万葉のシンポジウム2009/09/27 23:33

 昨日の土曜は、京都で研究会。京都学園大学の町屋キャンパスというところで開かれた。ようするに、京都の民家である町屋を借り受け、そこを会議や授業なども出来る小さなキャンパスにしたというわけだ。さすが京都で、こういうキャンパスは東京じゃ無理だろうなと思う。京都の町屋の雰囲気があってなかなかいいところだった。雨が降ったら、靴下を替えて上がらなくてはいけないなどと注意されていた。

 その夜メンバーで飲み会。私は最後まで付き合わなかったが、M氏がかなり酩酊状態になったと聞いた。彼は京都在住で、タクシーで深夜帰った。京都のいいところは、京都市内や郊外に住んで居ればの話だが、飲み会になっても、タクシーで家までそう料金がかからないということだそうだ。つまり、東京のように終電を気にせず飲めるということで、そのせいかM氏はかなり飲んだようだ。

 今日(日曜)は、奈良の明日香にある万葉文化館でシンポジウム。研究会のメンバー6人の発表だった。80名近くの聴衆。地味な企画によくぞこれだけ集まった。関西の知りあいの研究者も来ていた。万葉文化館の玄関には奈良のゆるキャラ「せんと君」も立派に鎮座ましましていた。

 テーマは「アジアの歌と万葉集」というもので、なかなかおもしろかったのではないかと思う。特に壮(チュアン)族の歌垣研究者であるTさんの発表はなかなか興味深いものだった。壮族は歌垣が盛んだが、声で歌のやり取りをするのではなく、歌を手紙(要するにラブレター)に書き留めてそれを相手に渡し、相手も手紙で歌を書いてよこす場合があるのだという。ほとんど、日本の贈答歌の世界である。

 女性は字が読めないし書けないので、男から手紙をもらうと誰かに読んでもらう。そしてまた男に代作を頼む。つまり、実際は男が歌のやり取りをているわけになる。重要なのは、その歌の内容が、書かれた場合には、声で歌う即興の場合とはやや違うということである。ある流布された詩句を手本にした類型的な内容になるという。何が興味深いかというと、万葉集の贈答のレベルもまたそのような傾向にあるのではないかと思われるから、そのような、字で書かれた万葉の歌の詩の生成を、ある意味で、こういうところで、つまり壮族の手紙での歌のやりとりというところで確認できる、というところが面白いのである。

 私の発表は、言わば、掛け合い歌の力学といったもの。つまり、歌を掛け合うということは、相手との一定の距離を保つ、という力学がはたらくのではないかというもので、従って、近づき過ぎれば離れようし、離れすぎれば近づこうとする。こういう力学は万葉集においても見いだせるというもの。まだ十分に練られていないなあ、というのが発表が終わってからの感想である。

 夕方、シンポジウムが終わって、そのまま京都に戻り、東京へ。そんなこんなで忙しい二日間であった。

                           大和路の万葉人に彼岸花