五感の表象2008/07/26 01:24

 週末はなるべく山小屋だと思っているのだが、どうしても仕事は私を解放してくれない。木曜の夜に山小屋に来たが、金曜の今日山小屋で仕事、そして土曜は茅野から学校へ往復。日曜日にまた東京に戻り、月曜はまた出校。何でこんなことをしているのかというと、暑くて一日でも山の方にいたいからである。

 茅野から東京まで片道六千円、往復すると馬鹿にならない。が、前日に週末フリー切符というのを買うと往復八千円で買える。四千円安くなる。いつも買えるわけではないが、今回はこれを買った。が、車のガソリン代、高速道路代と我が家の交通費出費はかなりのものである。

 とにかくチビがばてていて、東京では散歩をいやがる。足が短く黒い毛が密生しているものだから暑さに弱い。日中熱せられたコンクリートの道路をあるくことをとてもいやがる。それでチビのためにも山に来ざるを得ないということもある。もともと、山小屋建てたのは、犬をつれて旅行に行きたいが行けないので、それならと思い切って山小屋を建てたので、犬のためなのである。うちは犬が中心なのである。山でのチビは別人(犬)である。とにかく元気がいい。

 それでも山は毎年暑くなってきている。むろん東京よりは涼しいが。高度が1400あるので、東京よりは7・8度は低いはずだ。それでも、やはり温暖化だなという実感はある。ほんとに地球はどうなっていくのだろう。

 養老孟司が人間は五感を使うのを止めて脳だけて生き始めたことと環境破壊はつながっているのだと、今日のBSフジの番組で語っていた。フィリッピンのある島にゾウムシを探しに行くという設定の番組で、島の少数民族なども紹介されていて思わず見てしまった。

 今、遠野物語の新しい読みを何とか見いださないと、九月初め、松江でひらかれる研究会で困ったことになるという状況なのであるが、この五感の問題というのは、ヒントになった。というのも、遠野物語では、村人が山で異人に会うときに生じる様々な反応というのは、この五感に関わるのではないかと思うからである。つまり、脳で起きる反応ではないということだ。

 例えばそれは境界での表象という問題にもつながるだろう。境界では特に身体的な表象が多く語られる。それは五感の表象なのでもある。というようなことを思い浮かべながら、いつのまにか寝入ってしまって、夢うつつにいろんなことを考えていた。が、目が覚めてほとんど忘れてしまった。そんなものだ。

               暑くても暑くても目覚めては夏