姥捨て2008/07/01 00:48

 もう早いもので7月になる。時間は何でこんなに早く過ぎるのか。もう少しゆっくりでもいいのにと思う。奥さんの少し早めの還暦祝いが土曜にあったが、私は来年である。こういうのは抵抗したいね。

 今日授業で棄老伝説の話をした。姨捨伝承のパターンはいくつかあるが、決まっているのは棄てられる老人の年齢である。決まって六十なのである。六十で棄てられちゃたまらん。私は来年棄てられることになる。どうして六十なのかわからないが、これはたぶん還暦に関係しているのだろう。最近では、後期高齢者の年齢が現代の姨捨だと盛んに言われた。後期高齢者は75歳だが、60歳から75歳に引き上げられたというわけだ。

 日本には姨捨の風習はない、これはあくまで伝承だ、ということを学生に話したが、本当だろうか。親を背負って山に棄てに行くことはないとしても、金を奪い、仕事を奪い、生き甲斐を奪い、人との関わりを奪い、というように無形に棄てるという行為は山ほどあるのではないか。そんなことを考えると空しくなる。

 ちなみに何故、老人棄てではなく、「姥」棄てなのか、ということだが、姥は異界的な存在。老人を異界的な存在に見立てて犠牲にする、という心性がそこに働いているかも知れない。赤坂憲雄はこの姥捨て伝承には供犠の問題が隠されていると述べている。棄てるのは親ではなく、山姥のような異界的な存在なのだということだ。

 夕方、基礎ゼミナールのテキスト作りの会合。みんな基礎ゼミナールの授業に苦労していることがよくわかった。この授業は、大学・短大全入学生の必修授業である。テキストがないのがおかしい。ということでテキスト作成のための委員会を作ったが、私はまた責任者である。仕事は増えるばかりである。

わが魂も還りたがらぬ半夏生

自己評価報告書2008/07/03 00:12

 課外講習の万葉講座の準備がけっこう大変である。巻1の歌から一つずつ読み込んでいく講座だが、かつて大学院で歌を一首ずつ調べて発表していたときのことを思い出した。諸注釈にあたり、この歌の何処を説明すればよいのか、考えながらやっていくのは、仕事の忙しい身としては大変だが、いかにも勉強している気がして楽しいものである。私は教える方だが、ある意味では受講している方々と同じ気持ちかも知れない。

 とにかく準備に時間がかかる。ここんとこ睡眠時間が少なくなってきているのは、この講習があるせいである。おかげで、短歌時評がまだ書けないでいる。今週中には何とかしなくては。

 今日は、午前中に学生と卒業レポートのテーマについての相談。昼は、中国から来た学生に中学英語の講習。前にも書いたが、英語をまったく習っていない中国の学生に、英語が苦手な私が一緒に中学の英語から勉強しようと始めたまあ勉強会である。時々私が中国語で言うとこうかと聞く。違いますと答えが返ってきて、私の基礎中国語の勉強にもなっている。

 午後は5限に基礎ゼミ。今グループワーキングの作業をしているところ。グループ別に分けて、それぞれテーマを見つけて、みんなで調べてレポートを書き、レポート集を作ろうという試み。神保町をテーマにしたらみんな同じようなテーマになってしまった。もう少し多様なテーマになるような誘導が必要だったと反省。

 今度の土曜の古代のシンポジウムはかなり人が来そうである。M氏から印刷されたレジュメが送られてきたが、何と230部あった。こんなに来るのだろうか。来たら会場の教室はどうなるのだろうと心配になった。当日は大きな教室に会場を変更した。

 昨日は、午後は大学基準協会の人を招いての講演。大学の第三者評価の話だが、実は短大もやはり第三者評価を受けなければならない。来年の初めにはそのための自己評価の報告書を書かなくてはならない。その作業は夏休みから始まる。その責任者はまた私である。

 基準協会の担当者は、何度も、自己評価報告というのは、自分たちが抱えている問題を自分たちが自覚するために行うもので、自己評価報告書を作ることが目的なのではない、と何度も力説していた。当たり前の話だが、文科省が大学に直接口出しするのをやめて、指導を第三者評価機関に任せた、という背景がある。つまり、ソフトにだが、国による指導の一環であることには変わりない。だから、大学側は、これをやらなければ国から補助金がもらえないということで、とにかく、報告書を作ればいいんだということになる。現実とはこういうもんである。

