鬼やらい2008/02/04 23:15

 雪が残っているせいかかなり冷えている。今日は家で採点。T君は京都で吉田神社の鬼やらいに行ったようだ。実は、吉田神社の鬼やらいに行きたかったのだが、節分前夜は、奈良での研究会で夜遅くなっていて行けなかった。

 この鬼やらいには四つ目の法相師が登場する。この法相師は四つ目とはいえほとんど鬼である。法相師の由来を知らなければ鬼が鬼を追い払うというように見えるだろう。追儺の儀礼は中国でも盛んに行われているが、中国で共通しているのは、追われる鬼はこの世に形あるものとして登場しないということである。鬼のような仮面をつけるのは払う側の神々や将軍である。

 平安時代の宮中での追儺の儀礼で、貴族達が法相師を弓で射ったという記述があり、この記述が、払う側の法相師が払われる側になった例としてよく取りざたされるのだが、ただ記述としてはこれしかないので、疑問視する向きもある。

 ただ、日本の地方の鬼やらい、例えば国東の修正鬼会では、払われる鬼がこの世に登場し、その鬼が村人に触れることで村人の無病息災となる。これは、村人の厄を鬼につけるとも考えられるが、この鬼は村の家々を回って祝福もする。つまり来訪神の役割である。鬼が来訪神のように家々を回って祝福するのは、なまはげやトシドンがある。この鬼最後にはお寺に戻って、院主に鬼鎮めの餅をくわえさせられお経で鎮められる。やはり払われる鬼なのである。

 中国では悪い鬼は基本的に目に見えないものであり、仮面で登場はしない。払う側の神々は仮面として登場するが、こちらは法相師のように恐い形相である。ただ、払う側の仮面をしまうときには払いの儀礼を徹底する場合がある。払う現場では、払う側と払われる側との区別が曖昧になるという観念がそこにはある。そこは日本と同じである。

 払われる鬼は日本に入って視覚化される。悪い鬼は目に見えないものという中国的原則は日本にはなかったようだ。その結果、払われる鬼は地方で来訪神や土地神と習合していった。奥三河の「花祭り」の鬼も、修正会などの鬼役が地方に流れていって鬼の仮面劇を伝えたのではないかと言われている。

 いずれにしろ日本の鬼にはどこか愛嬌がある。最近のなまはげは子供に説教するばかりでなく女風呂を覗くそうだし、人間的である。どうも日本人は鬼について善と悪との徹底した区別は望まないようだ。見えない鬼は恐いがこの世に姿形をあらわしてくれれば、そんなに恐くはないのである。むしろ人間的になってしまう。日本に仮面祭祀が多いのはそういう日本人の感性によるからだろうと私などは思っている。

 鬼教師という言い方もある。悪い場合と良い場合両方使う言い方である。私は、悪い場合も良い場合も両方あてはまらない。たぶん前世で鎮められているのだと思う。
  
           立春や氷解くるまで首すくめ

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