アジアの中の…2009/01/26 00:51

 昨日は奈良の万葉古代学研で研究会。沖縄のK氏の発表がある。3月に調査に行く中国湖南省鳳凰県についての情報交換と打ち合わせなど行う。今年は、この研究会のシンポジウムが9月にあり、その報告書も今年中に書く予定。たぶん企画した本の原稿も今年中に少なくとも二冊分はかかなきゃならない。これは夏休みはなくなるな。いつものことだが。

 10年前にK氏が雲南省の歌垣調査に行き私も連れられて調査に行ったのだが、この調査の成果が日本で認められるようになるのは10年かかるだろうとK氏は話していた。その10年が経った。確かに、ここのところ、中国の少数民族文化を視野に入れた本の出版が盛んになりつつあり、K氏も私もけっこう忙しくなっている。どうやらK氏の言うとおりになっているのは確かだ。

 考えてみれば、学問は常に普遍性を目指すもので、日本の文学の普遍性を日本の国内で語っていたって、いずれ日本以外との普遍性まで広げたくなる。とりあえずはアジアの中の日本文学というように広げていくのは当然で、わたしたちはそれを実践しているに過ぎない。つまり、学問の普遍性への本能に忠実であったということだ。

 それから、需要と供給の関係というもので言えば、日本文学という需要は確実に減っていく、という予感はあった。中国人が日本語で中国を舞台にした小説を書いて芥川賞をもらう時代である。中国人の苦悩を日本語で書けるということでもあり、日本人がそれを理解できるということは、確実にその基本的なところでの人間の理解において日本という垣根は越えられている。そういう時代に、日本の文化や文学の作品論とアジアの文化や文学が同じ授業で扱われてもいい、という時代になったのである。

 こういう流れに大学の文学教育システムは追いついていないし、またそれをもっと深めていく方法論もまだ出ていない。わたしたちはそのような方法論作りを古事記の神話や万葉集というところでやろうとしているのだが、もっと多くの時代やジャンルで展開されるべきだろう。

 たぶん、これからはアジアの中の日本文学という見方は広まることだろうと思う。アジアに間口を広げることは需要が拡大していくところへ足を踏み込む事なのだが、経済の分野ではすでに当たり前のことなのに、文学研究では当然でない。当然でないということは、多くの研究者は時代の流れに追いついていないということだが、別にそんなことなど関係ねえ、と言える研究者はいいとして、若い研究者に対しては、もう少し、アジアに目を向けた方が就職口はあるよ、といいたくなる。

 少なくとも万葉集の研究所が、アジアの少数民族文化に目を向けて調査に研究費をだすということ自体、一昔前には考えられないことだったのだ。これだけ変化してきているということである。

 行き帰りの新幹線で鶴見太郎『柳田国男入門』(角川選書)読了。なかなか面白かった。柳田の組織した民俗学研究の組織に弾圧をうけた左翼たちが逃げ込んでくる。柳田は彼等を受けいれ、その思想ではなく人間的な経験に目を向けて行く。そういう人間的な経験の質や厚みを手がかりに人を組織していく柳田の方法を“モヤヒ”と呼んでいる。このモヤヒを、柳田の思想スタイルと評価していくのだが、けっこう納得した。

 理念で人を組織するのでなく、人柄で組織していくということであもあるが、人柄を判断していくのは知恵という経験の蓄積があるからで、こういう輪郭のよくわからない思想のあり方を柳田の思想の本質として評価していく、というところに共感できた。

                         見晴らしのよき墓地寒椿一樹