 むろん、大学ではこういう報告書とは別に、生き残ろうといろんな改革を試みている。報告書作りがこの改革の推進役になればいいのだが、現実は、改革に取り組む教員の雑務をただ増やしているだけである。こういう仕事は私のような真面目で人の頼みを断れない教員に集中する。全国の私と同類の教員のみなさん。ご同情申し上げます。

           よっこらと目覚めて起きて七月や

『短歌の友人』2008/07/05 01:01

 いやー暑い。今日は暑かった。明日の準備のために出校したが、さすがにこの暑さでは、駅まで歩く気がしなかった。行きは丁度奥さんの友達が家に来るというので車で駅まで迎えに行くのに同乗。帰りはバスである。

 昨日の晩から、短歌時評の原稿を書き始める。何とか今日書き終える。穂村弘『短歌の友人』についての文章である。この本に紹介されている現代の若い歌人達の歌は、けっこう面白い。

たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔 飯田有子
電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、と言って言って言ってよ   東 直子
ちからなくさしだす舌でだらしないのがみたいんです今みたいんです  今橋 愛
黒色の落書きは叫ぶ わたしを消してわたしを消してわたしを消して  早坂 類
   
どうですすごいでしょう。穂村弘はこれを「棒だちのうた」と呼んでいる。歌らしい修飾を武装解除して息苦しい生を生き延びるために歌う歌だということである。
 
 こういう歌は簡単には批評できない。批評する姿勢の前に、カウンセラーのような姿勢になってしまうからだ。だから、こういう歌に対する時は臨床的になる。それで、私の短歌時評のタイトルは「臨床批評」と名付けた。

心に病を持った人のカウンセラーをするときに、次のようなことを守らなくてはいけないということだ。
・相手に多く語らせてその話をじっくりと聞く。
・相手を問い詰めたり否定したりしない。
・解決を求めない。
 
 臨床批評は、たぶんこのような態度で対することになるのだろうか。それはすでに批評ではないが、でも、そう対せざるを得ないほどに、いろんな意味で、現代の心は疲弊している。穂村弘の本を読んでそういうことがよくわかった。

           青葡萄熟すことを拒みけり

絶叫コンサート2008/07/07 01:58

 土曜は学会のシンポジウム。パネラーは古事記研究者のMさんとファンタジー作家の荻原規子さん。Mさんは230部の資料を送ってきた。まさかと思っていたが、200人の参加者でさすがに驚いた。荻原さんの人気はすごいものだと改めて認識。

 ほとんど全国からやって来ている。そしてほとんどが若い女性で、最初私は私の大学の学生かと思ったが、確かに何人かはいたようだが、ほとんどは学外者である。荻原氏のブログなどの情報でここでのシンポジウムを知ったようだ。

 シンポジウムはこちらの思惑通りというか、面白いものになった。Mさんは口語訳の古事記で有名だが、ある意味では創作でもあると語っていた。神話をベースにした創作について、荻原さんは、面白くしようと思うと書けない。自分が面白いと思うこと、つまり、無意識にわき上がってくるようなことなのだろうが、そういう衝動が大事であるようなことを語っていた。

 神話的なファンタジーという設定の中で(たぶん無意識から)わき上がる何か、という言い方は面白い。こういう物語的な面白さは、たぶんにわれわれの深層に構造化されているということだ。その深層に憑依する力が作家の力ということになるのだろう。このシンポジウムのシリーズの最初は私が担当したが、私は、笙野頼子を扱った。笙野頼子は、まさに、自分の無意識に憑依しようと、病的なほどに執着した作家である。そのうち無意識に憑依するという設定の面白さに目覚め、自分は憑依そのものなのだというような物語を紡ぎ始めてしまった。

 荻野ファンと笙野ファンは重ならないだろうな、などと思いながらシンポジウムを聞いていた。ちなみに私は笙野ファンである。

 今日、午前中、昨日の納骨に行けなかったので癌で死んだI君の墓参りに行く。多磨霊霊園なので車で40分で着く。割合近い。とにかく暑かった。

 夕方、私と一緒にシンポジウムをやったS君と一緒に、福島泰樹の短歌絶叫コンサートに行く。渋谷のライブハウスである。S君が一度福島泰樹のコンサートを見たいというので、声をかけた。小さなライブハウスであった。私は久しぶりだが、なかなか良かった。

