京都の紅葉2008/11/30 23:43

 昨日は奈良で研究会。京都で食事をしていつものホテルで泊まり、今日すぐに帰るといういつもの予定でいたが、紅葉時にせっかく来たのだから、京都のお寺でもみてから帰ろうと思い、私は一人午後の新幹線にした。

 まず私のお気に入りは大徳寺の高桐院である。地下鉄で北小路まで行きそこから大徳寺まで歩いた。ここの玄関までのアプローチの紅葉は京都の秋のポスターになっているくらい、なかなかいい。シンプルな庭も散った紅葉で見応えがある。ここは普段はそんなに人がいないところなのだが、さすがに紅葉シーズンで人が多かった。ゆっくり庭を見て落ち着く気分になれず、そうそうに出てきた。

 大徳寺境内には色々なお寺があるが、織田信長の墓がある総見院というお寺に入ってみた。ここは確か入ったこと無かったなあ、と思いながらふと見学料600円ほど払って入ったのだが、入って後悔した。お寺は新しいし、庭もないし、すぐ出てこようとしたら、案内の女性があちこちにいて一つ一つ説明しながら客を誘導して、客に勝手な動きをさせない。勝手に帰るというのも気が引ける。しょうがない、と思い、一生懸命お寺の案内をする案内役の女性の説明を聞きながら、確かに、ここまで熱心にやらないと、この寺で見学料をとるのは詐欺になるよな、と思いながら、お寺にもいろいろあるものだと感心した。

 大徳寺からバスで清水寺に。ここも紅葉の名所だから取りあえず見ておこうと思ったのだが、すごい人であった。雑踏がすごく、紅葉見学どころではない。人の列の動きに従ってただ移動するだけという感じである。紅葉はややおそかったか、それほど鮮やかではない。まあこんなものさ、とりあえず紅葉時の清水寺は初めてなので、早めに後にした。境内に、蝦夷の阿弖利爲(アテルイ)と母禮(モレ)の顕彰碑がある。新しい顕彰碑だ。こんなものがあるのだと興味が湧いた。清水寺は坂上田村麻呂ゆかりの寺だから、田村麻呂が捉えた蝦夷たちの顕彰碑があるということか。彼等は田村麻呂の命乞いにも関わらず処刑された。この顕彰碑はその意味では鎮魂の碑ということか。平成6年に出来たとある。

 歩いて京都駅まで行くことにした。途中、河井寛次郎記念館と三十三間堂に寄る。河井寛次郎記念館は、あまり人もいないし、周囲の町並みも落ち着いていて、なかなか良かった。登り窯があったが、こんな街中でよくこれほどの登り窯を焚けたものだと驚く。一度の窯焚きに二千束の薪を使ったとある。陶芸とは設備も金もかかるものである。三十三間堂はたぶん数十年ぶりというくらい久しぶり。やはり人は多かった、清水寺ほどではないが。

 今日京都ではよく歩いた。運動不足の解消にはよかったと思う。午後3時ののぞみで東京へ。午後6時には自宅。奥さんは山へ行っている。丁度野沢菜を漬ける時期なので、ここんとこ続けて週末に行っている。

 読了した本。『瀾滄江怒江伝』(黄光成著 めこん)内田樹『こんな日本でよかったね』。両方とも面白い本である。内田樹の語っていることは、ほとんど私が語りたいようなことである。さすがに、私よりうまくしかも的確に語る。哲学をやっている人には適わないなと思う。いろいろと自分の思考を活性化させてくれる本である。

 そういえば29日の読売新聞に私の写真が出ていた。三浦しをんとの座談会の記事である。二時間も話したのにたいしたことは書かれていないが、写真だけはでかい。自分の顔はあまり好きではない。だからこういうように新聞に出ることは気分のいいものではない。

                           紅葉散る庭の写真と猫二匹