今年の抱負2008/01/07 11:31

 そろそろ仕事である。といってもなかなか身が入らないのは、みなさんと同じ。正月疲れである。昨年はたくさんの原稿を抱えて、それを何とか書き上げたので、今年は、じっくりと自分の研究の方に時間を割きたいと思う。ところが、自分のこととなるとなかなかエンジンがかからない。締め切りの期日が迫らないと原稿の書けない習性が身についてしまっているので、締め切りのない仕事のやり方を忘れてしまったようだ。

 自分の研究というのは、実は、限度を何処に設定するかがとても難しい。資料はあるが、その資料をまとめて本にするとしたとき、その資料の読み込みの精度や、その成果をどのレベルの普遍性へと設定するかで、準備に懸かる時間は何倍もの差が出る。高い水準を望めば、たぶん、私の生きている間に間に合うかどうかの仕事になる。

 何か、少しでも新しいことが出せればいいや、という態度なら、そんなに時間はかからない。が、少しは世の中に影響を与えたいという研究者なら誰もが持つ野心を満足させたいなら、あるいは、徹底して普遍性を追求したいという研究者の本能に忠実ならば、膨大な時間が必要になろう。

 私が研究者になったのはたまたまであって、なってからこういう職業悪くはないという程度のことでやっているところがあるから、大家の研究者を見ると凄いなと思うし自分にはとても真似が出来ないと思う。そういう中途半端な態度が私を大成させないのだが、たぶんこれは変わらないことだろう。

 だが、それなりに研究者の本能もあって、さすがに長くこういうことをやっていると、少しは何かを仕上げようよ、という気持ちになってくる。今年からは、そういう気持ちにもう少し時間を割いていこうと思っている。

 一つは「雲南学」の本を書こうという試みである。雲南文化研究もだいぶ蓄積が出てきて、私の論文数もそれにりにあるので、それをまとめようと思っている。が、問題は「普遍性」である。文化とは何か、そういう問題に私なりに明瞭に答えられなければ本は出せない。従ってそういう抽象度の高い問題をじっくり考える年になりそうだ。

 もう一つは和歌の論である。昨年、和歌の「抒情」についていろいろと書いてきた。その続きを書いてみようと思う。とりあえず「万葉」の抒情についてまとめて、それから近代に入り、正岡子規について書き始めたのが途中になっているからそれを続けて斎藤茂吉辺りから近現代短歌まで含めて書き進めて行こうという心づもりである。こっちのほうは評論的な作業なので気が楽なのであるが、問題はどう時間が作れるかだ。

 以上が今年の抱負であるが、抱負が持てる分だけ今年は余裕があるなあと自分でも感心する。つまり、今年は持ち越しの原稿がないということである。今のところ、依頼原稿も入ってこない。この調子で世間に忘れられない程度に暇を与えてくれたら、私の抱負はきっと形になるだろうと思う。それを楽しみにしたい。

       年あらたわが普遍何処にありや