押井守と宮崎駿2008/08/06 18:29

 4日(月曜)に出校しそのあと山小屋へ。途中、ものすごい雷雨。中央道一時は水面の上を走るという状態だった。夕方五時に調布インターを入り、七時頃に韮崎インターで降りる。それから下道の20号線を走る。

 実は、こうするとかなり高速料金が安いのである。半額になる。通勤割引といって、都内から百キロまで朝と夕方の時間帯は半額になる。韮崎がちょうど百キロ内なのである。そこで降りて再びのる手もあるが、同じETCカードではだめなので、例えば次のインターまで下道を走ってのるという手もある。こうやってみんな高速道路代を節約しているのである。

 さすがに山は涼しい。が、体調が思わしくない。疲れが出たというところか。今日まで何もしないでいる。東京は雷雨で大変そうだ。そのニュースばかりだ。やることがないのでテレビばかり見ている。中国黄土高原の影絵一座の巡業を追いかける番組を今日の夕方やっていた。

 それにしても黄土高原はすごいところだ。人々は崖地に横穴をくりぬいて住居(ヤオトン)にしている。道路は物凄い土埃。畑にはトウモロコシが植わっているが、こんな土地によく育つものだと思うほどの光景だ。日本をおそう黄砂の発生地だが、こういうところでも人は生活をしている。

 こういう貧しい地域でも、祭では影絵一座を呼んで影絵を楽しむ村がある。こういう村のおかげで影絵一座は廃業せずにすんでいる。職業柄こういう話は基本的に好きであるし感動する。   

 考えてみれば、前期、私はかなりハードであった。引っ越しもあった。原稿を書くという苦痛はそれほどなかったが、学校の雑務は相変わらずだ。管理職をやっているから、大変でしょうとよく聞かれるが、確かに大変だけれど、そう思ったことは一度もない。というのは、いつも自分の限界ぎりぎりのところで仕事をしていて、その容量の中で仕事をしているだけであるので、特に管理職が大変ということはない。

 むしろ、容量以上のことは出来ないから、管理職の仕事が増えた分、他の研究の仕事が減っているということになり、そのことが残念ということになる。

 ただ、このところ、そろそろ体力も限界で容量もかなり落ちてきた。知らずに容量を超えている、ということもあり得る。そうなるといろいろ面倒なことになるので、少しこれからの自分の仕事のことなど考える時期かなとも思う。つまり持ち時間がそろそろ見えて来たというところか。

 とこんなことを何度となく書いている気もするのだが、何度も書くのは、何をどうするのかまだよく分かっていないからだ。と言うより分かってはいるのだが、それを具体化する心構えがまだ出来ていないのだ。たぶん、まだ自分には猶予があるのだと思いたいのかも知れない。きっとそれは甘いのだが。

 NHKで押井守と宮崎駿の特集をやっていて見る。押井守は奥さんの大学時代の後輩でよく知っているそうだ。あの押井が、とよく言っている。今度の特集はいずれも子どもが主人公。

 子どもが苦難に遭う通過儀礼譚が面白いのは、子どもの擬似的な死が描かれるからだ。 われれの社会にとって子どもの死は不条理である。あってはならないが、よくある。子どもの冒険は死を体験することだ。だからはらはらする。不条理を抱え込むからである。

 死なない子どもを描く押井守の映画は、この不条理を逆手にとって、現代の私達自身の不条理を描いたということか。生きていても死んでも同じではないかと言われて答えが出せない時代の不条理である。

 宮崎駿の映画には子どもの死という不条理は排除されている。ただその排除の仕方がとてもうまい。ディズニーの映画には死という暗さを見せまいとするあるいは見まいとする作為があるが、宮崎のアニメには、そういう作為があまり感じられない。ある意味で死と再生が信じられているアニミズム的世界観がある。たぶんに一神教的な土壌の上に成立するディズニーとの違いがそこにあるのかも知れない。

 アンデルセンの人魚姫は最後に死で終わるが、宮崎駿はそういう結末を拒否したということだ。異類婚が幸福な結末を迎えないのは、人間が死を排除出来ないからである。異類と暮らすことは死と暮らすことだ。それに耐えられないから異類婚はうまくいかない。耐えられるのは、死を怖いと思わない文化である。つまり、神(異類)も人間も別に変わりがないと思われている文化である。

 「崖の上のポニョ」を見ていないので何とも言えないが、もし異類婚が幸せな結末になるというものであるなら、そこには異類と人との境界が低くされていて、神と人との区別が無いような形で死が乗り越えられている。そこの描き方がたぶんもっとも大事なところではないかと、番組を見ながら考えていた。

              夏雲や森の青さやめでたかり