 S君は授業でギターを持ち込み、学生の心の鬱屈した思いをブルースをして歌ったりしている人気講師で、今あちこちで引っ張りだこである。福島泰樹の絶叫コンサートには感激していたようだ。特に今日、寺山修司没後25周年ということで、青森から故郷を棄てるように出てくる寺山の詩が何度も朗読され、S君は感慨に浸っていた。S君の故郷は青森なのである。コンサートが終わって二人で食事。歌卯という行為による表現で何か出来ないかと話が弾む。忙しかったが、楽しい日曜日であった。

夏雲や逝きし友の墓参り

チビの時間2008/07/10 00:42

 今度の週末奈良で研究会があるので、それの準備があり、睡眠不足が続く。具体的に何かを調べているというのではないが、一応、発表なのであれこれと資料を当たっている。雲南省の鶴慶という町の「漢調」の歌を題材に何かをしゃべりたいのだが。

 昨年の夏この町に行って、町の有名な歌い手に取材をした。ここんとこそのビデオのテープを見ながら、活字にしているのだが、いまさらながら自分はフィールドワークに向いていないとつくづく感じる。

 だいたいこちらの質問の意図に答えてくれる人はほとんどいない。それを承知でこちらが確かめたいことを、上手く聞き出すのがフィールドワーカーなのだが、私はどうもそこがだめである。上手くコミュニケーションがとれないとその場で思うと、もうだめだなと勝手に思い込んで次の質問に行ってしまう。だから後でテープを聴きながら、なんでもっと突っ込んで質問しないんだと、自分に怒鳴ってしまうのだ。

 歌の音数律とかメロディというのはその地域や民族のアイデンティティである面があって、その意味ではそれはきちんとした様式をもっている。その様式がちょっとでも違うとコミュニケーションがとれない。が、一方で、かなり柔軟な面もある。この柔軟さもまた意味を持っている。というのは、柔軟であるから、熟練していない歌い手が参加出来るということも可能なのだ。あるいは、そのアイデンティティを揺さぶるのもこの柔軟さではないか。

 そういったことをどう展開していくかが、腕のみせどころなのだが、腕が悪いので、たぶん、まとまりが無くなるだろうと思う。とにかく、もう少し時間を下さい、と神様にお願いしたくなる。無理に時間を作れないことはないが、たぶん身体が持たないだろう。それほどここんとこ忙しい。

 同僚の先生方もみな疲れた顔をし始めている。6月は休みのない月で、いつもなら、7月に入るともう夏休みだなあと、何とか元気を出せるのだが、最近は、7月末日まで授業があって、休講も出来ない。休講すると必ず補講をしなきゃならない。会議に、休講率と補講率の統計グラフが毎年出て、去年と比べてどのくらい減ったかと報告される。8月に入ってもオープンキャンパスや雑務がまっていて、そして中国の調査があってと、たぶん休めない。

 毎日家でただ寝ているだけのチビを撫でながら、私の中を流れる時間の速さというものを考える。チビから見たら私は早送りで動いているビデオテープのようなものだろう。今日「その時歴史は動いた」では松尾芭蕉の特集。松尾芭蕉は51歳くらいで死んでいる。私はそれより長く生きているが、「古池や~」なんて境地は無理だろう。

 忙しい理由は、実は私がいろんな関係を断ち切れないからだ。断ち切られることはあるかも知れないが、意志的に断ち切ることは、出家でもしないかぎり無理である。生活というものは関係でなりたっている。その生活を価値として生きている限り、私は忙しさから解放されないだろう。不祥事を起こしてみなから関係を断たれない限りは、である。

 この忙しさを何とか乗り切っているのは、これが生活だからだと思っているからである。チビのように一日寝ているのも生活だし、忙しく働いているのも生活である。その二つの生活に価値の軽重はない。つまり、どちらも同じ重さである。違うのは、その生活が抱え込んだ関係の重さだけだ。

