卒業パーティ2010/03/18 00:20

 15日から16日にかけて卒業式、コースの教員の懇親会、卒業パーティと学年最後の行事が続いた。卒業式は私は学科長なので、全コースの写真撮影では真ん中に座らされた。こういうのも今年で終わりである。

 講堂で行われる卒業式は、30分ほどの短いものだが、看護の学生が謝辞を読み、途中で声を詰まらせたものだから、教員のほうも思わず目頭を熱くさせていた。こういう涙の卒業式もいいものであるが、久しぶりの体験である。

 翌日卒業パーティで、いつものようにディズニーランドホテルである。ここでやることがもう定番になってしまっている。オープニングに、ミッキーやミーニーちゃん、ドナルドがで出来て、会場は大騒ぎになる。これが魅力なのだろう。

 今年は人数が多くてなかなかよい卒業パーティだった。不況のなか、パーティ代を集めるのも大変で、参加者も何人になるか心配していたが、120名以上集まったので、盛況というところである。パーティ委員たちにはつまらないことにお金を使うなと言っておいた。たとえば、出席した教員に花束を贈るのは止めなさいと言った。花束の費用はけっこう高くなるし、だいたいあれは持って帰るのが面倒だから、手作りでお金のかからないものにしたらとアドバイスした。そのアドバイスのせいかどうかわからないが、花束はなしで、ハンカチと学生たちの感謝の言葉がたくさん入ったアルバムを贈られた。私が教えた学生たちの言葉がたくさん入っていて、他の先生たちも同じだろう。学生のメッセージを集めた手間暇は大変だったろうと思うが、こういうのを心のこもった贈り物と言うのだ。近年にないいい卒業パーティだったと思う。

 卒業パーティは2時で終わり、私はすぐ学校に戻る。基礎ゼミナールの初校校正をしなきゃならないのと、5時から、学会のメンバーと穂村弘が私の部屋に来ることになっていて、4月のシンポジウムの打ち合わせするのである。

 穂村さんが学会のメンバーとやってきて、いろんなことを話した。短歌の定型の話がテーマなのだが、結局、初対面の知らない者同士が、どういう話題で共感したり噛み合ったりするのか、まずは探り合いながらの雑談だった。

 穂村さんの話し方も話も対談集『どうして書くの?』とほとんど同じだった。むしろ、穂村さんは私の本など読んでいないだろうから、私が何者なのかわからず話をしていたのだと思う。私は短歌評論家ではなく、万葉集や中国少数民族の歌文化の研究者として話をしたのだが、興味を示してくれて、いつのまにか穂村さんが私に質問し私がそれに答えるという展開になってしまった。ただその質問が、本質的で、たとえば万葉の時代の人々にも所有欲はあるでしょう?とか、死は怖かったんでしょうか、とか、次から次へと率直に聞いてくるので、私は戸惑いながらも、こうなんじゃないですか、と何とか答えていたが、気がついたら二時間がたってしまった。

 あんまり打ち合わせという感じでは無かったのだが、とにかく、穂村さんといろんな話をして時間をつぶせるということだけは確認出来た。それだけ確認出来れば上々である。4月のシンポジウム何とかうまく行けばいいのだが。ただ、4月10日なので、授業もまだ始まっていないので、宣伝があまりできない。せっかく穂村さんを招くのに、参加者が少ないのではないかとそれが気がかりである。

                       乙女らは泣いて笑って卒業す

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