配になって帰ろうとするが、足下が揺らいでいてうまく歩けない。酔ってしまう感じである。マンションは無事。部屋の中は花瓶が倒れて割れたくらいでそれほどの被害はなかった。ただ、チビが逃げ惑い、玄関の扉の隅に避難した。後でそこの床を見ると濡れている。チビが恐怖のあまり漏らしたらしい。

 テレビでは、津波の様子がライブで実況されている。たくさんの人が犠牲になっているだろうに、映像はパニック映画の一場面のような迫力である。津波がこんなにライブで空から撮影される、などということに驚く。津波のその先の道路には車がまだ何台も走っているのに、ただ見ているしかないのである。

 今日は家にいて助かった。ただ、勤め先には教員や助手がいて、帰れなくなり泊まる予定だという。研究室はかなりひどいことになっているらしい。明日行くのが怖い。明日は、B日程の入試。とりあえずやる予定。古代文学会の例会もあるが、こちらはどうなるか。出来ないことはないが、何人出てくるか。

 とにかく、今、この地震によって亡くなったり、悲惨な状況に置かれている人がたくさんいる。被害が大きくならなければいいがと祈るばかりである。それにしても自然の脅威(狂気)とつきあっていくことの大変さをただ思うばかりである。

それでも入試を行う2011/03/12 22:53

 今日はB日程入試で出校。駅までのみちすがら、石塀が崩れている家もある。割合遅れもせずに学校へ到着。助手さん達は昨日から泊まり込んでいた。何人かの学生も帰れずに泊まり込んだらしい。定員割れするのではと心配しているわれわれとしては、他の大学のように試験中止などというわけにはいかない。こういう状況でも来てくれる受験生を大事にしなくては。

 何人かが欠席した。中には交通機関の影響で来られない受験生もいた。むろん、そのような受験生のための対応策も決めた。それで、明日も出校ということになった。

 中国から安否を気遣うメールが来た。わが短大の学生の中に壊滅的な被害をうけた被災地出身の学生もいる。学生は東京にいるが、実家との連絡が取れないらしい。心配である。無事であるといいが。

 研究室はほぼ無傷であった。揺れが南北の向きだったらしく、本棚は南北の壁に立てかけてあるので、本は飛び出さなかったようだ。ただ15階にあるので、この階にいた人は、かなり揺れたらしくほんとうに怖かったという。

 まだかなりの数の行方不明者がいる。無事であることを祈るばかりである。

乾電池が買えない2011/03/14 23:45

 今日は教授会。小田急は新宿・経堂の折り返し運転で成城学園前までこない。他の路線はそれなりに運転してるのに何でだ、と小田急に腹をたてたが仕方がないので京王線の仙川駅に。仙川駅では人が中に入れずに改札口の外に溢れていた。

 午前中の教授会は中止。ただ、午後の短大教授会はおこなうとのこと。入試結果についての会議だから開催せざるを得ない。仙川から京王線に何とか乗ることが出来た。案外すいていて、神保町までトラブルもなく、順調に来た。

 学校では、明日の卒業式をどうしようかという会議に出る。結局延期になった。余震の可能性が高いのと、計画停電で交通機関が不通のところが多い。こういう状況で卒業式を行うことは無理であるし、強行すれば批判されかねない、ということで、延期となった。一日前の決定だから、学生への周知は徹底しない可能性がある。そこで、卒業式だと思って来てしまった学生をどうするか、という対応策を練った。来た学生には卒業証書を授与することは行う。来なかった学生は後日郵送する。卒業式は、なるべく後日行う。4月以降になるかも知れないが。

 地震の影響は卒業式延期だけではない。例えば卒業パーティ。すでに学生は会費を払っていて、ホテルにも払い込んである。例年のようにディズニーホテルで行うのだが、ホテルの方から中止にして欲しいとの連絡があった。余震のことや計画停電という電力不足のの状況では、さすがに、宴会は出来ないようだ。そこで、さあ卒業パーティをどうしよう、ということになった。延期なのか中止なのか、中止なら会費を返さなくては、でも、どうやって、といろんな問題が出てくる。

