一葉ゆかりの地2010/11/15 23:26

 休みのない日々が続く。先週の土曜日は補講である。秋田に公務で出張したのだが、その補講である。2コマやったが、一つのコマは、僅少コマで、人数が少ない。用事のある人は出なくてもいいよ、といったら、出席者はたったの一人。覚悟はしていたが、さすがに広い教室で一対一は寂しかった。でも、出席した学生は欠席が多かったので、欠席した授業の解説をしてあげた。

 日曜は推薦入試の試験。考えて見れば、先週の土日は学会で休みかなく、今週も休みがなく、そして来週もまた推薦入試で潰れる。風をひかぬようにこなしていくしかない。図書新聞から書評の依頼あり。締め切りは12月中旬。引き受ける。何とかなるだろう。ただ、今月中に論文を一本書かなきゃいけないのだが、これも何とかなるだろう。

 今日、天気が心配だったが、学生達を連れて、春日を散策。樋口一葉の旧跡を尋ねる学外授業である。一葉終焉の地、旧伊勢屋質店、菊坂町の一葉ゆかりの井戸の三カ所を巡った。学校から地下鉄で二つ目。学校から出発し、散策して戻るのに一時間。授業時間内に散策が終わる。こんなに近い所に、樋口一葉ゆかりの地がある。学生達も喜んでいた。

 一葉生誕百年の時にNHKで放映された一葉の伝記ドラマ全5話を見せていたので、雰囲気がよくつかめたものと思う。特に菊坂町の井戸のある辺りは、明治の路地の面影が残っていて、一葉の世界を体感できたのではないかと思う。23日は一葉忌なので、赤門前の法真寺にお参りをして、それから、三ノ輪の一葉記念館に行く予定。

 樋口一葉は24歳でこの世を去ったが。長生きしていたらどのような小説を書いたろう。問題は、言文一致の文体で果たして小説が書けたかどうかだ。平塚雷鳥などは、一葉を古い時代の女として批判している。新しい時代の人間、特に女性を描かなかったからだ。が、一葉は、近代という時代の底辺に生きる人間の苦悩を見事に描いている。この人間の描き方を、言文一致の文体で描けたかどうか。何とも言えないが、かなり苦労したのではないか。少なくとも自分がそういう文体に見合う生き方をしなければならなかったはずだ。

 若くして死んだのは、一葉のあの文体で傑作をものする最後の時を生き切ったということだったからかもしれない。あの文体で人間を描ききるのはあそこまでだったということを、「文学界」の青年作家とつきあいながら、一葉はわかっていたと思う。次の新しい文体を身につけるのは、かなりの精神の体力が必要だったろう。それに耐える力を持っていなかったということである。

 しかし、「たけくらべ」「にごりえ」が今なお感動的な作品であるのは、その文体のせいでもある。言文一致ではこのような感動はうまれなかったろう。人間の内面を文語体でこんなにリアルに描いたということは奇跡ですらある。人間を描かざるをえないという時代の到来と、古典的な物語のスタイルを描く文体の退場が、互いに重なり合う時を一葉は生き、そこで奇跡のような作品を生んだということである。

 学生には毎回、幸田弘子の朗読を聞かせて声に出して読むように指導している。身体で読むというのが樋口一葉を読む最適な方法だと思っている。

                            一葉忌菊坂町で物思い