「エディット・ピアフ 愛の讃歌」を観る2008/04/19 00:26

 昨日は民俗学の授業の2回目。休みが多かったのが気になる。が、受けている学生達はなかなか精鋭のメンバーである。感想がそれぞれ熱心である。仮面論であるが、何故仮面なのか、という肝心の話をした。試験に出やすいところなのに。

 昨日(木曜)の5限目に読書室委員の集まりもあったが、やはりこっちも集まりが悪い。木曜の五限目は、授業がなく、授業以外の行事のために全学的に空けてある時間帯である。が、学生はこの時間を自分のために有効に使って、学校の行事には来てくれない。なかなか笛吹けど踊らずである。

 今日は、引っ越し先のマンションの契約に行く。今日をもって、私は住まいをもう一つ手に入れたわけだ。借金して。死ぬまでローンである。今住んでいる家が売れれば、借金も早く返せるというものだが、なかなかそうは上手くいかないものらしい。とにかく、引っ越しの準備を本気でしなくてはならない。

 古いマンションなので、リフォームにそれなりに費用がかかる。引っ越しの費用やらと何かと物いりである。壁紙をどんなものにするかとか、エアコンを何台入れるとか、とにかく節約できるものは節約する。最初コンセントや電話線のモジュラーの移動をお願いしたが、見積もりを見たらそれだけで13万円とある。何でこんなに高いんだと聞くと、壁の工事を伴うので高いのだという。そこで延長コードで対応するからということでそれを取りやめた。私の書斎になる部屋の壁紙も変えないことにした。壁はほとんど本棚で埋まるので壁紙を換えても意味がない。そんなこんなで40万近くダウンさせた。

 今日鍵をもらったので部屋に入って、リフォームのイメージなどをリフォーム業者と打ち合わせ。それが終わって、雨の中、周囲を散歩。野川沿いに公園があり、犬の散歩は禁止ではない。これは犬の散歩によいところだ喜ぶ。そういえば、うちの奥さんと最初に住んだところが、武蔵小金井の野川沿いのアパートであった。30年前のことである。また野川沿いに戻ってきたというわけだ。

 夜、久しぶりにDVDを観る。 『エディット・ピアフ 愛の賛歌』である。オリヴィエ・ダアン監督、マリオン・コティヤールがピアフを演じている。ピアフ役の役者がとてもいい。よく出来た映画で、140分飽きることはなかった。

 やっぱり、貧しくて、恋愛はうまくいかなくて、傷つきやすくて、あげくに麻薬漬けになって、そして早死にするという、天才的な歌い手のお馴染みの人生であった。歌っている時と歌っていないときの落差、たぶん、たくさんの心を魅了する歌い手はこの落差がすさまじさいのに違いない。それは歌うことが憑依することと同じだということでもあるだろう。神と人間の落差に近づくのだ。

 神に近づいてしまった歌い手はその意味で不幸である。歌を歌ってない時の人生の方がほとんどだからである。神に近づいたことのない私はだからこういう映画に感動する。

            歌えばふと神に近づく人麻呂忌

宮澤賢治と歌の力2008/04/20 23:50

 相変わらず引っ越しの準備である。横田基地の隣にあるジョイフル本田に照明器具を見に行き、四つの部屋の照明器具を買った。このジョイフル本田、ほんとに広い。見てあるくだけで疲れてしまった。

 引っ越し先のマンションに照明器具を運んで、ついでに近所を散歩する。今回はチビも一緒である。近所の野川沿いの公園にチビの散歩初デビューといったところ。天気が回復したせいか、たくさんの犬たちが散歩している。今住んでいるところも、川があって田んぼが多くて散歩にはよかったが、今度のところもとても良い。もっともだからここに越すことにしたのだが。

 部屋はまだ何もない。明日からリフォーム業者が入る予定だ。明日、引っ越し業者が段ボールを我が家に送ってくる予定。引っ越し当日にその段ボールに本を詰めておくためだ。たぶん2百箱にはなるだろう。それを私ひとりでやるということらしい。いつの間にかそういうことになっていた。金を安くあげるためらしい。業者が本を詰めるというコースもある。それだとかなり割高になるという。私の労力だって金に換算すると馬鹿にはならないのだが、家計ではたいした金額ではないらしい。やれやれである。

 夜、谷川雁の物語論を読む。宮澤賢治の「かしはばやしの夜」について書かれた文章を読んでみた。この童話は宮沢賢治版「真夏の夜の夢」といったところだが、面白いのは、森の中で歌合戦があるというところ。歌垣研究者の私としては、見過ごせない童話である。

 谷川雁はどこまでも文学として読み込もうとしている。作者の思想や主人公の置かれた生活などをきちんと押さえた上で、精緻に分析をしていく。こまかな分析で教えられるところが多いが、この作品への全体の見方としては、途中まで読んだ感想として私はあまり惹かれなかった。

 その原因を考えながら読んでいたが、谷川雁は、基本的に、異界という幻想にあまり興味を持っていないということではないかと思った。宗教が文学を支配してはいけない、と最初に宣言し、宮沢賢治はそうではないと言う。