 B日程の入試結果の発表があり、わが学科は、何とか定員確保のめどがついた。一安心である。東北ではもっと深刻なことが起きているのに、こちらでは、とにかくわれわれの日常をうまく回すための仕事に一喜一憂するしかない。

 私の住んでいる調布は第二グループに属していて、計画では夕方6時半から停電ということになっている。一応今日は中止になったが、とにかく停電対策に、懐中電灯の乾電池を買っておこうと、仙川から自宅までのコンビニやスーパーを覗いたが、棚はすべて空っぽであった。今東京で乾電池を手に入れるのは至難の業なようだ。仕方がない。電池がきれたら暗闇に耐えればいい。東北の人のことを思えばまだ幸せである。

 ほとんどの地区で地震が起こってから津波が襲うまで約30分の時間があった。地震は2時46分だったが、津波は3時10分過ぎだったと記憶している。当初、私はテレビをみながらみんな避難したのに違いないと思っていた。が、どうもそうでもなかったらしい。避難した人もいるが、そうでない人もいる。簡単には動けない人もいたろうし、これほどの津波とは予想せず、余裕を持ちすぎたということもあるだろう。私などもそうだが、災厄の予想はなるべく低く見積もる。その方が安心できるからだ。あるいは、そこには期待や祈りも入っているだろう。たぶん今までの経験で、そういう低い見積もり予想は裏切られなかった。結果的にそのことが災いとなった。教訓にしては、余りに代償の大きすぎる教訓である。

三月や産土の地の底割れる

中国からお見舞いのメール2011/03/16 00:41

 今日は本当は卒業式なのだが、延期になったので、とりあえずの出校。というより、卒業者に卒業証書等の書類を郵送するための事務作業の手伝いのために出校である。わが学科で出校したのは教員は私一人。助手さん達の私とで、袋詰め作業を行う。学生は誰もこなかった。わが大学の情報伝達システムはなかなかのものである。昨日の決定が、メール等を通して学生全員に行き渡る。まあ、学生も気が気じゃないから、また学校からメールかなどといって読まないということはなかったようだ。

 夕方、6時20分から停電の予定。暖房はとまるだろうし、真っ暗になるから、奥さんと、厚着して、懐中電灯を握って、さあいつでも来いと待っていたのだが、6時半過ぎても停電にならない。そのうちなるだろうと待っていたのだが、7時頃に中止になりましたと、屋外に設置された市のスピーカーから放送がある。今回も拍子抜けであった。

 陸前高田市出身の学生がいて実家と連絡がとれないでいた。私たちも心配していた。壊滅状態の街である。ひょっとしてと思っていたが、昨日、その学生の親戚から無事であるという連絡があったそうである。何でも、実家までは津波は来なかったということらしい。ほっとした。親の無事がわかるまで学生はいてもたってもいられなかったろう。しかし、無事で無かった人も大勢いたのだ。そのことを思うと胸が痛む。

 張先生から、東京は大変なことになっているらしい、と安否を気遣うお見舞いのメールが届いた。中国でもみんな心配しているらしい。特に、福島原発の事故が大々的に報道されていて、東京が今にも放射能に汚染される、というような受け止め方をしているようだ。大げさだと思うが、今朝の朝日新聞を読むと、今にも大惨事になるから覚悟して準備しろ、というような書き方である。テレビでも官房長官や東電の広報の人に、本当はもっと危ないのじゃ無いのか、何か隠しているだろうとくってかかる記者がいるが、けっこうマスコミが危機感を煽っているのではないか。

 学校に行ったら、助手さんが、東京に放射能がくるから、放射能を吸わないように研究室の空調は止めたほうがいいと、電話があったので、先生方の部屋の空調を止めました、と言う。私は、ほんとにそうなら政府がきちんと広報するから、あまり、そういう情報に振り回されない方がいいと話をした。

