寛容であって欲しいが…2009/07/03 00:57


 相変わらずチビと遊んでいる。ここのところ毎日のように出校。今週も、金曜は後援会会の懇親会があり、土曜は学会のシンポジウム。結局週6日出校である。家に帰るとさすがに何もする気がなくなり、チビと遊ぶ。ただチビの方は遊んでくれない。無理矢理遊ぶのである。迷惑だろうが、それがチビの仕事なのだ、チビよ。写真は首輪を頭に載せて遊んでいるところ。

 今日は課外講習で万葉集の講義。受講者は年輩の人がほとんどである。巻2の挽歌を読み始める。有間皇子の自傷歌から天智挽歌群に入ったのだが、なかなか進まない。この講義けっこう準備をしている。そのせいか話すことが多くなり、前へ進まないのである。要領よくやる手もあるが、要領を期待されているわけではないので、これでいいのかなと思っている。

 ところが、学生への授業となると、あまり進まないと要領が悪いとクレームがつく。最近の学生は、授業を聞いてポイントが掴めないと、試験の時に困ると不安になるらしく、要領が悪い、とかポイントが掴めないとすぐに不満を言う。むろん、言われる方に問題はあるのだが、そこは学生もシビアになってきている。悪いことではないが、脱線したり、まわり路の授業をしずらい雰囲気になってきているのは確かだ。

 最近では、アンケートではなく、個々の学生の声を直接聞く機会を設けていて、学生も授業に不満があれば声をあげることに躊躇しない。中には、授業料を払ってまで何故こんな授業を受けなきゃいけないのか、という意見を言う学生もいる。学生の不満は、大事にしなきゃ行けないので、立場上、私は不満の声があると教員に文書で届けるのである。届けられた教員は、心穏やかではないだろう。学科長があなたの授業に文句を言っている学生がいますよ、と知らせるのだから。が、時々、学生の声も少し行き過ぎではないかと思うこともある。

 教育を受ける事は、自分にとって未知のことを知ることである。本来未知の事はそれが未知であるということ自体面白いもののはずである。ところが、教育を受ける側が、教育する方法や、教師に対して、面白い、面白く無いという判断基準を最初から用意して、その基準に合わないものは面白く無いといって未知のことを知る機会を閉ざしてしまう。そういう態度で知識を享受しようとすれば、当然得られる知識は、限られてくるし、狭隘なものになるはずである。

 教える側は完璧ではない。みんな努力はしているが、いつも上手く教えられるとは限らない。授業料を支払って上手く教えてくれないことに文句を言うことは当然である。が、その文句がある限度を超えたとき、その結果文句を言う自分を不幸にすることもある。というのも、限度を超えた要求は、何かを破壊しなければ収まりがつかなくなるからだ。

 教師が破壊されることもある。文句を言う自分が損なわれることもある。教師が損なわれることは、社会で仕事をすることの厳しさだから仕方がないとしても、自分を損なうということはどういうことか。それは、文句を言うことで自分を毀損しない快感を身につけてしまうということである。つまり、その快感を身につけることで、自分を大きく損なうのである。

 自分が上手くいかないのは、教え方が悪いのだという論理を絶対的なものとして身につけてしまうと、とても楽である。社会に出ても、この論理で自分を守ろうとする。結果として、実力を身につける機会を失い、人から距離を置かれる。

 さて、私たちの社会では、こうなるリスクを抱えながら、他人に文句を言うことが奨励されている。わたしも立場上学生に奨励している。私は若いとき、自分が勉強していた大学に文句を言った。破壊しなければ収まりがつかないくらいに文句を言った。でも、大学で教え方の下手な教師に文句を言ったことは一度もない。むしろ、とても流ちょうに予備校の講師のように無駄なく教える教員は苦手だった。だから、私としては、本当は、多少教えた方が下手でも寛容に受け止めなさい、そういう教師からでも学ぼうとすればいろいろ学べるものだから、むしろ、そういう寛容さで勉強したほうが豊かな教養が身につくよ、と言いたいところなのである。

 もし、私の授業に対して文句が出たら、立場上、私は自分にその声を届けなければならない。その時は、その声の主にもう少し寛容であるべきではないかと、文句を(むろん、独り言で)言うつもりである。     

不寛容なものたちと生きる七月

はらはらした…2009/07/05 01:42

 金曜は後援会の懇親会があり、来賓として出席。とりあえずわが学科のアピールをしておいた。ベネッセの調査で、今年わが学科の英語コースの一般入試で入った学生の偏差値が青短を抜いて首都圏の文系短大でトップにたった。たぶん初めてのことである。ただ、トップといっても、実態としては、推薦でかなりの人数を入れているので、その偏差値が学生の全体のレベルを表しているわけではない。が、それでも今まで青短を抜けなかったのだから、今年はやった!というところである。むろん、来年どうなるかわからない。

 今日は学会のシンポジウム。会場校なので設定などで出校。シンポジウムもけっこう面白かった。パネラーのお一人は去年ナシ族の調査に一緒に行ったH氏。もう一人は今売れっ子の文芸評論家であるA氏。トポスというテーマで、穴(洞窟)が取り上げられた。