 私は生活を軽く見て思想や観念を重く見る見方をとらないと決意したことがある。その決意が続くかどうか自信はないが、それは、生活が忙しくて仕事(例えば研究)が出来ないような人生はくだらない、という考え方をとらないということである。私の中ではまだそれは生きているようだ。

夏草や芭蕉の時間もらいけり

神の思し召し2008/07/12 00:48

 何とか今日一日で明日の奈良での研究会レジュメを仕上げる。奥さんはチビと山小屋へ。私は一人まだ他人の家のようなマンションで仕事である。レジュメは結構な枚数になった。白族歌謡の論文やその翻訳などを入れたのが原因。ただ翻訳は結局時間がないのと、私の基礎中国語レベルでは太刀打ちできないのとで、結局必要なところだけの抜粋翻訳になった。

 なにしろ大学で中国語を習った訳ではなく、中国調査を始めてから独学で習ったものなので、進歩がない。やはり五十近くなってからの語学の勉強は無理がある。まず単語が覚えられない。人の名前をすぐ忘れる状態なのに、単語を覚えるなんて無理がある。

 ただ、人よりは文章力と、考える力、つまり、単語が分からなくても推測で理解する力はまだあるので、何とかついていける。それに中国語は、漢文の知識も使えるし、後は、ただひたすら辞書を引くだけだ。困るのは、中国語の文章はやたらに故事成句が多くて、いちいち辞書に載っていないことだ。もともと比喩的な言い回しだから、辞書に載っていないとお手上げである。だいたい頓挫するのはこういう語句に出会ったときである。

 今日学校から、高校の学校見学がありましたが、スケジュールの都合がつかず、今日予定していた学科長の説明会は中止になりました、という連絡がはいる。げっ、今日は、予定があったのだ。手帳には書いてなかった。書いてあったとしてもいつも見ないけど。それにしても、中止になって助かった。中止でなかったら、今頃私はすっぽかしたということで顰蹙を買っていたろう。昨日、神様、時間を下さいとお願いをしておいたのがよかったのだ。これはきっと神様(どなたかは存じ上げませんが)の思し召しである。

 それにしても明日の奈良は暑いだろうなあ。

                    風集め奈良の仏の夕涼み

怒江のダム2008/07/14 01:00

今日午前中に京都から戻る。昨日は奈良での研究会、宿泊はいつも京都である。17日から祇園祭。まだ京都は混雑していないが、宿はそろそろ満杯になっているそうだ。

 昨日今日とさすがに暑い。私の発表は何とか終わった。ロシア人の研究者Eさんもメンバーだが、彼女は、ロシアの哭き歌について紹介してくれた。哭き歌は、一般には葬式の時に歌われるものである。ところが、ロシアでは結婚式の時に歌われる例があるのだという。哭き歌は専門の歌い手がいるのだが、葬式の時も結婚式の時も歌うのだという。

 結婚式なのにと思うかも知れないが、娘を嫁にやる親の側が哭き歌を歌う。娘が嫁ぐ先はそれこそ異界であって向こう側の世界である。だから、それを悲しみ哭き歌を歌うというのだ。考え方としては死者を送るのと同じなのだ。どちらもこちら側の世界との別れなのである。

 今はさすがにそういう風習はないということだが、それにしても面白い。中国の少数民族で、花嫁の女友達が哭き歌を歌う例はよくある。が、葬式と同じ考え方だというような意味合いで哭き歌を結婚式で歌う例は初めてである。

 かつてはいろんな場面で人はよく泣いた。特に儀礼の場面で日本人はよく泣いたものだが、今は泣かなくなったと柳田国男は『涕泣史談』で書いている。泣くことが儀礼そのものでもあったのだが、そういう儀礼そのものが無くなってきたということでもある。

 今日は暑くて仕事がはかどらない。夜テレビで中国特集をやっていた。環境問題を扱っていた。私が二度ほど調査に行った怒江のダム建設が話題になっていた。怒江は大峡谷で、川は激しい濁流である。そこにダムを造れば、確かに電力の供給は可能になるだろうが、自然への負荷の方が大きいことは目に見えている。中国内の反対運動を取り上げていた。

 怒江流域は中国でも貧しい地域だから、地方政府が何とかダムを造って企業を誘致しようとするのはわからないではない。が、問題はそのやり方であり、環境や経済性について冷静に判断されているかどうかである。

