「空中ブランコ」を読む2009/05/22 00:58

 インフルエンザのニュースに毎日ひやひやし通しである。東京で2例目の感染者が出たが、海外での感染ということでとりあえず、休講はなさそうだ。今度の日曜に学生を連れて歴博に行く予定なので、これが休講になると、やっぱり学外授業なので、中止ということになる。何とか今週は持って欲しい、来週ならいいが、というところだ。

 今日は、読書室委員の学生達と読書会。みんなでケーキを食べながら奥田英朗『空中ブランコ』について感想を語り合った。雑談みたいな読書会を、というのがコンセプトなので、ケーキとお茶菓子を食べながらの会である。

 トンデモ精神科医伊良部と胸もあらわな看護婦マユミの診療室に、いろいろ精神的な問題を抱えた患者がやってきて、伊良部がその病を治していくというストーリー。同じ設定の短編がいくつか集まった本だが、やはり、伊良部の強烈な個性が読者を惹きつける。

 シリーズは3冊出ている。他は『インザプール』『町長選挙』である。本としては、この『空中ブランコ』が一番面白いだろう。

 だいたい各物語の設定は同じで、患者の心の病が違うだけである。治し方も似ていなく
はない。まず、マユミが太い注射器で栄養剤の注射を打つ。男の患者の場合は、豊満なマユミの胸に目を奪われている隙に注射を打たれる。それを伊良部が夢中になって見つめる、というちょっと危ない場面から始まる。

 治し方はいろいろだが、共通しているのは、伊良部は、心理学的なアドバイスはいっさいせずに患者の神経症に陥っているその対象や現場を直に体験しながら、それをただ面白がるだけである。つまり、その病そのものをちょっと意識しすぎじゃない、といった程度のことに解体してしまう。

 例えば万引きしたくなる衝動に耐えられなくなる神経症にかかっていたとすると、伊良部はならやればいいじゃん、と言って、実際に万引きをしてみせてやる、という治療法である。ただ、それをうまく無邪気にやってしまう、というところがポイントである。

 万引きしたくなるのは、万引きしたら自分の権力や地位が危うくなるからである。つまり、潜在意識では、自分で自分を抑圧している原因である外的自己(地位や権威に頼る自分)を壊したい。が、それは出来ないという葛藤にさいなまれている。その内的な葛藤の一つの解決として万引きをしたら全てが解決する(葛藤から解放される)、という意識にとらわれるのである。

 伊良部の治療法は、ならやればいいじゃんというもので、むろん、社会的に葬られないような準備の上で、やってしまうというものだ。つまり、そんな権力や地位に縛られて生きているなんてばからしい、というところまで、いったん自分を解体するべきだ、というメッセージである。それは、悩む以前の姿に戻ることである。この本ではそれは子供ということになる。伊良部は無邪気な子供のようにふるまう。それは、誰にとっても、神経症にかかる前の自分である。伊良部はクライアントに、じつに馬鹿で無邪気な子供のようにふるまうことで、神経症の前の姿を取り戻させるのである。

 それが計算してのものなのか、ただ天然の個性としてやっていることなのか、よくわからないというところが、小説の面白さなのだろう。ところで、あの注射には何の意味があるのか、と話題になったが、伊良部の世界に入り込むための関門のようなもので、あれは通過儀礼であろう、ということになった。注射によってクライアントは伊良部に服従せざるをえなくなるのだ。マユミの胸に目を奪われることで社会的な権威は解体される。心理学的な読み方をすれば、なかなかうまく出来た小説である。ただ、同一パターンが繰り返されるので、少々飽きてしまうというところがあるが。

          きっと犬たちも心を病む五月