 H氏はいつもながらたくさんの資料を出してきて、穴から湧き出る、水にかかわる遺跡や、洞窟に籠もって苦行する僧の話などを展開、勉強になったし、異界との境界である洞窟もしくは穴が、われわれの想像力の根底にある、というよりは、われわれの想像力の起源はそこから始まる、というようにさえ思えてくる。われわれの生誕と死の両側にある穴という境界のイメージは、宮都の設計にも反映するという。

 彼は歴史家だが、憶測で語る部分が多かった。何故なら、論じようとしていることが、実証し得る物的表象でなく文化表象そのものだからである。言い換えれば無意識に属する領域の表象に言及しようとしている。歴史家としてはかなり大胆であり、顰蹙を買うかも知れない。だが、無意識を排除した歴史などあり得るはずもなく、無意識の側の歴史を豊富な文献資料で外堀を埋めながら内堀は大胆に推測で語る語る彼の方法は、それなりに納得できるものである。

 A氏は、折口の研究家といってもいいが、古典の「宇津保物語」、折口の「死者の書」や中上健次の小説を題材に、やはり聖なるトポスというテーマで語った。ただ、内容は、物語論とも言うべきもので、「宇津保物語」以来、「源氏物語」「死者の書」、三島由紀夫や中上健次の作品、そして村上春樹の「1Q84」に至るまで、物語のある構造が貫かれている、そして、その構造は近代の物語批判に耐えて、逆に今は世界性すら持とうとしていると熱く語った。折口信夫の古代のイメージが構造化した物語性は、現代の想像力にとって重要であり、現代の閉塞状況を救済するかも知れないとまでのメッセージがあったように思う。

 面白かったのだが、興奮していて話が大きくなっていくので、やや醒めて聞いていた。結局、問題は無意識をどう描くか、ということなのかなと思う。私はかつて「日本説話小事典」(大修館)で「死者の書」について書いたことがある。そこで確か、歴史的時間の超え方を描いた小説だと解説した。むろん、昔話や神話のように超えてしまえば、それは現代の私たちの心を打たない。「死者の書」は、神が訪れる乙女の側に感情移入できるリアリズムを巧みに残しながら、混沌とした古代世界を再現することに成功している。この小説が心を打つのは、結局よくわからないからである。それはわからなくなる寸前のところで言葉が無意識を書きおおせている、ということである。分からない向こうに、無意識の豊穣な闇があることを感知させている。そのことが心を打つのである。

 A氏もたぶんそんなことを伝えたかったのだろうと思った。

 シンポジウムが終わり、懇親会となったが、久しぶりにシンポジウムに顔を出したK氏がパネラーのA氏の向かいの席になり、いきなりあなたの言う古代には違和感がある、と切り出した。隣にいた私は、これはやばいな、と思ったが、その通りになった。

 双方とも穏やかな口調ではあったが、なかなか辛辣なやり取りが始まり、たぶん昔みんなが血気盛んな頃だったら殴り合いまでいくだろうなあ、というような感じになってきた。すぐに昔の話になるが、昔は研究会などではこういうことはしょっちゅうで、K氏もそういうつもりであったようだが、A氏はかなり腹を立てたらしく、にこやかな表情を崩さずに、K氏をまったく認めずに軽蔑するような態度に終始した。その態度にも私はこれはまずいなと思った。相手は親ほどの年齢で人生の先輩なのだから、こういう時は、はいはいわかりました、そういう考え方もあるんですね、というくらいに聞いて受け流すのもあっていいはずで、それが度量というものだろう。

 周囲がちょっと緊張したが、何とか喧嘩というところまでは行かずに終わった。後から考えればこのやり取りは面白かった。というのは、どちらかというと、私より年上のK氏のほうがまるで若者のようにつっかかっていったからで(いつもそうなのだが)、それに対し、かなり年下のA氏は無知な学生を諭すような態度で応対した。A氏が横柄だとは思わなかったが、たぶん、年上のK氏が若者のように挑んできたことにA氏は驚いたのだろう。まともに取り合おうとしなかった。パネラーとして招待され、気持ちよく発表したその後の飲み会でいきなりこれでは、A氏も気の毒ではあったが、それだけ注目を浴びているということである。
  
 私はK氏と中国の調査などで一緒に行くことが多いが、K氏はおかしいと思うと相手が不快に思おうが思うまいが関係なく率直に口に出す。みるみる相手の顔がこわばっていくのを何度も体験した。その度にはらはらするのだが、こんな場所で体験するとは思わなかった。

     五月闇の向こう苦行の人あり

「常しへの道」評2009/07/07 00:15


 日曜は、短歌時評の原稿を一日書く。この日が締め切りで後がない。扱った歌集は坂口弘『常しへの道』(角川書店)。

 坂口弘の第2冊目の歌集である。1冊目は『坂口弘歌稿』(朝日新聞社1993)で、だいぶ評判になった。私も評論『言葉の重力』の冒頭はこの歌集における歌の力とは何か、といった論である。第一歌集を出してから、筆者は死刑が確定し、現在、獄中で死刑を待つ身になっている。