 チェーンメールもそうだが、こういう類いの情報は、政府などというものはもともと信用できない、絶対に大事な情報を隠しているはずだ、という疑心暗鬼の心性によって、広がるものである。いわゆる陰謀史観というもので、阪神淡路大震災のときも、政府の情報操作によって、本当の被害はわからないといった類いの話がかなり横行した。政府は信頼できる、というつもりはないが、こういう震災の時に、公が信用できなければ、われわれはパニックになるだけである。今の政府が信用できるというつもりはないが、少なくとも嘘をついて情報操作をするほどの力を持つ政府で無いことは確かである。枝野官房長官などはむしろよくやっていると思う。仙石でなくてよかったとみんな思っているのではないか。

 今、必要なことは、とにかく冷静になることだろう。食料を買い占めたり、中には、トイレットペーパーも無くなると騒いでいる人もいるという。冷静に考えれば、おかしな話である。

 張先生は放射能が不安なら中国へしばらく来たら、と言ってくれた。仕事がないなら行きたいが、そういうわけにもいかない。福島原発で命を張って事故に対処している人たちの努力を信じたいと思う。

ガソリンがない2011/03/18 00:48

 今日から山小屋へ。疎開のような感じになってしまったが、例年この時期には山小屋で過ごす。むしろ、今年は忙しくてほとんど行く暇がなかった。今回もすぐ東京に戻ることになりそうである。

 ただ、驚いたのが、ガソリンが買えないことだ。午後に自宅を出て、中央高速で茅野へと向かった。ガソリンは半分くらいあった。どこかで入れないとガス欠になるおそれのある量だ。たぶんどこかのガソリンスタンドはあいているだろうと思っていたが、甘かった。まず、調布インターまでの下道のガソリンスタンドはどこも閉店。売り切れの札が貼ってある。仕方がないので、高速に乗って、サービスエリアで入れようということになった。

 談合坂のサービスエリアにガソリンスタンドがある。当然寄ってみたが、すでに車が並んでいた。それでも20分ほど待つだけで入れることが出来たが、なんと、一台五リッターしか入れられないという。つまり、次のサービスエリアまでにたどり着ける量のガソリンしか売ってくれないというわけだ。それでも、五リッターあれば少しは安心である。次の双葉サービスエリアに入ってガソリンスタンドへ。ここも並んでいたがそれほどでもない。が、やはりここも五リッター制限である。合わせて10リッター入れることが出来たので何とか山小屋にたどり着いた。

 山小屋近くのガソリンスタンドが開いていたので、早速ガソリンをいれたら、ここは15リッターまでだという。長野のこの辺りまでもガソリン不足は波及しているのだと実感。

 今、東電の原発作業員が世界中から注目を集めている。まさに命がけで、自己犠牲の精神で働いているとみられている。実際そうであろう。東電は名前を公表していない。東電の社員だけでなく、自衛隊や機動隊の隊員もまた現場で作業している。彼らは被爆覚悟で働いている。が、一方で、被爆の許容量を超えたら待避することになっている。実際放射能の濃度が高すぎて放水作業が中止された。

 外国のメディアはこのことにかなり注目してるようだ。つまり、犠牲を顧みずに危険なところへ飛び込んで国の危機を救う英雄、という物語を期待している、ということである。チェルノブイリの時は多くの消防隊員が火災の消火にあたりかなりの隊員が被爆によって死亡した。9.11のテロでは、ニューヨークの消防隊員がやはり多く犠牲になった。メディアは彼らを英雄として扱った。

 今朝の朝日新聞は、民主主義は犠牲を強制できるのか、という問題に直面している、という記事を載せている。つまり、今、まさに、あのサンデル教授が授業で提起するジレンマ問題に私たちは直面しているというわけである。

 このまま放射能汚染をおそれて原発の消火が出来なければ、大変な事態になる。誰かが、安全な基準を超えることを覚悟して消火活動しなければならないのかもしれない。が、そうだとして、それをだれも口には出来ない。

