老後を自然の中で…2009/09/23 12:24

シルバーウィークは山小屋で過ごす。仕事を持ち込んでと意気込んだが、結局、半分ほどしか出来ない。いつもこんな調子である。でも、半分は出来た。私の場合、だから、余分に仕事の予定を立てて、最低半分の仕事はこなす、ということにしている。そのようにしておけば、仕事はそれなりにはかどるというわけだ。

 ただ、今回は、山小屋での肉体労働で背中を痛めてしまい、屈伸ができなくなり、思うように身体が動かなくなってしまった。重いものを運ぶときなど時々やるのだが、今回もやってしまった。

 山小屋の近所で樹木の伐採をしていて、伐った樹をくれるというので薪ストーブを使っている何軒かの家に声をかけて樹を取りに行った。けっこう重い丸太で長さは1メートル50はある。それが山の斜面に積んであり、みんなで運んだのだが、結構な量である。家に戻って、道路際に樹を積んで、雨に濡れないように透明の板を載せて覆った。

 実は、前日に何処かへ植えたらと植木屋がブルーベリーの樹を持って来た。ブルーベリーを植えなくてはということで、薪を運んだ後に、敷地の石ころだらけの斜面を掘ってブルーベリーを植えた。これがけっこうきつい作業で、それだけで、私の肉体は軋みを立てていたらしく、突然、背中の脇の筋肉に鋭い痛みが走り、力が入らなくなった。

 それからが大変である。坐るのにも立つのにも腰に痛みが走り、顔をひきつりながら身体を動かしている。

 昨日は渋滞だろうということで夜遅くに山小屋を出る。ところが中央高速の大月から小仏トンネルまで30キロの渋滞である。夜中の11時でである。渋滞を抜けるのに2時間以上はかかるというので、あきらめて大月から河口湖へ、有料道路を走って御殿場に出た。大月から東名の御殿場インターまで45分。そこから用賀インターまですいていれば1時間ほどだが、やはり渋滞していたので、一時間半。それでも大月から2時間ちょっとで用賀に着いた。用賀から自宅まですぐなので、結果的にこっちのほうが早かった。

 別荘地にはいろんな人が定住している。ほとんど定年後の人生を自然の中で暮らそうと移ってきた人達である。が、暮らすとなるとそう簡単ではない。それなりに人との付き合いもあるし、身体を動かしたり、前向きにいろんなことに興味を持って生きないと、すぐに辛くなる。自然が豊かな地域は、一人で生きることが出来ない地域ということでもある。夜は暗くて寂しい。やることがないとほんとに退屈でもある。

 私などはほとんは山小屋で暮らしたいのだが、ただ、健康でないとまず無理である。最近その健康に自信がない。自然は好きなのだが、自然とつきあうのはけっこう体力がいる。和田峠に名水を汲み行ったが、途中道路を横切る狐を三匹見た。痩せているのもいれば太っているのもいた。彼らも体力勝負である。体力が無ければたちまち死ぬ。それも自然の摂理だとしても、狐だって長生きはしたいだろう。長生きなんぞしたくないと強がりを言うのは人間だけだ。

 近所で、一人で山小屋に住んでいる老人は、ここで私は狐のように動物になって生きていますと言っていた。定住はしていないが、詩集を何冊も出しているこれも近所に住む元教師は、自然の中に住んでしまうと自然のことがよくわからなくなる。だから、時々来るのがいいんです、と言っていた。人それぞれであるが、みな老後を、あえて自然のなかですごそうと選択した人達だ。贅沢なのか、あるいは人としての本能のようなものに動かされているのか。それとも、これは私たちの極めて伝統な文化なのか。自然の中にいると、実は、生きものの死に出会うことがとても多い。そういうことも、また自然の中で人生の後半を過ごしたいと思うひとつの理由になっているのかも知れない。

      秋天に生きものどもは走りたり