 だから歌の内容も、死刑の知らせの予感に敏感になっている日常の風景が多く歌われている。次のようにだ。

    通路の上
    蒸気が漏れて揺蕩へり
    あの下を昨日曳かれ行きしか

    気配せる
    闇の外の面に目を凝らせば
    ああ落蝉の羽撃きなりき

ただ、それだけではなく、阪神淡路大震災の地震、オウム真理教の事件、9.11の自爆テロなど。社会を揺るがした災害や事件が扱われている。一方で、連合赤軍事件の自分なりの総括も歌にしている。

 第一歌集ではどう歌ったところで、過去に時間が戻らざるを得ない、そういう自分の現在をひたすら言葉にしていた。当然だろうが、今度の歌集では、外部の出来事を詩の表現として工夫して描こうという意図があり、ある意味では、表現者(歌人)になったのだなというようにも見える。例えばこんな歌がある。

   幼子が津波にさらはれ
   父の手が夢中に伸びて
   襟首を掴みぬ 

 津波の瞬間を、自分がその場で目撃したかのように歌っている。3行書きにしているのは石川啄木の影響である。分かりやすく、リズムを視覚化するためであるという。
 おそらくこのように表現者として歌が歌えるのは、自分なりに総括をつきめて、これ以上は無理だろうと思うところまで辿り着いたからではないか。でなければ、なかなか詩的な表現に自覚的であろうとまで、自分を自由にはしないはずだ。
 辿り着いた地点とは、結局、当時の学生運動の本質的な問題にまで思考が及んだかどうかである。例えば次のような歌を読むと私は及んでいるのではないかと思える。

   友を殺め
   絶望を与へたる君が
   愛せし歌は「希望」にてありき

   左翼活動は
   一人のときにうまくゆき
   組織のときは躓きばかり
 
 近代の革命運動が抱え込んだジレンマとは以上のようなことである。誰もが希望や理想を抱きながらやっていることは違ってしまうのだ。それは、一人ではなく、組織というような多数の活動になるからである。人が集まればそこには社会的な関係が成立する。その関係には、ある意味人間的とも言える世俗性が混じり込む。人間性の回復のための革命は、この人間的でもある世俗性を排除(連合赤軍はリンチという形で行った)しなければならなくなる。そうしないと、革命は成就できないと考えるからだ。従って、革命の遂行はかなり非人間的になる。このジレンマは、革命思想が最初から持っていたものであり、連合赤軍は、最悪なかたちでそのジレンマにはまったのである。
 このジレンマをわたしたちは解決出来ているわけではない。だから坂口弘は、このジレンマに辿り着いても、すっきりするわけではない。が、とりあえず何故こうなってしまったのかという説明は、最も本質的なところで出来るところまではきた。その意味で、彼はとても聡明であると思う。

 以上のようなことを書いたのだが、活字になるより先に公開ということになったようだ。    
 難しい話ばかりでもなんなので、チビの写真をつけます。最近顔に表情が出てきて、いろんな顔をする。そんな顔の一枚。

        死刑待つ歌人を論ず五月闇

文学と使用価値2009/07/09 00:53

 本業の本が読めなくて(本業の本とは専門の研究のために読まなくてはならない本ということです)隙間読書ばかりが続いているのだが、読了したのが内山節著『貨幣の思想史』(新潮選書)。これはとても面白かった。経済学の思想史といったところだが、マル経と近経の本質的な違いが初めてよくわかった。

 人間が生活(精神的な意味も含めて)を維持するための生産労働と消費の仕組みに還元される商品(生産物)の価値を使用価値というが、商品がその意味での使用価値でしか無いときには冨は生まれない。商品が他の商品と交換され、その価値が他の商品との比較の上で決められるようになるとその価値を交換価値という。つまり人間が自給自足で生活していれば、交換価値は生まれないが、余った生産物を他の生産物と交換する営みの中で、商品を購買し消費する欲望に目覚めたとき、交換価値は成立し、社会に冨が発生する。その交換価値は貨幣によって象徴され、従って、貨幣を集めることが冨を集めるということになる。国家はその冨を蓄積しようとするが、国家の冨は、使用価値としの生産物ではなく、交換価値としての貨幣の量によって決まる。

 例えば、国民がみんな自給自足の満足な暮らしをしていても、国家に貨幣は貯まらないから、その国家は貧しいということになる。むしろ、国民が多くの(必要以上の)商品を生産し消費すれば貨幣の流通量は多くなり、その国家は豊かということになる。アメリカがそうであり、今では中国がそういう意味で豊かな国になろうとしているのである。