 しかし、現場の作業員をこういう状況に追い込んだのは、天災でなく人災である。まずこのことを明確にするべきだろう。冷却水を作動させる装置がこんなにも簡単にダウンするのは、地震や津波に対する対策の甘さと言われても仕方ない。また、人員をもっと確保するべきであり、総力を本当にあげてこの事態に対処しているのか、疑問に思う。東電の社長が現場に入ってまず被爆の実態を自分の身体で確認する、というくらいのことがあって、現場の人たちは納得出来るのではないか。時に為政者は自分の責任を曖昧にするために、現場で犠牲的に働く人たちを英雄として祭る。戦争などでいつも繰り返されることである。

 この原発のトラブルで、決死隊という言葉が外国メディアに使われているようだが、こういう言葉に安易にのってはならない。こういった危機の解決は、周到な準備と冷静な判断によるものであって、「グスコーブドリの伝記」のような誰かの自己犠牲で解決出来るほど簡単なものではないはずだ。むしろ、なかなか解決されない事態に周囲がいらだって、現場に何かとプレッシャーを与え現場の冷静さをうしなわせることのほうが返って危険である。

 周囲が出来ることは、現場の作業員が命がけにならないように、万全の準備をどう整えるか、しかない。彼らが英雄にならないほうが、この危機はうまく乗り越えられる、と私は思う。作業員の家族は、英雄になるより無事に戻ってくることを切に願っているだろう。

物語ではない2011/03/19 00:37

 こちらは真冬なみの寒さ。昨夜はマイナス11度まで下がった。今日はとても天気がよくて、昼間は暖かくなった。締め切りの論文を書くために、少数民族調査のビデオを見て、必要なところは文字に起こすなどし始める。が、なかなかはかどらない。何となく、論文を集中して書く気になれないというのがある。体調も芳しくない。疲れが出て来たようだ。

 ついテレビを見てしまう。福島原発も気になる。一週間経って、被害の実態がだんだんわかってきて、悲しい話もあれば、良い話もある。様々な物語が語られている。悲しい話は山ほどだが、良い話は少ない。釜石市の小中学校で、普段から津波の避難訓練をしていた生徒たちが、訓練の時のように指定された避難場所に逃げたが、そこも危ないと判断しさらに高台に逃げた。逃げた30秒後に津波が押し寄せたという。日頃から、中学生が小学生を助けながら避難する訓練をしていてその通りに行動したことが全員助かることにつながったという。こういう話がたくさんあるとこちらも救われる。

 釜石では危機管理の専門家のもとにハザードマップを作り、津波の避難訓練を何度もやってきたが、今回の津波は想定された歴史上記録(明治三陸地震津波)のあるもっとも高い津波をはるかに上回った。生き残った人たちは、こんなに何度も訓練したのに無力だった、と嘆く。

「遠野物語」99話に、津波で妻と子どもを亡くした男の話がある。男は、生き残った子どもと一緒に海岸に小屋を掛けて暮らしていた。ある月夜の晩、便所に行ったところ、深い霧の中から男女二人がやってくるのを見る。その女は津波でなくなった妻であった。妻は、同じ津波で死んだこの男と今は夫婦になっている。生き残った夫が妻のところに婿入りする前に、妻が思いを交わしていた男なのだという。夫は、生き残った子どもは可愛くないのかというと、妻は悲しそうな顔をして去っていった。

 この物語の津波は釜石市が対策のモデルとした明治三陸地震津波(1896)だろう。悲しい話であるが、あの世で好きな男と一緒になれたということは、この物語の語り手の死者への想いがくみ取れる。おそらくこのような話が当時はたくさん語られたのに違いない。この物語は、津波から一年後ということである。生き残った人々が死者と出会うのはこの位の月日が必要なのだと言うことだ。

 今、津波にあって生き残った人々にとって、行方不明者は死者ではない。生きていることを信じて必死に探している。今語られている物語は、ノンフィクションである。その意味では物語ではない。

 山折哲雄が新聞のコラムで、今私に出来るのは「無常観」を共有することだ、と書いていた。私もまた同じである。