学会のシンポジウムが終わる2009/10/26 00:09

 24日、アジア民族文化学会の秋の大会、「アジアのなかの古事記」シンポジウムが終わった。三浦佑之、工藤隆、百田弥栄子、というそうそうたるメンバーによるシンポジウムで、やはり聞き応えがあった(司会は私でした)。

 古事記をどう古事記以前の姿に戻すのか、というのがこのテーマの持つ意図なのであるが、その方法は三者三様だった。三浦氏は、「アジアのなかの古事記」ではなく「古事記のなかのアジア」ではないかと異論を唱えた。「アジアの中の古事記」では古事記を絶対化してしまうのではないかという危惧である。なるほどそういう見方もあるのか。こちらは、アジアというより大きな地域の中でできるだけ古事記を相対化しようと「アジアの中の古事記」とつけたのだが、ネーミングは難しい。というより、これは曖昧な日本語問題なのかもしれないが。

 百田さんの発表は、いわゆる中国の様々な神話伝承を、話形素という形で抽出して比較するもので、その方法によって古事記との類似はいくらでも出来るという発表であった。ただ、この手の比較には批判は常につきまとう。というのは、蒐集した神話伝承の生態そのものが見えないからで、これは工藤氏からの批判である。儀礼として生きているのか、すでに昔話のように語られているのか、そういう生態が見えない比較は歴史をすっぽりと落としてしまう、という批判である。

 ただ、百田さんの方法は、ある意味で比較研究のとっかかりであり、比較というのは、まずどうして文化も地域も違うのに似ているのか、という驚きから始まる。そうしてたくさんの神話伝承を集めて、共通している要素を見出し、そこに意味づけを加えていく。これは、柳田民俗学の方法でもあったが、まずはそういうところから研究は始まるのだ。ただ、問題は意味づけであり、レビィ・ストロースのようにある構造の問題として普遍化してしまうやり方もあれば、より広範な文化特徴として意味づけていく方法もある。この方法は、かなりの数の神話伝承を集めなければならないという量の問題と、意味づけをする研究者の力量によってしまうところがあり、柳田民俗学や、レヴィ・ストロースのような数少ない大物の仕事しかなかなか世に残らない。

 百田さんはかなりの数を蒐集し、興味深い意味づけも行っている人である。ただ、まだまだ中国の神話伝承(口頭伝承)の研究は歴史が浅い。中国各地には膨大な口頭伝承が残っているはずで、それを掘り起こす仕事は、百田さんのような方法でやるしかないのだと思う。

 工藤氏は、神話の表現態や社会態という方法概念を持ちだしてきて、表現がどのようなパフォーマンスを伴っているか、とかどのような社会的な意味・役割を帯びているか、という点を、神話を読むときに重視していくべきだという。つまり、神話の表現を、現実に機能している現場に戻す作業というべきか。それを中国少数民族の神話から探ろうとするのである。

 古事記をめぐる、三浦さんと工藤さんのガチンコ対決、というのを期待して来た人も多かったようだが、お互い歳をとったのか、お互い違いを認めつつ穏やかな雰囲気であった。もの足りない人もいたかも知れない。

 司会として無事終わってほっとした、というのが正直なところである。インフルエンザで学校閉鎖になったらどうしようとか、いろんな事を考えて準備してきたので、とにかくまずは一仕事終えてよかったというところである。

 25日は、古代の研究会。渋谷のマイスペース。ここは駅のすぐそばで便利で良い。別の学会では、歌舞伎町のマイスペースをよく使っているが、あそこは、場所柄ヤーさんが会議を開いていたりとか雰囲気が良くない。前回から渋谷のマイスペースで研究会を開くことにしている。

 私の発表で、歌の力学というような話をしたが、その前にMさんによる宮古島の祖神祭にまつわる地元のいろんな話が聞けた。それがとても面白かった。今では、大神島でしか祖神祭は行っていないが、取材は一切無理だという。Mさんが宮古の島尻で、祖神祭の講演をしたとき、大神島からおばさんたちが聞きに来ていて、祖神祭の話を始めると、あるおばさんは身体が震え初め、神がかった状態になつたという。とても怖かったそうだ。

 これは24日の大会の時に聞いた話しだが、ビジュアルフォークロアのKさんによれば、今、久高島で、25歳の女性が神役を勤めていて、この人がとても評判がいいのだという。実は、かなりヤンキーだつた女性で今でも髪は茶髪らしい。ところが、巫病になり、神懸かるようになって、久高島に伝わる神歌を誰に教わったわけではなくきちんと歌うのだという。それで、この娘はすごいと評判なのだというのだ。

 さすが、沖縄は、まだまだすごいところである。

                      身に入むや結論のない一日に