 さて、初期の経済学者は、人間の幸福は使用価値にあると考えた。が、貨幣による市場経済がすすみ、資本主義社会になるにつれて、交換価値によって経済は動いているように見えた。当初は使用価値の原理は経済の仕組みに本質として機能しているに違いないと、その原理を見出そうとする経済学が成立する。これがいわゆる古典経済学である。が、結局そんな原理は存在しなかった。このままでは人間は貨幣に疎外されるだけである。そこで、どうしたら、疎外された人間を救済するために、交換価値で回っている経済社会を使用価値を重視する経済に変えていけるのか。このように経済の理論に哲学を持ち込んだのが、ドイツを中心とした経済学であり、その流れに登場したのがマルクスである。

 この考え方は、経済は歴史の産物であるから、人間が経済に関与していけば経済も変わり得るという確信に支えられた理論である。つまり、人間が社会を変革し、交換価値に支配された経済を変えていくことで人間を解放しようとする理論である。結局、この理論も上手くいかなかった。使用価値にこそ人間の幸福がある、というのは、ある絶対的な価値を前提に理論を組み立てる伝統的な西欧的価値観であり、結局そのような価値観を超えられなかったのである。人間の幸福観はもっと複雑でとらえどころがないのである。

 そこで、使用価値と交換価値を切り離し、使用価値は一切問わないことにして、どうしたらこの複雑な資本主義のシステムのなかで、交換価値としての貨幣を安定的に貯えられるのか、その方法を徹底して考えるだけの経済理論が発達する。これが近代経済学であるる。

 以上、経済学のテキストのおさらいみたいな文章でした。

 さて、なにがおもしろかったか、というと、私は、この使用価値と交換価値を、文学の価値としておきかえたらどうなるかという視点でずっと読んだからである。一時期流行った記号論は、文学の価値を徹底して使用価値から切り離し、交換価値として論じようとした理論である。現代の文学理論は、近代経済学理論と同じく、使用価値を切り離して論じる傾向にある。あるいは、使用価値は論じないで、使用価値を疎外する国家を批判しない文学は価値ではないとする伝統的な考え方もいまだに残っている。

 文学の使用価値をまともに論じたのは、吉本隆明で、それを自己表出という言い方で述べた。が、この理論は経済学でどういう理論に対応するのか、よくわからない。文学を使用価値の側に回復させようとする意図かららすれば、マルクスの経済学ということになるだろうが、同じだとも思えない。暇があったらそのことをゆっくりと考えてみたい。

                         七月や貯金の額を聞かれけり

文学的感動2009/07/10 00:44

 昨日の続き。文学に於ける使用価値とは、結局、文学的な感動ということになるだろう。この感動は、退屈な時間を消費するために本を読むことでは得られない。ところが、問題なのは、この感動というものは、とても曖昧でとらえどころがないということだ。つまり、客観的に定義したり、数値化できないのである。というのは、感動は人それぞれ違うし、同じである何かがあるとしたとして、それをある尺度で測って共通化するのは不可能なのである。

 これは経済における使用価値にも言えることで、人間の生の充実にかかわる使用価値もまた人それぞれであり、客観的にとらえる指標はない。つまり計量化できない。だから、経済学者は、人間の経済活動の根幹にこの使用価値があるのだとしたら、それを何とかして数値化したり客観的に計れないかと考えたのだが、数値化出来るのは貨幣だけであって、結局断念し、数値化できる交換価値としての貨幣を理論化せざるを得なかったのである。

 文学も同じで、例えば大学で文学を教えるとする。使用価値としての文学を教えたとすると、それは客観的な指標はないし人それぞれだから、教えようがない。だから、作家の生い立ちとか、作品成立の時代背景とかをおしえることで、その文学的感動である使用価値を推測していくという方法をとった。それが伝統的な文学の教授法だった。

 が、その方法は曖昧な文学的感動を根拠にしてしかもそれを疑わなかった。そこでそういう伝統的な方法を批判してでてきたのが、文学を一つの構造体としてとらえてその構造分析する方法や、記号の集合体としてとらえ、その記号の配置や構造を分析する文学理論である。これらは、文学的感動なる価値を文学理論から排除し、貨幣のように計量し計測可能な言語の配置や仕組みとして文学を分析しようとしたのである。

 ほとんどの大学の文学教育がこのような理論に席巻された。欧米の新しい理論であったということが大きいが、何よりも、客観的に文学の価値を分析出来ると思えたからである。それで何が起こったかというと、文学に素朴に感動して文学研究を志した学生が、何か違うなと思うようになり、文学研究から遠ざかったということである。

 使用価値を切り捨て、貨幣の流通の仕組みに特化した近代経済学は、その理論が冨の形成に役立つからみんな勉強する。しかし、文学は、使用価値を切り捨てた理論を勉強しても、冨が形成できるわけではない。理論家になってアカデミズムで職を得たとしても、結果として学生の人気を失うから、職の機会を失うという悪循環に陥っている。文学部が全国の大学で衰退しているのは、こういう事情もからんでいる。

 文学的感動という使用価値を排除し、しかも冨も生み出せないのでは、構造論や記号論的な新しい文学理論はいくら客観的に論じられるのだとしても、ニヒリズムに陥るだけである。