 つまり、吉本隆明の個幻想と共同幻想という言い方で言えば、谷川雁は徹底的に個幻想の人で、共同幻想というものにあまり惹かれない人なのだ。が、それなら何故晩年、童話のような物語にあれほど思い入れたのだろうか。その理由はよくわからないが、少なくとも、個幻想を飛び越える何かを政治思想ではなく、文学の童話的物語世界に見たのは確かだと思う。

 「かしはばやしの夜」で、森に入り込み、柏の樹の精霊と歌を掛け合う清作という主人公を、谷川雁は、兵隊帰りの貧しい農民として描く。なかなか異界の側のルールになじもうとしない清作は、宮澤賢治の童話の主人公としては、ちょっと異色かも知れない。

 私はもっと単純に、この世の清作と異界のかしはの樹の精霊との交流という視点で読んでいた。谷川雁のように読めばもっと複雑に読めそうだ。が、単純に読んでもいいのではないか、という気もする。この物語の主人公はあくまでも歌である。歌は、この世と異界をつなぐ不思議な力を持っている。その歌の力を描いたのだ、という読みでもいいような気がするのである。

           亀鳴くや樹々は笑ひて歌ひ出す

体力勝負2008/04/21 23:38

 昨日200箱と書いたのはやや大げさだった。せいぜい100箱から150箱程度だろう。ということで、引っ越し業者から段ボール箱が宅急便で届き、我が家は本格的な引っ越しモードになってきた。

 ところが、今日学校へ行ったら体中が痛い。夕方熱を測ったら37度7分あった。どうやら、疲労が蓄積して風邪を引いたらしい。が、今週は休む訳にはいかない。体力勝負だが、どこまで持つかだ。

 私は風邪を引くと太るという変な体質である。というのは、食欲が落ちないものだから、体力をつけようと必死に食べる。そして運動せずに寝ている。いっぺんにコレステロールが溜まるのである。だから、風邪よりはこっちの方がやっかいなのだ。私の胃は、危機的状況になると、逞しくなるらしい。野性的なのかも知れない。おかげで、中性脂肪とコレステロールはちっともさがらない。野性的な胃に見合う身体の運動をしていないからである。つまり、私は農民か肉体労働者向きの体質なので、教員という精神労働をするのは、最初から間違いだったのである。

 問題は本の処分である。古本屋に打診したが、見に来るという。見に来られても、値のつくような本はあんまりないし、どうしようか悩んでいるところである。値のつく本はこちだって処分したくないわけだから。

 とりあえず、今週を何とか乗り切って風邪を治さないと、引っ越しは出来そうにもない。やれやれである。

             朧夜に微熱の身体をそっと置く

その時歴史が動いた2008/04/23 23:50

 熱は下がって何とか回復。ほんとに風邪だったのだろうか。時々、疲労が溜まって熱を出すことがあるので今回もそうかもしれない。奥さんはそれも風邪だと言うが。体力は元に戻ったとは言い難いが、いつも疲れっぽいのでどういう状態が元なのか忘れてしまった。まだ身体がだるいけど、これがきっといつもの調子なのだろう。

 どうせ熱が出るなら起きられないほど徹底して出てくれればいいのに、いつも中途半端な熱だから、大丈夫といって仕事に出かける。でかけても仕事にならないのに。休めないのは一種の強迫観念みたいなもので、誉められたものではない。

 ということで引っ越しの準備は目下中断中。何かやる気が失せてしまった。まあ何とかなるさである。

 今日、NHKの番組「その時歴史が動いた」で、「古事記の誕生」をやっていた。KさんにNHKのディレクターが相談に来てそうして成立した番組だということだ。Kさんとは何時間も打ち合わせをして、6時間ものインタビューをしたらしい。ところが、実際Kさんの登場したのは1分足らず。見終わって、ちょっとがっかり、もう少ししゃべると思ったのだが。ただ、内容からすると、あまり冒険的なものではなく、いかに天皇中心の国家を作るという意図のもとに作られたか、というオーソドックスなものだから、Kさんの出番はやはりあまりないだろうなあとは思った。Kさんの古事記への思いはあんまり反映されなかったようだ。

 Kさんもどのような内容になるかは知らないと言っていたが、さすがにNHK。古事記という政治的には微妙な書物を、当たり障りなく、右にも左にも目配りしながらそつなくまとめたというところだ。

 出雲神話がすっぽり抜け落ちていたのは、時間の問題もあろうが、微妙な問題に触れたくなかったのだろう。口語訳古事記を出したMさんが登場しないのはそのためかも知れないが、ただ、Mさんは古事記序文偽書説を唱えているので、やっぱり登場は出来ないとは思うが。

 収穫は、Kさんの取材した彝族の神話の語りが放映されたことだろうか。直接古事記と結びつくわけではないが、口伝えの段階の神話として少数民族が取り上げられたことは、うれしいことである。

