シンプルに生きる2008/05/06 23:26

 いよいよ連休が終わるが、引っ越しの準備はなかなかはかどらない。準備と言っても、作業のほとんどんは本の整理が大半であるが、がらくた類の整理も始める。

 しかし、何でこんなにがらくたがあるのか。引き出しの中にこんなものいつ買ったのか、と思うようなものがたくさんあって、とにかく集めると山のようになる。もともと整理の苦手な私は、なにかが見つからないと、さがすよりは買うのが早いとすぐ買ってしまう。奥さんががらくたの整理をしながら、何でケシゴムが10個もあるのよ、と怒っていたが、まあそんな調子である。ボールペンなんか山ほどある。

 がらくたは不燃ゴミなのか、燃えるゴミなのかなかなか分類が難しい。川越では基本的に小さなものはだいたい可燃ゴミなのだが、かといって金属類はそうはいかない。プラスチックも再生のプラゴミなのか、可燃なのか、これも良くわからないものがたくさんある。

 古本の整理を専門とする業者に電話して引き取りに来てもらうことになった。少なく見積もっても700冊以上は処分するようだ。ちゃんとした古本屋でないのでたいして値がつかないだろうが、とにかく引き取りに来てくれるのがありがたい。

 とにかく今よりも狭いところへ引っ越すのであるから、いろんなものを処分しなくてはならない。若いときは、引っ越すときは今よりは広いところへ、であった。アパートや団地に住んでいて、もっと広い所へ住みたいと思っていたから、それは当然だが、今度は狭いところへ越すわけである。ある意味では、初めての体験ということになろうか。

 居住空間のスペースは、その居住者の、快適な生活への欲望の指標であろう。その意味で、若い時に広い空間を求めるのは当然で、快適さへの欲望がとても強いからである。が、この歳になるとさすがに、そういった欲望は衰えてくる。というより、快適さの質が違ってきたというべきか。むしろ、シンプルに生きた方が快適なような気がする。実際はそうでないにしてもだ。

 シンプルに生きるというのは、生きていくうえで必要とする物質的なものの量を少なくしていくということである。量が少なくなれば当然、居住スペースも小さくてすむ。山へ隠遁などどいうところまでいけば、それこそ方丈の住処でいいわけである。

 方丈の空間まで欲望を捨てるなどということはとても無理だが、それでも、こうやって自分の身の回りにあったものを捨てていく作業をしていると、少しは、自分の欲望をそぎ落としていく気になるから不思議である。

       世俗を捨てたように午後新茶飲む

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