 文学をどう論じるかは、使用価値をどう論じるかという経済学の問題と対応し、実はなかなか難しい。私は、使用価値としての文学的感動は排除されずに、きちんと価値として論じられるべきだと思っている。その意味で「自己表出」という吉本の価値論はたいしたものだと思っている。ただ、これで説明出来るとも思っていない。私なりの価値論を考えなければならないのかも知れない。そのためには今の仕事を辞めて、そのことだけをひたすら考える生活にならないといけない。無理である。

                          来世では夏雲になろう爽快に

大腸検査2009/07/11 01:01

 今日は大腸の内視鏡検査の日。国立にある専門病院に行ってきた。検査自体は麻酔で行うのであっという間に終わるのだが、大腸をきれいにするのに時間がかかる。何とか水という水をまず少しずつ2時間かけて2リットル飲む。それでトイレに三回行くと、オーケーなのだが、どういうわけか私は二回しかいけずに三回目がでなかった。そのせいか、検査の時間が大幅に遅れた。

 また小さい病院なので、予約はしておいたのだが、後に回されて結局、9時から1時半までずっと待たされた。さすがに私も不安になり、この先私はどうなるんでしょうか、と聞いたところ、ベッドがあいたのでこれから始めるという答え。

 おかげで村上春樹の「1Q49」の第1巻を読み終えてしまった。待ち時間はとても長かったが、私としては久しぶりに読書に集中できた時間であった。早速「1Q49」第2巻を読まなくてはと思うが、こんなに読書に集中する時間を今確保するのは難しいだろうなと思う。半分読んだ印象だが、なんだか、文体の集中力がやや散漫になってきている気がしないではない。まあとにかく感想は全巻読み終えてから書きます。

 内視鏡検査は三回目だが、毎年ポリープが見つかる。今回も見つかった。私の腸は、ポーリーブがタケノコのように出てくるらしい。良性のポリープということで安心なのだが、悪性に変化する可能性は無いわけではないという。だから、毎年この検査をせざるを得ないのである。

 ちなみに、この病院の医者、先週奥さんが胃カメラの検査をしてもらったのだが、奥さんいわく、『インザプール』の伊良部に似ているという。それは違うだろうと言ったが、明るくて、のりがよくて、薬をたくさんくれるところは、そういえば似ていないことはない。ただ、私の場合、伊良部よりいつも大きな胸とミニスカートの白衣で栄養剤の太い注射を打つあの看護婦に会いたいのだが(不謹慎な願望です)、出会ったことはない。当たり前であるが。

  明日は、学校で学会の会議、夕方は出版記念パーティ。昔の学生運動の資料集を復刻出版したので、みんなで集まるという会である。たぶん、40年ぶりに会う奴もいるのだろうと思う。そういえば、小熊英二の『1968年』上巻がでる。ほとんどが全共闘運動の資料と分析。分厚い本である。知りあいの名前がたくさん出てくる。さすがに購入した。

                       夏の日にわが大腸を見せてやる

時間が戻る2009/07/12 00:49

 午後は学会の会議。来年の御柱祭りでシンポジウムをすることになり、具体的なスケジュール等の話をする。ほぼ骨格が固まってきた。わが学会(アジア民族文化学会)もすでに発足から9年経つが、それなりに形をなしてきたのではないかと思う。とにかく、研究テーマが次から次に出てくる。未踏の地を歩いてる雰囲気がまだ少し残っている。この雰囲気が残っているうちは、学会は潰れないだろうと思う。

 この会議に、病気でしばらく療養していた運営委員のお一人がしばらくぶりに顔を見せてくれた。やはり顔を見るとほっとするし嬉しくなる。元のように旺盛な研究活動を再開されることだろう。その日を心待ちにしたい。

 会のあと、イタメシ屋でちょっとビールを飲み、今後の事などを話したが、新野の盆踊りにまた行きたいね、という話になった。新野の盆踊りで、特に、先祖の霊を送る最後のところは、本当に祖霊が死霊であることを感じさせる。あれをもう一度見たいという話になった。そこからアジアの先祖信仰というテーマでシンポジウムをやりたいという話にもなった。柳田国男はかなり古代から先祖信仰があるようにとらえているが、アニミズム的な世界では先祖信仰はないというのが大方の説であり、その意味で、アニミズム的な日本の古代には先祖信仰はないのではないかという意見が多い。柳田の先祖信仰は中世を遡れないという批判もある。

 ところが、中国では古くから祖先を祭っており、またアニミズム信仰を持つ少数民族はけっこう先祖信仰を持っている。そう考えると、アジア的な視点から先祖信仰を捉えてみる試みはあってもいいのではないか。この話で少し盛り上がった。

 私は、この後新宿へ。新宿で、60年の学生運動や大正闘争の資料集の再刊記念パーティというのに顔を出した。80名近く集まっていたのではないか。60年安保の活動家から70安保の活動家、そして、最近の若い人たち(活動家ではないが、左翼運動に興味を持つ人たち)が集まっての飲み会である。

