「千と千尋」の授業2008/08/02 23:25

 今日明日とオープンキャンパスである。私は朝から出校で、個人相談。いわゆる営業である。受験生がいろいろと相談に来るのでその相談に乗る係り。案外この対応が良かったから受験を決めたという受験生もいるので、手を抜けない。

 10時から3時までけっこう途絶えることなく相談者はいた。先日の新聞に全国の短大の70%が定員割れだという記事が出ていた。四大もそうだが、人気のないところはますます落ち込み少数の人気のあるところに集中する傾向が一段と強まったといえようか。とりあえずわが短大は人気のあるほうにいる。今のところは。

 明日は模擬授業である。ここ毎年「千と千尋の神隠しの文化論」というのをやっている。案外好評で、もうそろそろネタも古くなったし終わりにしようか、とも思うのだが、ついやってしまう。この映画は、物語の構造としても、あるいは民俗学のモデルとしても良い教材なのである。

 トンネルから異界に入って出てくる構造は異界訪問譚であって、神話のイザナキの黄泉国訪問譚と重なる。神々のいくつかは仮面をつけて登場するが、その解き明かしも面白い。春日神は、二の舞の雑面、千の力で生き返るくされ神は翁面。その湯屋の場面は冬に行われる湯立神楽と同じである。神々にお湯を浴びてもらい生命力を回復してもらうというものだ。

 千尋が千になり、親を助けようと湯屋で働き、ハクが好きになりやはりハクを助けようと双子の湯婆のもとに出かける。最初わがままで甘えん坊であった少女は確実に成長する。当然、世界的な物語の構造である、少女成長譚、つまり通過儀礼の物語の構造がある。愛の力で困難を切りぬけるのは、例えば西欧の異類婚物語である「美女と野獣」と同じである。

 むろん、「千と千尋」はそんなに単純な物語でもない。例えば成長したはずの千尋は、帰りのトンネルで母親の服を掴んで離さない。最初の甘えん坊の千尋に戻ってしまっているのである。それにしても本当に最初の千尋に戻ってしまったのだろうか。異界でのあの成長は何だったのか。むろん本当に元の世界に戻ったのかどうかは分からない。いろいろヒントは隠されている。例えば髪留めなど。

 まあ授業の内容はこのくらいにしておこう。ほとんど解き明かしてしまっているのだが。結論を知りたい人は、オープンキャンパスに来て下さい。

         マヨヒガに冷えたビールが置かれけり   
(マヨヒガは迷い家。遠野物語に出てくる異界の家)