 ダムによって農民は土地を取り上げられるが、ダムを造ることによって得られる利益がそういった農民に適切に分配されるのかどうか。たぶん、役人や企業の利益に分配されるだけで、農民に回ってこない。それが今、各地で起こっている、開発に対する抵抗や暴動の原因である。

 経済性についても疑問はある。怒江流域は中国の辺境であり、交通の便は極端によくない。そこにダムを造ってもそのコストに見合うほどの産業がこの地に育つとは思えない。電力を大都市に供給するには遠すぎる。そして、四川省に近い地震地帯という問題もある。
日本の不必要な公共事業が今日本を苦しめているように、私の見たところ、この計画は将来禍根を残すと思われる。が、こういう目先の利益を重視する開発計画を止めるのはまず無理である。

 杭州の幹部が、環境保護と経済発展を両立させることができたらそれは芸術だと、演説していた場面があった。「芸術」とはすごい言い方である。それだけ非現実的だと言うことなのだろう。

 中国の問題は他人事ではない。まして、私が調査している地域そのものが今このように経済と環境問題の間で揺れ動いている。環境との調和のとれた経済発展が理想だが、それが「芸術」と言われるほど絵空事なのが現実である。

 環境問題は人間という存在そのものが悪なのであるという事実を人間自身につきつける。環境が善であるとしたら人間が悪なのだ。むろん、これは極端な思考だが、この極端さを支えているのは環境無しに人間は生きられないということである。

 が、環境無しに生きられる、という人間がそのうち必ずあらわれる。フイリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」はそういう人間に満ちた未来を描いたSFだった。そう考えると、フイリップ・K・ディックはやはり凄い作家だっと今さらながら感心する。

     誰もいない地球夏の夜の夢

久しぶりの登山2008/07/22 00:00

 この日記も久しぶりである。先週の週末は山小屋に行っていた。いつもは山小屋のパソコンでブログをつけるのだが、山小屋のパソコンのインターネットがつながらなくなっていた。おまけに、地元のケーブルテレビもつかない。電話も不通になっていた。

 どうやら、雷が原因らしい。ケーブルテレビは何とか復旧。電話もつながった。インターネット接続は、地元のプロバイダーのASDSLでつないでいるのだが、接続機器がいかれていたために、それを交換した。が、それでもつながらない。どうやら、パソコンのランの接続口と内蔵モデムがだめになったらしい。電話線をつないでも信号が流れないのである。

 山の中だから修理といっても大変で、それでインターネットはあきらめることにした。修理に出す時間がないのと、機会をみて修理にだしても戻ってくるのは八月になるだろう。ただ、メールを見ることが出来ないのは困った。仕事の連絡は最近メールが多いので、メールだけ何とか見ることが出来るように現在どういう方法があるか思案中である。

 それでしばらくブログを休んだというわけである。今日は、休日だが出校。月曜は休日が多い曜日なので、授業回数を確保するためには、こうして休日を返上して授業をしなくてはならないのである。午前中に茅野から東京へ。暑いのでなるべく東京にはいたくないので、昨夜は山小屋で、今日山小屋から出勤というわけである。今日の通勤代は6千円である。むろんこの交通費は出ない。

 昨日、八ヶ岳の天狗岳に登った。私より年輩の人達との9人ほどのグループ登山である。私自身は実に20年ぶりくらいの登山になるだろうか。唐沢鉱泉というところまで車で行き、そこから、西天狗岳、東天狗岳の頂上を目指す。何でも地元の中学生が学校で登山するコースだということで、高年齢のわれわれでも登れるということなので、私と奥さんは誘いにのることにした。

 唐沢鉱泉は標高1900㍍、天狗の頂上は2650㍍なので、大した高低差ではない。が登り約3時間半、下り3時間ほどである。運動不足を解消するにしてはいきなりハードな運動であったが、けっこう快適に登山できた。脚の筋肉がそれなりについていることがわかってほっとした。脚の太ももの筋肉が落ちると、下りがつらい。下りで脚を痛めたりあるいは体力を消耗してしまう。登山は登りより下りのほうが難しいのである。まだ脚だけは健在である。

