テジョヨン見終わる2009/07/28 00:08

 たぶん、他の大学は今頃夏休みに入っているのだろうが、私のところは、まだ授業。といっても今はほとんど試験期間だが。

 ここんところ、照葉樹林文化の本やら(例えば中尾佐助著作集)、雲南の食文化の本を読んでいる。というのも、秋に照葉樹林地域に於ける発酵食品と食文化といいうテーマの共同研究で論を書かなきゃいけないからだ。私は、食文化の研究者ではない。言語文化の研究者だ。この共同研究で二度ほど雲南に行き、市場などを見て歩いた。なれ鮨を発見して感動したことは以前書いた記憶がある。が、それを論にまとめるとなると、大変である。

 今日、卒業セミナーという授業で卒業レポートを書くときに大事なのは、何を解き明かしたいのか、具体的に明らかにすることだ、と語った。そうしないと、どんな資料をさがしていいかわからず、結局まとまらなくなるぞ、と注意した。そのためには、自分が興味を抱いたテーマで、何故興味を抱いたのか、問いを立てながら突き詰めてみることだ。とも語った。

 さて、その言葉そっくり今の自分に突き刺さる。正直、この共同研究は発酵食品関係の研究が中心であり、私の担当は言わば、刺身のつまみたいの部分なのだが、それでも、論を書くとなれば、それなりの解き明かしが必要だ。が、その解き明かしたいことが、具体的になかなかまとまらない。むろんないわけではないが、漠然としすぎて、論にするにまで論点を絞り込めていない。夏休み、とにかく、まとめないとというところだ。

 ただ、夏休みには、もう一つやることがあって、これも、9月の後半に奈良の万葉ミュージアムで研究発表があって、この準備もある。こちらも共同研究で、やはり論ををまとめないといけない。ただし、こちらは、何を発表するのか具体的になっているので、あとは資料をさがしてただまとめて行くだけの作業になる。この締め切りは、8月の後半である。

 韓流時代劇、「テジョヨン」を全巻見終わった。長かった。DVD全67巻だから、134話ある。日本の大河ドラマに換算したら、3年分に相当する。この長さのドラマを飽きさせないで、最後まで見させるのは、さすがである。今までいろいろ見てきたが、ハラハラドキドキ感では、チャングムより上かも知れない。

 まず渤海国の建国の物語であるから、主人公が絶対に死なないという安心感がある。それなのに、毎回のように死にそうになるところがすごい。この物語の面白いのは、敵役の設定のうまさであろう。テジョヨンの生涯のライバル、イ・ヘゴや、唐の将軍ソリンギは憎めない。イ・ヘゴには同情すらしてしまう。ソリンギも人情味のある敵役でうち奥さんもファンであった。

 見終わって感じたのは、このドラマを一貫して支えていたのは、情念であるということだ。イ・ヘゴのテジョヨンへの憎しみ、その妻チョリンのテジョヨンとの間で引き裂かれる情、それぞれの登場人物がある意味、情念に動かされて行動している。情念が、大義や
理性を超えてしまい、事態を複雑にしていく、という展開が、このようにわりと単純な展開なのに、ここまで長く引っ張れた理由だろう。

 この情念はアジア的なのではないか。そう思いながら見ていた。ただ、日本の情念とはその表現の仕方が違う。とにかく激しいのである。特にイヘゴは情念の固まりで、いつもめいっぱい血圧を高くして、今にも血管が破裂しそうな勢いの演技をしていた。こういう日本人、いないだろうなあ、と思った。

 儒教的な節度と、その節度を超えてしまう激しい情念、集団のなかで自分を抑制する日本的な世界には相容れないアジア的な人間のスタイルを見ていた気がする。
 
    スサノオは雷の如哭きにけり