           この国の蠅生まれる頃の神話かな

Jホラーの文化論2008/04/24 22:55

 NHKハイビジョンで8時から2時間番組で、Jホラーの特集をやっていた。思わず2時間見てしまった。ホラー映画の特集かと思ったらそうではなく、Jホラーの恐怖の背後には、異界と共存する日本の伝統文化があるという設定で、呪いや怨霊や怪談の歴史を描いていく。ちょっとした教養番組になっていた。

 小松和彦も京極夏彦も、そして京都に行ってしまったS君も安倍晴明のコメンテーターとして登場。ひょっとして出で来るかなと思って見てたら案の定登場。昨日今日と知りあいがテレビに登場する。みなさん活躍しているということでいいことである。 

 異界論は私の最近の興味の範囲で、授業でも異界論を扱っている。だが、私はJホラーは好きではない。恐い話は研究対象として聞くのは好きだが、怖がることを前提に聞くのは嫌いなのである。だからああいう映画は観ない。

 日本の怪談の特徴は、説明がないところだという解説があった。アメリカのホラーはかならず最後に解き明かしがある。日本のにはないというのである。怨霊にはそれなりの因果関係はある。が、お化けとなるとなんだか分からないが突然出てくる。日本の幽霊は怨霊とお化けが交じったようなところがあるから、すっきりと説明づけるのは難しいのかも知れない。

 見ていて感じたのは、日本のホラーはやはり「情」なのだということである。その意味で歌の世界とつながる。怨霊とは、過剰な情の行き着いた一つの姿であろう。日本には、誰にも受け止められず暴走する情を、きちんと受け止める文化があった。恐怖と哀れさのない交ぜになった情でそれを受け止めるのだ。日本の怨霊も幽霊も、恐怖の対象でありながら同時に哀れの対象であることは注目していいことだ。 

 和歌は自分の中の暴走しかねない情を鎮め受け止める言語文化であるが、そういう意味でつながるところがあるだろう。

 ちなみに私は、知りあいの歌人のゲストとしてNHKのテレビに登場したことがある。もうだいぶ前のことだ。そこで癌にかかっているナナ(犬)のことを歌った歌を披露した。ゲストは必ず歌を歌えと言われたからである。確か
        陽光は沙羅の若葉を貫いて病の犬に届いていたり
という歌だった。何とか苦心してそれらしく読んだのだが、歌を作るのは難しいと今でも思う。

           春の夜のあの世が誘うものたちよ

ラッシュアワーは苦手2008/04/28 00:34

 土曜日は、地方出身学生との懇談会。実は、金曜の夜に山小屋に行っていて、土曜は茅野から往復である。とにかく、引っ越しの準備で、山小屋にもかなり本を置かないとどうしようもない。段ボールに6箱ほど積んで運んだ。それから、冬用のタイヤをノーマルタイヤに付け替え、そのタイヤも山小屋に運んだ。今度のマンションにはタイヤを積んでおく場所など当然ない。山はさすがに寒かった。薪ストーブを焚いたくらいである。

 土曜の2時から懇談会である。これは昨年から私が企画したもので、地方から出てきて一人暮らしをしている学生に集まってもらって、ケーキを食べながら、色々と話を聞こうという企画である。故郷のことや生活の不安などを語ってもらい、また、同じ地方出身者で友達が出来ればいいなと思って企画した。昨年は、時期が遅かったせいで集まらなかったが、今年は、16名が申し込んだが、5名休んで11名が集った。

 休んだ5名は、たぶん土曜なので遊ぶ予定が入ったのだと思いたい。今回はけっこう長野から来た学生が多かった。塩尻から2名、大町と上田から1名ずつである。名古屋、秋田、群馬の富岡、それから宇和島から来た学生もいた。

 地方では地元から通える大学が少ない。どうせ地元を離れるなら東京に出て勉強したいという動機が多かった。首都圏に住む学生はそういう点が恵まれている。首都圏にはいろんな大学が通学圏にひしめいている。教育機会の格差はこんなところにも表れているというわけである。

 悩みを聞いたら、一番はラッシュアワーであった。地方では、まず東京の朝のラッシュアワーに出会うことはない。さすがにこれは辛いらしい。まだ、通学経路を工夫して混雑を避けるという余裕はない。しかし、東京で生活するなら、これに慣れないとやっていけない。大変だが、逞しくなっていくしかない。

 一時間ほどで終わったが。成果はあったと思いたい。本当は、地方出身であろうと近くの出身であろうと学生同士が親しくなるようなフレッシュマンキャンプをやりたいのだが、けっこう難しいのである。こういう企画は教員の負担が増えるので、なかなか賛成を得られないのである。

 今日(日曜)は、S夫婦が子供を連れて来ていたので、一緒に昼頃に山小屋を出て、長坂の清春芸術村に寄って、それから中央高速で帰った。八ヶ岳や南アルプスの残雪の山肌が春の空の下を覆って、なかなかいい風景である。菜の花や、辛夷、山桜と、里の近景もまた心地よいものであった。

 帰ってから、本の整理である。なるべくたくさんの本を処分しなくてはならないのだが、なかなか処分する決断が出来ない。これから毎日悩みそうだ。張先生から、寧波大学に送った9箱の本が全部届いたとメールが来る。よかった。

       春愁など似合わぬ娘らと語りたり