悔やむことばかり2010/11/30 00:38

 先週の土曜は、中村生雄を送る会。場所は立正大学である。中村氏には供議論の研究会に入れていただいて、いろんな勉強をさせてもらった。アジア民族文化学会の運営委員として発足からずっと一緒にやってきた。だから、彼の死はショックだった。死は抗いようもないことだが、でも、やはり、彼のようにまだまだこれからという人の死は、残念である。

 彼の仕事をテーマにして、山折哲雄の講演と分野を異にする研究者等によるシンポジウムが行われた。二次会は中村さんを偲ぶ会で、近くのホテルで行われ、友人や関係者のいろんなお思い出話が披露された。 

 中村さんは私のホームページやブログの文章をかなり早くから読んでいただいていていつも感想を言ってくれるありがたい人であった。奥さんと同じ高校で、二つしか歳が違わないので、一度会って話しでもと言っていたのだが、その機会もなく逝ってしまわれた。

 その前の週の土曜は、私の叔父の納骨式があり、埼玉県の岩槻まで出かけた。どうも二週ほど人を送ることばかり続いた。おじさんは、私がまだ幼い頃、母子家庭だったのだが、母が子ども二人抱えて苦労していたとき、とても世話になった人だ。川口の旋盤工で、根っからの職人である。私は、このおじさんによく似ていると言われている。墓園の法事の会場に入っていったとき、親族が初対面の私の顔を見てひそひそと話し合っていた。後で聞いたら、死んだ叔父にそっくりな人が入ってきたとささやきあっていたらしい。

 親族とはほとんど初対面である。息子さんと娘さんとは彼らが小さい頃に会ったことがあるが、やはり初対面のようなものだ。納骨式に出かけたのは、葬儀の時は仕事で出られなかったということもあるが、昔世話になった人なので、忙しいときではあったが、出ることにしたのである。

 法事の会食の後、私はおじさんの子どもさん達の車に乗せてもらって駅まで送ってもらった。娘さんは、もう50歳近い人だが、子どもの頃、父はとても短期ですぐ母を殴るので怖くてたまらなかった。母がかわいそうだったと親戚に話をしていた。人は好いが話し下手で短気な職人なので、家では傍若無人だったのだろう。北野武の父親みたいな人だと思えばいい。奥さんはもう十数年間前にガンで亡くなっている。

 私は、なんだか、このまま黙って車を降りるのも気が引けて、実は、子どもの頃おじさんにはとてもお世話になった、恩人だと思っています、と娘さんに話した。話を聞いていた親戚もあの人は気が荒いけどやさしいところも有るのよね、と相づちを打ってくれた。私も話をして少し気が楽になった気がした。本当はおじさんに直接言わなければならなかったのだが、生きている時はそのように思わないのだ。亡くなって初めて恩に気付く。だから、みな弔いに集まり死者に手向けをするのかもしれない。生きている時の関係というものは、私もそうだが自分のことで手一杯でみな互いに薄情になる。誰かがいなくなったときにその薄情さに気付く。その時はもう遅い。歳を取ると、こうやって、悔やむことばかりが増えてくる。

 中村生雄を送る会を終えて、最終でそのまま茅野へ向かう。次の日、実は、リンゴ狩りで、契約してある林檎の樹の収穫が終わっていないのである。奥さんが先週行って取ったのだが、まだかなり残っているのだ。収穫しないと腐らしてしまう。かといってなかなか長野に行く暇もない。日曜何とか一日空けて収穫たというわけである。

 脚立に乗って林檎をもぎとっていたら携帯がなった。出たら職場の教員から学校の雑務の連絡。さすがに林檎狩りの最中だとは言えなかったが、こういうときに掛けてくるのはやめて欲しい。

 残りの林檎を収穫し、帰りは関越で坂戸に寄りS宅に寄り夕食を一緒に食べて夜帰宅。くたくたにくたびれたが、明日からの授業の準備をして寝る。

                        林檎齧りつく子等に笑いたり

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