FD活動2010/03/08 00:51

 金曜日に何とか短歌の時評を書き上げた。寺山修司の未発表歌集『月蝕書簡』を読み、寺山修司にとっての定型の意味について書いてみた。晩年に寺山は短歌を書き始めたが、結局、発表にはいたらなかった。その理由は、寺山自身が定型にたいして構えてしまったのだと考えられる。歌人としての若き寺山は、定型の力でそれこそ新鮮なことばを次から次へと生み出した。ところが、短歌を止めてからは、その定型に対して、自分を反復するだけではないかとか、個を失わせるとか悪口を語る。

 晩年の未発表短歌はある意味でその悪口の対象となるような歌である。が、問題なのは、それでも、歌作りを続けていたということだ。結局、寺山はどこかで定型の力に期待したのである。が、表面では定型を批判的に語る。晩年はどうもそういう分裂をかかえこんでいたようだ。そんなことを書いて見た。

 土曜、日曜と、京都同志社大学でのFDフォーラム研修会に出席。校務の出張である。勤務校のFD委員と一緒に参加。勤務校のFD活動(いわゆる授業改善運動のこと)をいかに盛り上げるかというテーマを抱えて、FD活動の先進地、関西圏の大学のFD活動の報告を聞いた。この研究会への参加は私は3回目になる。

 最初に参加したのは7、8年前たった気がするが、それにしても日本のFD活動もかなり進んできたなと実感。岡山大学の報告を聞いたがこれはかなり過激なものであった。というのは、大学のFD活動の委員会の委員長は学生なのである。つまり、学生と、教職員で委員会を構成しているのだがあえて委員長を学生にしたというのだ。30名以上の学生が委員になり、教師の授業改善運動をするのである。これってすごくない?

 FD活動だけではなく、学生が受けたい講座を企画して学校側に提案できる、という。そして、それを教える教員も学生たちが指名するか、公募するというのだ。その講座の教員は、教える技術や知識があれば職員であっていいという。ある講座の教員を学内公募したところ、ある職員がそれなら教えられると手をあげ、他に誰も手を挙げなかったので結局、職員がその講座を持つことになったという。

 いやはやここまで行ってしまったのかと驚いたが、シンポジウムのパネラーの一人山形大学の教授が、自分が学生の頃、教員の授業改善に加われなんて言われたら、自分のことを考えるだけで手一杯で、何で教師の手助けをしなきゃいけないのだと絶対に断っていたろう、と語っていた。同感である。ただ、20人に一人くらいはそういうことが好きな学生がいるかもしれない。そういう学生を育てる意味はあるかもしれないがとも語っていた。

 今や、アンケートをとるなんていうのは当たり前。アンケートをとらない大学は旧石器時代くらいの大学になってしまっている。大学はただ通過すればいい、学問は自分でするものだ、などと言うのもかなり昔の懐かしい話題である。

 ただ、おもしろいと思うのは、こういうFD活動もまた研究の対象になってしまったということだ。学会が出来、これを専門に研究して飯を食っている奴がけっこういる。嫌々渋々つきあいながら、でも、それを専門にしてしまう、というところが、何でも商売にしてしまう資本主義とよく似ているなあと、感心する。自分の授業をおもしろくしようと努力するより、どうしたらおもしろくなるのか、研究したり議論したりする方が楽しいのである。これは、われわれの業というものなのかもしれない。

                        春めきてもつれた思考風通す

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