 上はもう70に近い年齢で、とにかく年齢の高い人ほど元気である。まあ同窓会もしくは戦友会みたいな集まりで、私も久しぶりに昔の仲間と会い酒を飲んだ。もう年金生活をしているものもいる。みんな歳を取ったものだ。この連中と私が一緒に夢中になって権力と戦っていたときは、私はまだ20歳だった。自分でいうのもなんだが、長髪のイケメンだった。今は見る影もないが。

 同じ大学の連中と退座し別の飲み屋に行き、昔のことなどいろいろと話をした。40年前のことだが、さすがに何人かで話すと鮮やかにいろんな場面が浮かんでくる。私の人生で一番緊張して生きた時代である。いろんな場面が簡単には落とせないほど脳裏に焼き付いているのである。
                          
 最近朝日新聞の夕刊の一面に、シリーズで、かつて学生運動に関わった連中が取り上げられているが、知りあいも出てきて、昔のことをよく知っているから、なんであいつが、という話にもなる。

 私たちには戻る時間がある。それは悪い事ではない。戻る時間がないことはある意味で不幸だと思うからだ。いつも前を向いて振り返らない生き方なんて、疲れるし、正常とは言えない。ただ、何事も限度が大事で、振り返りっぱなしというのも、本人はいいが周りが疲れる。でも、他者と一緒に振り返ることができる過去(必ずしも幸福な過去ではなく痛々しい過去であっても)があるのだからいいことではないか。

 最近の若者を見ているとそういう過去を持っていないと思われるものが多い。そういう過去をこれから作れるのだろうか。それが心配だ。

                          老兵たちは語る真夏の夜の夢

『1Q84』を読む2009/07/14 00:35

 村上春樹『1Q84』読了。なかなか面白かった。村上春樹がオウム事件にどのような衝撃を受けたのか、何となく理解出来た。

 村上ワールドは、何と言っても寓意や喩の豊かさであり卓抜さである。『羊をめぐる冒険』あたりから、得たいの知れぬ闇(例えば権力の根源のようなもの)は、直接的な言及を避けて物語的喩によって暗示されてきた。

 わたしたちがその寓意やシュールな物語展開についていけたのは、そのように語る方法のほうが、私たちの生きる時代の不安や闇のようなものを的確に感じ取れる、と思ったからだ。だから、パラレルワールドは村上春樹の世界にあって、十分にあり、であったのだ。

 別な言い方をすれば、人間の抱え込んだある種の妄想(例えば闇と形容しておくが)は、この世に現れて一つの社会的な実態になる、ことなどありえないことで、例えば戦争やテロなどの深刻な出来事は、歴史の展開を説明する言説の範囲内にあったし、政治や社会の言説の範囲内でそれなりの説明はついた。つまり、それらの言説で説明がつかないものは、たんなる妄想であり、それが実体化したとしても、それは極めて特殊な例外的なものでしかなかった。だから、あり得ない側に本質があるととらえる小説家は、そのあり得ない妄想をあり得るものとして描こうとする。が、ただあり得るものとして描いたら、それは、そのあり得ないことによって伝えたい何かをつまらなくしてしまう。例えば、ファンタジーやエンターテインメントになってしまう。

 それを避ける一つの方法は、あり得ないことの側に本質があるというリアリティを、寓意や喩の力によって語ることだ。村上春樹の方法はそういう方法である。例えば村上龍と村上春樹の違いはそこにある。村上龍は、あり得ないことを直接的にあり得ることとして描く。だから文体から喩を排除する。その結果、エンターテインメント的にとても面白くなるが、あり得ない何かの持つリアリティは失ってしまう。村上春樹はぎりぎりのところで、あり得ない側を描くことを回避することで、ストーリーを曖昧にし、エンターテインメント性を回避する。だから、村上ワールドを読むと、いつも、あり得ない何かが、肝心な部分の欠けたジグソーパズルの断片のように私たちの中にばらまかれ、何となくわかるのだが像は結ばない、ということになるのである。

 ところが、こういう村上春樹の方法は、オウム真理教の登場によって、無効になってしまったらしい。オウムのやったことは、あり得ない何か、つまり闇のようなものを、ある意味、例外ではなく特殊ななにかではなく、この世に実体化してしまったのである。作家がいままで喩で語っていた世界を、直接に叙述してしまったのだ。しかも言語などというまどろっこしい虚構によってではなく、生きている人間の存在そのものを使って。

 村上春樹がそのように受け取ったとしたら(たぶんそのように受け取ったにちがいないのだが)、もう村上春樹の方法にリアリティは失われる。これは小説家にとっての危機である。『アンダーグランド』で、オウムの被害者の聞き書きを本にしたのは、そのような危機を乗り越えるためであったろう。

 さて、あり得ない何かが、あり得るものとしてこの世に実体化されてしまった、そういう状況で、やはりあり得ない側に本質があるというリアリティをどう描くのか、その答えがこの『1Q84』である。

