中国の不思議2008/07/23 00:36

 昨日今日中国雲南省昆明が大きく報道されている。町村官房長官は今中国では各地で暴動が起こっているようだなどとコメントしている。確かに、地方の住民の政府や企業に対する抗議はあちこちで起こっているに違いない。ただ、これを報道する姿勢は、今中国は混乱状態にあるという雰囲気を作ろうとしているように思えて、やや客観性に欠ける気がしてならない。

 まずバス爆破と地方の農民や住民の抗議行動は分けて考える必要があるだろう。バス爆破はテロだが、抗議行動は、暴動というよりは、デモの延長みたいなものである。一党独裁の中国で、政府に抗議する集会やデモが起きるということだけで、すごいことである。それが現に起こっているということをどう評価するかだが、中国コンプレックスの日本の保守派は、中国の凋落を期待して、中国の限界を声高に喧伝している。

 が、逆の見方も可能で、これだけの抗議活動が各地で起こっているというのは、一党独裁下の民主主義が機能し始めている、ということである。少なくとも、ミャンマーでの争乱のように、軍の弾圧によって大勢の人々が殺されたりはしない。

 企業の公害や開発によって農地を奪われ生活を台無しにされる人々の悲劇は、かつての日本でも起こったし、欧米でも経験してきた歴史である。その歴史を中国もまた繰り返しているのである。問題は、この負の歴史から中国が何を学び、この問題をどう解決するかである。

 一党独裁の中央集権型の中国では、こういう問題は、中央政府の権力が民衆の味方になり、企業と結びつく地方政府と対立するという構図になる。実は、この構図を中国当局が上手く作り出したことによって、地方の農民や住民は政府に対して抗議行動が出来るのである。温家宝首相の言うことをお前達も聞け!と農民達が企業や地方政府の幹部に怒鳴る場面がテレビの報道で映し出されていたが、この光景がそのことをよく物語っている。

 むろん、中央政府が中国の矛盾を解決するとは思わないが、少なくとも、人々に抗議行動の理由を与えている点は、発展独裁型の途上国の専制政治とは一線を画していると言えよう。そう考えれば中国はなかなかしたたかに、この出口の見えない矛盾に対処していると言える。従って、この抗議行動を暴動と読み替えて、中国が大混乱に陥っているような報道は、正確ではない。

 が、中国は、環境問題と経済発展の調和をどうはかっていくのか。急激な経済発展のひずみが今の中国の混乱のほとんどの中身である。民族問題も、結局は、経済発展による冨の分配というテーマに行き着く。多くの農民が経済発展の恩恵を受けずに、環境破壊の負を引き受けてしまうことがひずみであって、この農民の立場を少数民族に入れ替えれば民族問題の背景が見えてくる。ひずみによる負を引き受けた民族は、民族自立という名目があることによって、このひずみを反政府活動という政治の問題に転化しやすいのである。

 いずれにしろ、中国は、一党独裁を堅持しつつも、その独裁の中で政府への抗議活動を可能にしていくというユニークな方法によって、実質的に多様な意見を許容する中国的民主主義を作り上げるだろう。資本主義的経済発展は、個人の欲望の自由を価値とする。それを否定しない独裁は、すでに独裁ではない。その意味で、中国は今独裁でありながら独裁を実質的に解体させている不思議な制度の国なのである。

   蝉鳴くや穏やかな人杜を行く

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