去りゆく日2008/05/19 21:42

 引っ越しも無事終了。ただ、荷物はまだ段ボールの中に詰まっていて、その段ボールは開封されないで部屋の中に積まれたままである。私は、次の日(土)科研の研究会で奈良へ出かけた。

 今回は壮族の歌掛けの研究者であるTさんの発表であったが、なかなか面白かった。相互唱が何故消えていくのか、という問題を壮族の現在の歌文化が抱えたテーマである、というメッセージとして発表。そして、日本ではかつてどうだったのか、と問う。

 日本のたぶん8世紀には相互唱(掛け合い歌)は消えたのだろうと思う。手紙によるつまり書字によるやりとりになったと考えられる。そのことによって和歌文化が起こり、相互唱文化はそういう形で継承されたというわけだ。壮族はどういう形が可能なのか、という問いである。

 壮族にも実は恋歌の代筆をする人がいて、手紙で掛け合いをやり取りするケースもあるのだという。Mさんはそれを聞いて興奮し、是非そのやりとりの実態と歌詞を調査してきて欲しいと懇願していた。その気持ちよくわかる。

 日曜は京都を七時半に出て、新幹線で東京へ。学校で仕事である。父母懇談会がある。11時からわが校の産業医で精神科医による、娘の心の問題への対処法の講演。われわれもそれを聞かされたのだが、けっこう勉強になった。心の筋力を鍛えろという。筋力とは余裕を持つことでもあるという。心をハードトレーニングで鍛えるというのとは違うようだ。

 それから、わが学科の学生の父母たちの相談を受けるが、編入への相談が一番多かった。特に心理学コースの学生の親の相談が多い。子供は臨床心理士になりたいというのだが、と親は言う。が、大学院を持つ学部へ編入しないといけないし、臨床心理士は社会に必要とされる職業だが、それで生活は出来ませんよ、ほとんどが派遣ですから、と説明。学生もそこはわかっていて、一年の時は臨床心理士になりたいと書くが、2年になると大半が志望を変える。学生もそれなりに考えている。

 今日は授業だが、とにかく家に帰れば段ボールを開けて本を書棚にしまう作業。さすがに疲れる。

 夜、ケンさんから電話。I君が今朝亡くなったという。思いの他早かった。ケンさんたちは昨日病院に会いに行ったということだ。何とかかろうじて話は出来たらしい。末期癌を宣告されてからこの1年ずっと付き合ってきた。ついにこのときが来た。こうやってわたしたちは一人ずつ去っていくのだ。

        五月のポスト去りゆくものの言の葉

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