 この本の戦略は二つある。一つは、パラレルワールドを交錯させることである。もう喩は成立しないのだとしたら、あり得ない側とあり得る側の二つの世界は、絡まり合っている同次元の世界として描くしかない。もう一つは、あり得ないと思われる側の本質をやはり謎として描くこと、そして、謎解きに暴かれるものは暴くこと。その結果、教組とリトルピープルを分離し、リトルピープルの側をあり得ない側として保存し、教組をこの世の側に描いた。が、すでに喩はその効力を失っているから、リトルピープルはあり得ない側の闇を暗示し得ない。この小説が、何となく以前よりつまらないという評価を受けるとしたらそこに原因がある。

 それでは何が面白かったのか。喩の暗示力が無くなった分、エンターテインメント性が高まった。天吾と青豆の二人の愛のストーリーは、最後どうなるのかという興味で読者をひっぱっていく。こういう展開は今まであまりなかったものだ。これは典型的な恋愛小説、もしくはハードボイルドの手法である。が、そのことによって、青豆の孤独や愛がより分かりやすく伝わってきた。

 あり得ない何かがこの世に、例えばリトルピープルのように、直接登場してしまった。これが村上春樹がオウム事件から受け取ったメッセージである。嘘を通して真実を語るのが小説である、と村上はイスラエルでの講演で語ったが、オウムの事件が示したのは、この世に起こった真実は、嘘であるのか?、あるいは、この世に起こった嘘は真実なのか?ということである。『1Q84』にいつものような村上的曖昧さや暗示があるとすれば、まさに、以上の問いに答えられない、ということの問題であるように思われる。

  夏の夜のほんとうの嘘を読み継ぐ

続『1Q84』2009/07/16 01:25

 『1Q84』の続き。結局、リトルピープルが謎のままに残されたのは、村上春樹が戦うべき権力(壁もしくはシステム)が、闇そのものであり、見えないものであるからである。ただ、以前とかなり違って来ているのは、それが戦う相手だと、いわばシステムに向かうこちら(卵)の姿勢を鮮明にし始めたと言うことだろう。ただし戦い方は分からない。

 ひょっとすると天吾は教組の後継者になる、という暗示すらある。システムと戦うことは、まずシステムの一部になるということなのかも知れない。が、逆に言えばここにこの小説の、言い換えれば村上ワールドの、もどかしさがあると言ったらいいだろうか。

 イスラエルの講演で語った、システム(壁)と戦うというメッセージは鮮明だがその戦い方は少しも鮮明でないということである。青豆は自己犠牲という鮮明な身の処し方で天吾を助ける。しかし、天吾は青豆の愛を受け取るが、戦い方は分からない。ただ、逃げないという決意を示すだけだ。

 天吾の、小説の最後の、この月が二つある世界で生きていくという決意は、イスラエルで語った、小説家は権力というシステムと戦うという決意と同じと見ていいだろう。その姿勢はとても鮮明でシンプルだ。だが、戦い方は少しも鮮明でないし、相手も謎のまま放置されている。たぶん、これが現状での精一杯の、この世における戦う姿勢の描き方である。戦わなきゃいけない理由は鮮明である。社会にこれだけ格差があり、世界で理不尽に人が死んでいくのだから。

 しかし、そんなことは前からではなかったか。ここに来て村上春樹はどうして戦う姿勢を見せ始めたのか。昨日のNHK「クローズアップ現代」の村上春樹特集では、作家としての責任を引き受け始めたという解説があった。その契機がオウム事件だったということだ。たぶん、こういうことだ。オウム事件が伝えたことは、政治や経済からでは説明出来ない得たいの知れなさが、明らかなシステムとしてこの世に顕現し、確実に身近なもの達を犠牲にし始めたという実感である。

 村上が作家としての責任を感じたのは、それを今まで描いてきたからだ。作家の社会的な使命に目覚めたなどということではないだろう。物語的メタファーで描いてきたものが、現実世界に事実として実体化してしまった。そのことで本当に人が死んだ。嘘によって真実を語るという方法で、社会へ関わっていたはずの自分の姿勢は、その嘘が嘘でなくなることで、揺らぎ始めたのである。
 
 この揺らぎ方は、作家としてとても誠実な反応だと言っていいだろう。少なくとも、オウムに、自分が描いてきた得たいの知れぬ闇をみたのである。オウムのような何かを嘘として描いてきたのに、それが嘘でなくなったとき、描くべき嘘をメタファーをもっと複雑にして無意識のより奥底に追いやることをせずに、とりあえず、作家である自分がその嘘の中で現実に生きて行かざるを得ないことを覚悟する。それが誠実な態度だということである。

 ただ、この村上の揺らぎ方、つまり誠実さは誤解を生むかも知れない。村上春樹が、小説という武器を使って、社会を良くするために戦い始めたなどという誤解である。イスラエルの講演がその種の誤解を生んでいる可能性がある。むろん、誤解でないのかもしれない。

