「みなさんさようなら」を観る2008/02/15 01:02

 今日も出校。いろいろと忙しい。文章表現のテキストを作るためには、まず相見積もりを取らなくてはならない。複数の業者に来てもらって入札させて安いところに頼む。安い額だが、学校の方針で必ず相見積もりをとらせるのである。「千字エッセイ」の作品集も相見積もりをとったが、毎年印刷屋が違う。業者も数万円単位の仕事をとるのにいちいち入札しなきゃならなんのだから、大変だと思う。今日はその相見積もりのために業者に来てもらった。

 バレンタインデーのチョコはとりあえず2個いただきました。実は、この時期、教員は職場にいることはないので、私も今まではチョコとは無縁だったのだが、学科長になったらバレンタインデーの日でも仕事をしなきゃならない。ということで仕事をしているものだから、気を遣ってもらって義理チョコを頂いたのですが、ありがたいものです。

 夜、DVDで映画「みなさん、さようなら」を観る。監督はドゥニ・アラカン、アカデミー外国語映画賞を取った作品だ。前々から観ようと思っていた映画だった。

 カナダのフランス語圏の映画で、さすがにフランス人のエスプリを巧みに効かせた会話が洒落ていてなかなか面白い。元左翼の大学教授が末期癌になり、成功した息子に世話をされ、元愛人や友人が集まってわいわい騒いで、最後はヘロインで尊厳死するという内容。深刻な題材だが、ほとんど皮肉に満ちた会話で笑わせたりほろりとさせたりでなかなか良くできている。

 現代は「蛮族の侵入」で、実は、映画の中で、9.11のテロの光景が映し出され、これは「蛮族の侵入」だと解説される。この監督は、アメリカ帝国はローマ帝国のようにやがて蛮族の侵入をうけて滅ぶ運命にあるというのが信念らしく、この題名をつけたという。この映画の内容とは直接関係ない。

 主人公は1950年生まれで元左翼の大学教授。実存主義、マルクス主義にかぶれた知識人。何だ私と同じだ。つまり、だいたい私たちの世代と共通した精神構造ということだ。ただ、この主人公はかなりの女たらしで妻とは別居している。ここはまったく私と違う。日本の団塊世代の思想は、まだ家や親といったものからの解放意識が強かったが、西欧は自我やキリスト教的な倫理観からの解放の欲求が強く、それが性の解放に結びついた。そういう解放を味わったなれの果てのベビーブーマーの世代が、この映画にはたくさん登場している。それが何とも面白い。

 この映画の主人公は、最後まで死は恐いと言い続け、死ぬ意味を何とか探さなくてはとあせる。最後は家族と友人に囲まれて尊厳死というわけだが、ある意味で脳天気で幸せな終わり方である。この主人公はひっそりと死ぬなんて選択は絶対に選べないだろう。これは、たぶん脳天気に生きてきた左翼知識人の弱さである。こういう弱さをわれわれは何処かで共有している気がする。

 われわれが意気込んで語ってきた思想は終始死に向き合うリアリティとは無縁なものであった。生活者として齢を重ねいつのまにか老いていくような、そういう抗いがたい生の時間を内在させてもいなかった。結局、みんなで騒ぎながら死を感じないようにして死を受けいれるしかないのだ。まあ、そんなものかなと思う。私の周りにも末期癌の友人がいる。彼も元左翼だが、この映画の主人公よりはしっかりとしている。われわれに出来ることは、周りで少しは賑やかにしているということぐらいかも知れない。

        脳天気に生きてきたなあ春二月

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