 天気も良く山頂の景色も素晴らしかった。20代、私はよく登山をした。八ヶ岳もよく行った。正月には赤岳にも登った。こういう家業をするようになってから、ほとんど登山をしなくなり、血圧も高く、痛風にもなり、最悪の身体になった。中高年の登山ブームとやらも馬鹿には出来ないな、と反省した次第である。山登りを続けていれば少なくともこういう身体になることは避けられたはずである。

 唐沢鉱泉に戻り温泉に入って帰ってきた。たった一日であるが、久しぶりに夏の休暇を楽しんだ。むろん、山小屋に居ても日曜以外は仕事で文章を書いていた。

 今日ニュースで、雲南昆明の路線バス二台が爆破されるという事件が報じられた。死者が出ているという。また、ワ族自治州ではゴム農園で暴動が起こり二人死亡したという。8月に私たちが行くところである。少し心配になつてきた。事件が起こることを心配しているわけではない。私たちの調査旅行の計画が中国側の思惑で頓挫するこがないか心配なのである。中国では、社会がやや不安定になってきている。が、それでも、イラクやアフガンといった地域とは違う。あれだけ矛盾を抱えていて、よくこれだけの混乱ですんでいるものだと感心する。警察国家だから、というより、それだけ中国という社会は成熟しつつあるのだと理解しておきたい。

                    雷神に挨拶もせず山下る

中国の不思議2008/07/23 00:36

 昨日今日中国雲南省昆明が大きく報道されている。町村官房長官は今中国では各地で暴動が起こっているようだなどとコメントしている。確かに、地方の住民の政府や企業に対する抗議はあちこちで起こっているに違いない。ただ、これを報道する姿勢は、今中国は混乱状態にあるという雰囲気を作ろうとしているように思えて、やや客観性に欠ける気がしてならない。

 まずバス爆破と地方の農民や住民の抗議行動は分けて考える必要があるだろう。バス爆破はテロだが、抗議行動は、暴動というよりは、デモの延長みたいなものである。一党独裁の中国で、政府に抗議する集会やデモが起きるということだけで、すごいことである。それが現に起こっているということをどう評価するかだが、中国コンプレックスの日本の保守派は、中国の凋落を期待して、中国の限界を声高に喧伝している。

 が、逆の見方も可能で、これだけの抗議活動が各地で起こっているというのは、一党独裁下の民主主義が機能し始めている、ということである。少なくとも、ミャンマーでの争乱のように、軍の弾圧によって大勢の人々が殺されたりはしない。

 企業の公害や開発によって農地を奪われ生活を台無しにされる人々の悲劇は、かつての日本でも起こったし、欧米でも経験してきた歴史である。その歴史を中国もまた繰り返しているのである。問題は、この負の歴史から中国が何を学び、この問題をどう解決するかである。

 一党独裁の中央集権型の中国では、こういう問題は、中央政府の権力が民衆の味方になり、企業と結びつく地方政府と対立するという構図になる。実は、この構図を中国当局が上手く作り出したことによって、地方の農民や住民は政府に対して抗議行動が出来るのである。温家宝首相の言うことをお前達も聞け!と農民達が企業や地方政府の幹部に怒鳴る場面がテレビの報道で映し出されていたが、この光景がそのことをよく物語っている。

 むろん、中央政府が中国の矛盾を解決するとは思わないが、少なくとも、人々に抗議行動の理由を与えている点は、発展独裁型の途上国の専制政治とは一線を画していると言えよう。そう考えれば中国はなかなかしたたかに、この出口の見えない矛盾に対処していると言える。従って、この抗議行動を暴動と読み替えて、中国が大混乱に陥っているような報道は、正確ではない。

 が、中国は、環境問題と経済発展の調和をどうはかっていくのか。急激な経済発展のひずみが今の中国の混乱のほとんどの中身である。民族問題も、結局は、経済発展による冨の分配というテーマに行き着く。多くの農民が経済発展の恩恵を受けずに、環境破壊の負を引き受けてしまうことがひずみであって、この農民の立場を少数民族に入れ替えれば民族問題の背景が見えてくる。ひずみによる負を引き受けた民族は、民族自立という名目があることによって、このひずみを反政府活動という政治の問題に転化しやすいのである。