 が、オウムはそれなりの社会的に説明可能な根拠を持つ事件である。ただ、当事者にとっては、それは悪夢のようなもので、そこに入ったら抜けられないものである。だが、抜けたものもいるし、最初からその悪夢に無縁だったものの方が多かった。

 このようなマジョリティの理屈を並べたのは、オウムは決して謎として描く事件ではないという見方もあるということである。もし、社会的な責任云々といった姿勢が鮮明であると言うなら、このようなマジョリティの理屈にさらされるということである。何が言いたいかというと、戦う姿勢が鮮明だが、戦う相手が見えない、あるいは戦う方法が分からない、という描き方は、この戦いはやはり文学のうえでの、ということだということだ。

                           蝉が鳴く戦い方がわからずに

いよいよ選挙か2009/07/22 01:03

 先週の連休は、山小屋と職場を往復した。土曜はオープンキャンパスに研究会。月曜は授業である。これだけ忙しいと山小屋に行くのも面倒だが、やはり暑さと、息抜きというのが理由。それに、S一家が二人の子供を連れて来るというので、それも楽しみで山小屋へ向かった。土曜に茅野から東京へと特急あずさで往復し、月曜はやはりあずさで職場へ向かう。奥さんは、火曜に来るまで自宅へ。月曜は高速が大渋滞なので、火曜に帰ることにしたのである。

 月曜に職場に行ったところ、道路にとにかくたくさんの人が溢れている。講堂の脇にバスが止まっていて、テレビ局も来ているようだ。何だろうと思ったら、アリスのコンサートをやるということだ。そういえば、勤め先の職場の講堂でコンサートをやるという話を思い出した。今日だったのだ。

 授業が終わって帰る時にまた道路に人があふれ出している。コンサートが終わったのだ。コンサートの余韻を皆漂わせている。とにかく私と同じような年代が多い。でもけっこう若い人もいた。親に連れられてということだろうか。

 私の勤め先の講堂は、かつて東京では日比谷講堂と並んでいろんなイベントに使われた。二千人収容の講堂は、日比谷とうちの講堂しかなかったのである。だから、ニューミュージックの聖地と言われた。たしか学生運動の集会で使った記憶もある。私の世代にはいろんな思いでのある講堂だが、その講堂のある職場に勤めるとは思わなかった。

 もうだいぶ前から講堂を不特定多数の人には貸し出しをしていない。設備が古いということもあるが、設備の問題があって不特定多数の人には貸せないらしい。ただ、ある特定の団体に貸し出すことは可能で時々イベントの会場として使われている。実は、今回は、不特定多数の人に貸し出したのではなく、アリス友の会の会員に貸し出したということらしい。それに千代田区もかかわっているらしく、いろいろと用意周到のコンサートだったようだ。そのために交渉に2年かかったということである。

 今日は、衆議院解散の日。歴史に残る日になるのかどうか。私は最近生活は保守的になったが、気分は保守ではないので、政権交代はして欲しいと思っている。まあ大多数の人の気分ではないかと思うが。

 今の政治のテーマはどうやら行き過ぎた市場原理主義をどう抑制するのか、ということのようだ。麻生首相がそう言ったということだ。テレビに出てくるコメンテーターも政治家もみな同じことを言っている。たしかにそれは間違っていないだろう。

 資本主義は否定出来ない。資本主義の先を語る展望があるわけではない。とすれば、金融資本主義と呼ばれる、行き先がわからずいつ破綻するのかわからず、一部の特権層にしか利益が分配されない、最近のマネー資本主義にブレーキを掛けたいというくらいしか、テーマが見つからない、ということだ。

 その意味ではこの選挙、政権交代という歴史的な事件が起こるかどうかという以外に、争点のない選挙である。政策は結局、行き過ぎた資本主義の抑制というテーマでみな同じなのである。

 ただ、その抑制の仕方は、それこそ社会主義的な政策から、ケインズ的なやり方、市場原理に任せる自由主義経済路線まで様々である。似たり寄ったりであるが、みな違う。ただ、言えることは、セーフティネットを作るにしても、余り国家が主管するシステムを大きくしないことだろう。郵政民営化は方向は正しい。福祉も目指すところは民間主体であるべきのはずだ。国家の関与でしかセーフティネットが作れないとしたら、当然官僚の権限が強くなり、権力機構が強固になり、システムは非効率になる。結局破綻するだけである。ただ、民間主体であるというのは、私利私欲の一面を肯定することであり、全体の利益とのバランスが難しい。

 今の日本は、官僚が近代以降作り上げてきた強固な権力機構の非効率さににっちもさっちもいかなくなっている。特殊法人に税金が使われ、たくさんの天下りした元官僚に高給を支払う構造は変えるべきである。たぶん今日本人はほとんどこう思っているはずで、民主党の支持率が高いのは、政権交代がこのような構造を変えるのではないかとの期待があるからである。むろん、甘い期待に終わる可能性はある。

 今度の選挙日は日本にいる。今度の夏は中国の調査に行かないことにしたからである。その意味で、選挙をおおいに楽しめそうである。

                       選挙カーミンミンゼミと競いけり