スピリチュアルカウンセリング2008/04/14 00:10

 昨日(土)は学会でのシンポジウムで私がパネラーであった。もう一人のパネラーのS氏は、宗教学でユタの研究者。最近あちこちの大学で、ギターを抱えて心の叫びをシャウトする授業をやっていて人気を博している。

 彼は沖縄のユタが、自分の身体の痛みを沖縄という空間や土地の痛みとして感受する例を紹介し、ユタにとって、この痛みを介した世界理解が現代社会の様々な諸問題をほぐしていく一つの大事な方法なのではないかと説く。例えば、戦争の痛みも自分の身体の痛みとして語るその語り方、あるいは基地の問題にしても、このように痛みを通して理解しようとする。そこには社会科学的な理屈はないし、イデオロギーもない。ある意味では個人の妄想による理解かも知れないが、しかし、この妄想は、アニミズム時代以来の積み重ねに基づいた文化でもある。それなりに人々の心の奥に届く力を持っているのである。

 つまり、政治的な問題も社会的な問題も、政治や経済という意識的な論理ではなく、人々の無意識の領域にいったん戻すようにしてそれを受け止め解きほぐす仕方を、排除すべきではないということだ。そこには、政治や社会の論理を特権的に振りかざす声高な声ではなく、人々の深い共感といったものへと戻しながら問題を一つ一つほぐしていこうということでもあろう。シャーマンが政治や平和運動にかかわることを、何とも危ういと思うだろうが、無意識(神)の声は、気の遠くなるような時間の中で鍛えられた知恵なのであって、そのように読み込めばいいのだ。

 私の発表は、笙野頼子の小説『金比羅』論。無意識とつながるような存在、つまりシャーマンを装うとする作家の矛盾に満ちた表現行為を、笙野頼子の「違和語り」として『金比羅』に見出すというものである。S氏と関わっていくところがあるとすれば、苦痛、ということであろうか。無意識の世界は至福ではない、人間が抱える根源的な苦痛に近づくことだ。これは「ラカンはこう読め!」でジジェクが言っていることでもある。とすれば、シャーマンは神懸かることで人間の根源的苦痛を引き受けるということだ。だから、シャーマンは、カウンセリングを行うことが出来る。

 最近スピリチュアルカウンセリングが流行っていて、シャーマン的資質を持つ者がカウンセラーになっている。それは、無意識の世界につながる体験が根源的苦痛にちかづくことだからで、この体験にクライアントを近づけることが言わばカウンセリングになるからだろう。

 キリスト教会の牧師によるカウンセリングは、キリストの磔を信者にイメージさせその苦痛を疑似体験させることで、現世の苦痛などたいしたことなどないことを感じさせるのだと聞いた。たぶんそれと似ている。むろん、その根源的な苦痛を体験させるということではない。根源的な苦痛に近づくことによって、一瞬、現世の苦痛というレベルとは違う次元に転移するだけであろうが、悩めるものにとってはそれだけでも充分に癒しなのである。

 現世とは、無意識が抱え込む根源的な苦痛を排除しあるいは隠し、快適な生活や社会のシステムを人為的に作り上げてきたその成果そのものである。だが、カウンセラーに相談に行くもの達は、その近代の文明が作り上げた現世に傷ついたもの達である。とすれば、人為的に作り上げた快適な社会に戻れというアドバイスは通用しない。その社会が快適でないことを知ってしまっているからだ。

 とすれば、真の快適な空間などあるはずもないが、人間はそれでも生きていけるものだという納得の仕方をさせるしかない。それは、誰でも自分ではどうにもならない大きな存在(無意識)にとらわれるている。その無意識の根源的な苦痛を感じれば、今の辛さなんてたいしたことはない、けっこう快適ではないかという文脈を背景に、個々のケースをアドバイスしていく。スピリチュアルカウンセラーの落としどころはたぶんそんなところだろうと思う。

 笙野頼子は、自分で自分にたぶんスピリチュアルカウンセリングをしながら、無意識の根源的な苦痛に近づきすぎてしまった作家なのだと思う。その意味で孤独であり、多少自虐的でないではない。『金比羅』を読んだとき、ああこれはドストエフスキーの『地下生活者の手記』だなと思ったが、それほど的は外していないと思う。

 今日(日曜)は、今度引っ越すマンションに行って、部屋の様々な箇所の寸法を測ってきた。また、リフォーム業者と打ち合わせをした。まだ正式なけいやくをしていないので、所有権はないが、いまのうちから準備をしておかないと引っ越しが出来ない。

 連休前に引っ越しをしようと予定をしていたが、リフォーム業者がとてもじゃないがそんなに早くは無理だという。それでどうやら引っ越しは5
月中旬になりそうだ。本の整理が出来ていないので少しほっとした。ただ、部屋の寸法を測ってみて、あまりに狭いので愕然とした。今の家の家具類はほとんどマンションの小さな部屋には入らないことがわかった。マンションに住むときは一戸建て仕様の家具は捨てて行かざるを得ないと聞いたが確かにその通りである。とにかく、金がかかることは確かである。どうなることやら。

          春の闇花はきっと自分を見てる