ドンキホーテ2010/06/03 00:30

 忙しさは相変わらずで、ブログを書く暇もない。今日は鳩山首相の辞任のニュースが飛び込んできた。ある意味では当然だろうが、よく考えると何でやめるのかわからないところもある。結局、実現の見込みもプロセスもあまり考えずに理想論ばかり言って、にっちもさっちもいかなくて詰め腹を切らされたというところだろう。

 沖縄の基地問題は日本の戦後が残した課題であり、だれかが手をつけなければずっと先送りされる問題だ。政権が今まで解決に向けて積極的でなかったのは、解決が簡単でないことがわかっているからで、独裁的と言われた小泉首相でさえ積極的に解決をはかろうとしなかった。

 そのことに疑問を投げかけ私が解決すると宣言した首相に、結局だめだったのだから責任とれというのは何となくすっきりしない。これが通るのなら、これから解決が困難だと思われる問題には誰も首をつっこまないだろうし、結局現状維持が常に賢明な選択になってしまう。時には、後先考えずに、これ解決しますと無謀に宣言する首相がいてもいいのではないか。周囲は振り回されるにしても、そういうことがなければ、誰もやっかいな問題にほおかむりして、問題は常に先送りになるだけだ。

 鳩山首相は沖縄の人たちに期待を抱かせたからよくないというのも、沖縄の人には失礼な話だ。沖縄の人は期待を抱いてはいけない(どうせ解決できないのだから)というのだろうか。そんな馬鹿な話もないだろう。期待を抱かせたら必ず実現しなきゃいけないというのはわからないではないが、実現が無理な話については期待を抱かせることを言うな、というのは、見下したような言い方である。振り回された沖縄の人たちは大変だったろうし、途中で辞めるな、もっとぼろぼろになるまで努力して辞めろ、といいたいだろう。その意味でも、今辞めるのは、逃げた、といわれても仕方がない。 

 リーダーとしての資質や資格がないという意見はわからないではないが、この八方ふさがりの基地問題を解決できるリーダーの資格とはどういう資格だろう。誰が首相になっても解決できないことは、誰もがわかっていることだ。それこそ、小泉首相以上のヒットラーのような独裁者じゃないとだめだ、ということになるだけではないのか。

 結局、日本人の誰もが解決できないいらいらする問題を蒸し返され、蒸し返した張本人である鳩山首相をスケープゴートにして責任をとらせたというところなのではないか。選挙のこととか民主党にもいろいろ事情はあるようだが、責任とるなら、この問題を先送りにしてなるべく見ないようにしてきたほとんどの日本人に責任があるのは明らかなのだから、鳩山首相は、自分は、現実を直視せず利己主義的にふるまう戦後の日本人の代表として責任をとります、というくらいのことをどうどうと言うべきだろう。そのくらいのことを言わないと、哀れなドンキホーテで終わってしまう。私は麻生首相のあっけらかんとしたところも嫌いではなかったが、鳩山首相のドンキホーテぶりも嫌いではない。平野官房長官のサンチョパンサぶりもなかなか似合っていた。

 米軍が沖縄に基地をおくのは、日本の軍備増強を監視し軍事大国になるのをふせぐためだという説がある。つまり、米軍が沖縄の基地を撤退し日本の基地を縮小すると、中国や北朝鮮が日本を警戒し、東アジアは不安定になる、という考え方だ。

 つまり、米軍の撤退を望むということは、軍事力の増強によってでなく、平和の理念と外交力によって国家の自立を図る、というかなりの覚悟が必要である。米軍の代わりに日本の軍事力を増強する、ということならば何の問題解決にもならない。そういう覚悟が日本人にあるのか、と自問すれば、たぶんないということは明らかだ。あれば、そういった理想をずっと唱えている社民党があれだけ弱小政党であるはずがない。外交で世界と渡り合う自信など無い。軍事力は必要だが、かといって軍事大国にはなりたくない。平和国家を標榜する心地よさを失いたくない。アメリカ軍がいるから嫌なことは彼らに任せればいいではないか、というのがたぶん大方の本音である。

 日本人のおおかたがそういう考えである以上、沖縄の基地問題は解決しない。社民党が政権与党にならない限り、この問題は解決しないということだ。多くの日本人が社民党に投票する日はくるのだろうか。わからないが可能性がないわけではないだろう。私は別に社民党を応援しているわけではないが、そういう日が来るのも悪くはないと思う。たぶん、経済はめちゃめちゃになるだろうが、日本人がみなドンキホーテになるのもいいではないか。 
六月やサンチョパンサと立ち往生