人間ドック2008/12/05 22:50

 今日人間ドッグ検診。午前中、神田駿河台の日医大総合検診センターへ。朝のラッシュ時(7時半)の小田急に初めて遭遇した。いつもはこんなに早くは乗らないのだ。いやあすごかった。足が浮くほどの混雑である。

 私は以前東武東上線で通勤していて朝の混雑も経験しているが、こんなではなかった。噂には聞いていたが、すごいね。どう考えても毎日こんな混雑の中を通勤するのは、合理的ではない。経済効率からしてもかなりの損失だろう。最近、小田急や京王線沿線沿いの地価が下がっているのは、この混雑が原因であると聞いたことがある。電鉄会社の不動産会社が沿線をやたらに開発だけして輸送の問題を解決しなかったつけがまわってきたということなのだろう。

 私は朝一限の授業をもっていないので、この時間帯に乗ることはないが、朝早い授業の学生も教員も大変だなあと、特に小田急沿線の人同情します。地方から来た学生が最初にショックを受けるのはこの通勤ラッシュで、これに耐えられなくて学校に来られなくなる学生が年に何人かはいるということだ。私の学科の学生にも一人そういう子がいた。

 東京に出てきて生活するということはこういうことなんだよ、慣れなくては、と言った記憶があるが、でも、これに慣れろというのは酷なような気がする。どう考えても電車にすし詰めにされているのは人間とは思えないからだ。貨物車に積まれた労働機械のようなものだ。むしろこのラッシュに慣れてしまう方がおかしいのだろう。

 人間ドッグ検診を受けながら、生きるのは面倒くさいことだと思いながら、あちこちの検査室を回っていた。健康である事をわたしたちは義務づけられている。だからこの検診も一年に一回受けなければならないのだ。国と医者が作った健康という尺度があって、その基準値で人間を一人一人測定して、健康と病に分類していく。私はいつも境界線上にあって、どちらかというと病の側に分類される。

 むろん、誰だって健康の方がいいに決まっているから、こういう検診は悪いことではない。面倒だと感じるのは、検診を受けている時の自分は徹底してモノとして扱われてていると感じるからでもあろう。この検診センターの扱いが悪いということではない。とても親切にやってくれてはいるのだが、やはり短時間に大勢の人間の検診をこなすために、受診者はどうしてもモノのように扱われる。

 モノとして扱われることには慣れているので、そのこと自体は面倒ではないのだが、やはり時にモノとしてそこにいることを受けいれるのはとても面倒なことである。こんなふうに引き回されて健康をチェックしなければならない自分、というその自分が面倒なのだ。こういうのってひょっとしたら鬱なのかも知れない、などと思いながらこの文章を書いているのだが、鬱の理由は、この歳で検診を受けるのは、まだ死ななくてすむか、という確認を国や会社にされているようなものだからだろう。

 一週間後に結果が送られてくる。どうせ、いつものように何処何処に異常値があります、と書いてあるのか、それてもサプライズがあるのか、この歳になるとそういうことを考えてしまう。毎年こういう事を考えることを義務づけられているのだ。鬱にもなろうというものだ。

                あなたより長生きしてます漱石忌