イタメシ食べて読書会2008/08/01 00:03

 今日は前期最後の日。私は授業が一つあってテストである。問題の概要は先週示しておいたのでけっこう書けていた。仮面祭祀についての授業なのだが、何故われわれは仮面を必要とするのかという本質的な問題も出す。民俗学の授業だが、民俗学ってけっこう哲学的なのである。

 五時から自己評価・自己点検報告書作成の委員会。私が責任者なので、報告書の目次を作って、各委員に分担案を示す。大学関係者ならこの作業の大変さはおわかりでしょう。

 それが終わって、わが学科の読書委員と一緒にやっている読書会に参加、という予定だったが、会議が長引いて読書会は終わっていた。それで、その後、みんなで神保町のイタメシ屋で食事会。もともとイタメシ食べて読書会という予定ではあった。総勢7名である。

 読書会の本は伊坂幸太郎の『アヒルと鴨とコインロッカー』である。私はついでに村上春樹の『パン屋再襲撃』も読んでおいたらと言っておいたのだが、村上春樹の方までは話は展開しなかったようだ。『アヒルと…』は、主人公が、本屋を襲って広辞苑を奪おうと誘われるところから始まる。何故広辞苑なのかという説明はなく、それは後から明かされる。

 『パン屋再襲撃』は夫婦が夜中に猛烈な空腹に襲われ、パン屋を襲撃しようと町に出かけ、散弾銃を持ち目出し帽を被って、パン屋がないのでマクドナルドを襲撃し、ハンバーガー三十個を強奪するという話である。村上春樹の方は、何故パン屋を襲撃するのかその理由は分からない。本人達も理由など考えない。ただ、われわれはこういう不条理に時々引き込まれるのだということだけを描いているといってもいい。

 伊坂幸太郎の『アヒル…』は明らかに『パン屋再襲撃』を意識した出だしである。が、決定的に違うのは、その理由が最後に解き明かされることである。そして、それを解き明かすプロセスがこの小説の全体の物語になっているという点だ。その意味でミステリーのようでもあり、エンターテインメント小説のようであもある。不条理が排除されているところが決定的な差と言ってもいい。

 どっちが面白いという比較は意味がないだろう。最初から表現の水準が違うのである。ただ、私は『アヒル…』にあまり惹かれなかった。村上春樹と比較してということではなく、この種の小説に期待する爽快感に欠けているというのがおおきい。爽快感は私の好みなのだが。最近のこの手のストーリーテラーに共通していえることだが、村上的なのりの文体で実に巧みに複雑な筋を織り上げていく。その物語創作能力はたいしたものだと思うのだが、何かが足りない。結局、人間が描けていないということなのだろうか。人間が描けていないと自分を登場人物に移入出来ないのである。

 いかにも人間らしく描けとか、リアリティがないとか言うのではない。村上春樹の描く人間はリアリティのない非日常的な存在だが、それでもその人物に転移できるのは、その描かれ方の中に、どこか説明されない余韻のようなものがしっかりと抱え込まれているからである。そういう部分があると、自分の内面を重ねるように重ねられるのだ。

 アメリカのハードボイルドでも、SFでもそういう人間の描き方はうまい。その点、最近の若手の小説はまだまだだなと思う。ただそれはすぐにきれてナイフを振るってしまうそういう若者の誕生の問題と重なるのかも知れないが。

 読書会を終えて帰途についたが、千代田線で代々木上原に出ようとしたら、小田急は不通とのアナウンス。仕方なく神宮前で降り、原宿でJRに乗り新宿へ。京王線に乗り換えて仙川まで行った。そこから歩いて帰ってきた。25分かかったが、イタメシ屋でかなりカロリーの高い食事をしたので丁度いい運動であった。

               夏の夜に魂離(あくが)るる読書かな

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