神の思し召し2008/07/12 00:48

 何とか今日一日で明日の奈良での研究会レジュメを仕上げる。奥さんはチビと山小屋へ。私は一人まだ他人の家のようなマンションで仕事である。レジュメは結構な枚数になった。白族歌謡の論文やその翻訳などを入れたのが原因。ただ翻訳は結局時間がないのと、私の基礎中国語レベルでは太刀打ちできないのとで、結局必要なところだけの抜粋翻訳になった。

 なにしろ大学で中国語を習った訳ではなく、中国調査を始めてから独学で習ったものなので、進歩がない。やはり五十近くなってからの語学の勉強は無理がある。まず単語が覚えられない。人の名前をすぐ忘れる状態なのに、単語を覚えるなんて無理がある。

 ただ、人よりは文章力と、考える力、つまり、単語が分からなくても推測で理解する力はまだあるので、何とかついていける。それに中国語は、漢文の知識も使えるし、後は、ただひたすら辞書を引くだけだ。困るのは、中国語の文章はやたらに故事成句が多くて、いちいち辞書に載っていないことだ。もともと比喩的な言い回しだから、辞書に載っていないとお手上げである。だいたい頓挫するのはこういう語句に出会ったときである。

 今日学校から、高校の学校見学がありましたが、スケジュールの都合がつかず、今日予定していた学科長の説明会は中止になりました、という連絡がはいる。げっ、今日は、予定があったのだ。手帳には書いてなかった。書いてあったとしてもいつも見ないけど。それにしても、中止になって助かった。中止でなかったら、今頃私はすっぽかしたということで顰蹙を買っていたろう。昨日、神様、時間を下さいとお願いをしておいたのがよかったのだ。これはきっと神様(どなたかは存じ上げませんが)の思し召しである。

 それにしても明日の奈良は暑いだろうなあ。

                    風集め奈良の仏の夕涼み