歌うネアンデルタール人2010/03/19 00:35

 相変わらず出校。校正やら、授業の工夫アンケートをまとめる作業とか、行けば仕事が待っている。このままだと3月はほぼ毎日出校となる。これじゃ、4月の準備も何も出来ない。何とか来週は出校しない日を作らないと。

 授業の工夫アンケートというのを教員対象に実施し、それをまとめて、教員に送る、ということを今やろうとしている。とにかく、教員に授業で心がけていることや工夫をしていることなどを書いてもらい、それを公開するというものだ。かつて、予備校で教えていたとき、講師同士の競争が激しく、ある講師はスパイを送り込んで人気講師のノウハウを盗んでいるなどという話が飛び交った。予備校は人気不人気が生活に直結するから講師も大変なのである。大学はそういうことはない。ただ、教員の授業がつまらないと今度は大学間の競争に負けてしまう。従って、教員同士が助け合って大学の教育の質の向上をあげていかねばならない。これをFD活動というのだが、授業の工夫アンケートもこのFD活動の一環である。

 山形大学などは、授業で教員がこういうことをしてはいけない、というチェック集をビデオにまとめて公開している。これが評判になっている。今、全国の大学ではこのFD活動花盛りなのである。わたしたちもその流れに乗り遅れないようにしている、というわけだが、ただ、自分なりに工夫しているものが、けっこうみんなもやっているんだなと改めて、他の教員の努力を見直すこととなった。

 『歌うネアンデルタール』という本を読了。厚い本だったが何とか読み終えた。考古学的な資料に基づきながら、ネアンデルタール人やホモサピエンスは歌をうたっていただろうか、ということを追求した本で、テーマは面白いのだが、結局、肝心なところは推測でしかないというところに、欲求不満か残った。

 ネアンデルタール人は、言葉を話さなかった。しかし、声を発して歌のようなものはうたっていたはずだ、と言う。われわれの祖先ホモサピエンスは言葉を話したから当然歌を歌った。

 ただ、感動したのは、ネアンデルタール人は、25万年間続いて滅ぶのだが、その間もほとんど同じ生活を続けていたということ。平均年齢は36歳くらい。世代交代を平和に繰り返していたと言うことだ。25万年というのはわれわれ人類の歴史の長さから比べると永遠と思えるほどではないか。

 ホモサピエンスも20万年前に現れ、4、5万年前にネアンデルタール人にとって代わった。それまではほとんどネアンデルタール人と同じく、狩猟、採集の同じ生活を繰り返していたのだ。が、農耕を始め、言語の情報量を飛躍的に高めることによつて、一挙に文明化していく。文字を発明してからまだ数千年なのに、その進化は累乗的である。たとえばあと1万年この調子で世界が発展しつづけるなどともう誰も思わないだろう。そう考えれば、25万年間同じような生活を続けたネアンデルタール人は偉いなと感動してしまう。

 そうすると言葉特に文字の威力というのはすごいと思う。恐竜の時代は1億6千万年続いたが、隕石の衝突で終わりを告げる。この1億6千万年という長さもすごいが、ある意味では、文字の発明は、この隕石みたいなものだ。何億年間の時間の進みを一挙に別の時間軸に変化させてしまう。文字をもった人間が1億年持つとは誰も考えないだろう。文字を発明してまだ5、6千年しか経っていないのに、もう文明の終焉などと言い始めている。だが、歌は、文字以前から、ネアンデルタール人も歌っていたとすると(われわれのような言語はもっていないからハミングみたいなものか)、歌は、何十万年、ひょっとすると一億年持つと言えるわけである。われわれの無意識の底にはネアンデルタール人の心の世界が記憶されている、と以前「脳と宇宙」という番組の解説にあった。つまり、歌うということは、文字という隕石を人類が手に入れるはるか以前のネアンデルタール人の心の世界に戻れる、ということでもある、ということだ。そう考えると、面白い。

                    花の下ネアンデルタール人も歌いけり

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