みなし労働2008/12/11 00:22

 11月の出勤簿を見たら(わたしの勤め先はタイムカードがあるのです。)、毎週6日出勤していた。しかも皆勤である。職員よりもわたしの方が出勤数が多い。むろん朝9時から5時までというのではないが、でも、仕事は夜もしているので、労働時間はかなりになるだろう。

 教員もタイムカードをとるようになったのは出退勤の記録を取るためだということで、決して労働管理ではない、過労死を防ぐという意味合いもある、という説明がなされた。私が組合の副委員長の時で一応抵抗したのだが、押し切られた。

 教員は、実態はみなし労働である。みなし労働というのは、労働時間を週何時間と決めない労働のことである。自宅の研究時間も労働時間に入ると考えると、学校に居る時間だけを労働時間とするわけにはいかない。そこで、週6コマの授業をやっていれば、だいたい定量の労働をしているとみなすのである。

 成果主義とは違う。教員は授業時間が原則として労働時間なので、成果主義ではない。たとえば研究機関に属してる場合は、一定期間成果をあげないと解雇されるというのがあるが(アメリカではそうだ)、こういう成果主義のところでは、原則として労働時間は管理されない。

 普通、みなし労働はこういう成果主義の労働形態で使われる。だから、教員の労働はみなし労働ではない、というのが従来の見解(国の)であった。つまり、労働時間に本人の自由はないということである。これがみなし労働になったのは、国公立の大学が独立法人化して、教員が公務員から民間の労働者になったことで、教員の労働管理の見直しが行われた結果らしい。

 いずれにしろ、みなし労働というわけなのだが、このみなし労働の最大の問題は、教員が過労死した場合、その証明が難しいということである。教員が過労死するほど働く時は、だいたい自宅で研究している時間がオーバーになることである。学校での労働時間はある程度管理されているが、自宅での労働時間は、記録でもつけていないとわからない。従って、それが原因で過労死しても労災は降りない、ということになる。

 まあ、過労死するほど研究している奴はめったにいないし、研究ばかりしている者は学校の雑務など絶対にやらない連中ばかりだから、結局、過労死なんか誰もしないのだけど。だが、例外がいる。私である。私は、研究もするし、学校の雑務もする。ブログも書く。つまり、過労死してもおかしくない。そのうち死ぬとみなから言われている(特に奥さんから)。

 さて、労働というのはアルコールと同じで一定量を超えると中毒になる。そういうのをワーカーホリックというが、私の場合すでに中毒であり症状も出ていると言っていいであろう。

 かんがえてみれば、この年末仕事がなくてリストラされる人たちがたくさんいるというのに、私のように仕事のやり過ぎというのは、罪悪である。私が仕事を半分にすれば、きっと誰かがリストラされずにすむのではないか(てなことはないが)。

 ワークシェアリングをすべきだが、それが出来ないのは、人より働かなくてはという競争原理に侵されているからでもある。そろそろ労働に対する考えを見直すべきなのだが、もう遅い。

                  短日やキリギリスうらやむ蟻もいる