 いずれにしろ、中国は、一党独裁を堅持しつつも、その独裁の中で政府への抗議活動を可能にしていくというユニークな方法によって、実質的に多様な意見を許容する中国的民主主義を作り上げるだろう。資本主義的経済発展は、個人の欲望の自由を価値とする。それを否定しない独裁は、すでに独裁ではない。その意味で、中国は今独裁でありながら独裁を実質的に解体させている不思議な制度の国なのである。

   蝉鳴くや穏やかな人杜を行く

先のことなど分からない2008/07/24 00:10

 今日、明日は補講日で授業はない。が、雑務で出校。私の勤め先の学部に就職したE君が6歳の娘さんを連れて仕事に来ていて、娘さんと顔を出す。何でも奥さんは出張でE君が面倒みなくちゃいけないらしい。丁度夏休みで学校に行っていないので、連れてきたということだ。

 今日は大学院の入試の面接と、教授会とそして前期の納会をかねた飲み会らしい。さすがに教授会に連れては行かなかったらしいが、それでも飲み会には連れていくということだ。娘さんのMチャンはとても利発で可愛い。お父さんは飲んべえだから飲み過ぎないように注意しなきゃだめだよ、といったら、うんと頷いていた。

 この夏の中国調査計画もだいぶ煮詰まってきた。いよいよ細かいところの打ち合わせに入る。

 秋のアジア民族文化学会の「続・アジアの歌の音数律」シンポジウムの計画も進んでいて、パネラーも一人を除いてオーケーをもらった。返事のないお一人はチベットの歌を研究している人で、その人に加わってもらえたら、アジアはほとんど網羅できるのではないかと思っている。

 今回は昨年と違って、音数律という概念そのものに揺さぶりをかけるものになるかも知れない。というのは、北方の歌はどうやら音数律という考え方がなさそうなのだ。発表を聞くまではわからないが、もしそういうことが資料としてででくるとかなり面白い。

 どうやら私は、シンポジウムの企画や旅行の企画とかのプロデューサーに向いているらしい。研究者より。それも情けない話だが、何でもこなすのが私の身上である。厳しい社会を生きていくためには何でもする。そういう意味では私もなかなかしぶとくこの世を生きているのである。

 それでも今私が一番悩んでいるのは、短大という私の職場の将来をどうするかという問題である。短大は全国的に縮小傾向にある業種である。そういう状況のなかで管理職をやるというのは、万年最下位の球団の監督をやるようなものである。上位にはなれない戦力で何とか勝ち進んでいく方法を探るのが監督の役目だ。もうこの球団は限界があるから、止めるか、何処かの球団と合併するしかない、という判断は監督の権限外である。

 ところが、私は一方で短大の将来構想を考える委員でもある。つまり、監督ではなく球団の身売りを含めてものを考える立場である。この二つの立場は矛盾する。何故なら、働く者のモチベーションは、今の環境がマイナスでも工夫次第でプラスに転換するのだと思うことで高まるからだ。将来身売りもあるよ、なんて計画を知らされてモチベーションを保てる者はいない。

 私は自分でいうのもなんだが監督としては優秀だと思っている。今の職場を何とか元気づけているつもりだ。負け越しではなく勝ち越しくらいの成績は収めている。が、それでも短大の将来をどうするのか、という一方の企画についてはよいアイデアはない。リーグ全体傾いているときにそのリーグのなかで勝ち進んでもあまり意味はない、というもう一つの現実を突きつけられているのである。困ったものである。

 が、先のことは誰にも分からない。確かに短大は今縮小しつつあるが、ゼロになるわけではない。あるいは復活なんてこともあり得る。ほんと先のことは誰にも分からないのだ。大型郊外店に客を奪われて絶滅寸前だった地元商店街が、あるところでは次世代型商店街として復活しつつあるという。むろんそれなりの知恵を働かしてであるが。やりようはいくらでもある。

 やりようはいくらでもあるはずだが、実際それじゃどうするの、と聞かれると、答えられないのが今の私である。まあ簡単にアイデアが浮かぶくらいなら、全国の短大関係者はこんなに苦労はしていないだろうが。

 先のことは誰にも分からない。それでいいのではないか。悪くなることもあれば良くなることもある。とりあえずそんな調子であと2年は監督業を続けて行かなきゃならないようだ。

                    雷神も仕事をさぼる甲子園