薪をもらう2007/12/03 00:35

 林檎の樹のオーナーになっているが、今年はその樹から林檎が大小合わせて240個ほど取れた。味もなかなか良い。だいたいは関係者に送ったりして無くなってしまう。今日は、山小屋の帰りに坂戸のS夫妻の所に届けてとりあえず少し減らした。

この時期は、山小屋では奥さんがとても忙しい。まず先週には野沢菜を漬けた。今週は大根を漬けるとかいうことで、今日は大根を洗って干したままにして山小屋を出たが、また来週には山小屋に行かなくてはならない。

 昨日は、別荘地の人が敷地の樹木を伐採し、その樹を薪用にくれるというので、もらいに行ったが、ところが、敷地の中にかなりの量の伐採して短く切った丸太が転がって居て、まずは、それを道路際に運んで欲しいという。これが大変な労働であった。何しろ、一本がけっこう重いのだ。運動不足気味の私にとっては、良い運動にはなったが。お蔭で多少の薪の調達は出来た。筋肉痛がその代償である。

 今日は朝から原稿書きで、古代語の「語彙」の原稿ほぼ9枚ほどを書いた。だいたい半分というところだが、さすがに15枚は無理だ。昨日の肉体労働がなかったら、今日中に書けたのだが、そんなに急いても仕方がない。ただ、さすがに首が痛くなり頸椎症が出てきて気分が悪くなる。早々に切り上げて、夕方川越に出発。

 夜はDVDの「ホジュン」を借りてきて見ている。だいぶ終わりに近づいてきた。ホジュンも幾多の苦難を乗り越えて御医になり、めでたしめでたしといったところまで来たが、そう簡単にはめでたしとならないところが、チャングム以来分かってきた韓国ドラマの定番である。なにしろチャングムとホジュンは同じ監督である。

 秀吉による朝鮮侵略が始まり、みんな逃げまどう。そこでまたホジュンの苦難が始まる。この先どうなることやらだが、一応、だいたいの結末は分かっているので、安心している。というのも、ホジュンは、朝鮮の医学事典を完成させた歴史上の人物ということで、有名人らしいので、途中で死んだりはしないのである。
 
 ついでにもう一つの韓国ドラマ「朱蒙」だが、こっちは、どうやら来週、ホジュンと同じ役者が演じているクムア王が漢との戦で倒れて朱蒙も危ういらしい。むろん、こっちも、朱蒙は将来王になるはずだから、一応安心なのであるが。

       短日の入り日に向かい腕を組む

師走2007/12/05 00:00

 相変わらず会議が続く一日を終えて帰路につく。そろそろ年末の賞与が出る頃だが、毎日疲れ果てているので、感動がない。とにかく、風邪を引かないように過ごしてはいるが、この調子だといずれ年末にはダウンするだろう。

 インフルエンザが猛威を振るっているそうだ。とりあえず明日予防注射をする予定ではいるが、問題はウィルスに打ち勝つ体力だろう。なにしろ、何を食べてもコレステロール過多になる体質だから、あまり、カロリーのあるものを食べないので、体力は落ちっぱなしである。

 そろそろ、来年の準備でいろいろと慌ただしい。学会の方も来年の計画を立てているところで、私のところにもいろいろ依頼が来る。授業の準備や、時間割もそろそろ考えなくてはいけない。今年で退職なさる先生の後任も探さなくてはいけない。12月は、またいろいろと忙しいのである。

 じっくりと、いままでの研究を自分なりにまとめて一冊の本を書きたいのだが、なかなか難しい。特に、雲南省の民族文化についてはまとめなければならないと思っている。が、これがなかなかなそう簡単ではないのだ。私の取り得は、独りよがりになるくらいのぎりぎりのところで自分なりの論理を建てるところだと思っている。そういう論理がないところで本を書いても仕方がない。ありきたりの報告や紹介ではつまらない。

 まだ勉強不足だと言うことだ。忙しいが、まだまだ資料が足りないし、本も読まなくてはならない。むろん切りのない話だが、ここいら辺でいいやというところまでは、まだ行っていない。本を書くのは学科長を辞めないと無理かも知れない。この12月に選挙がある。再任の可能性もある。再任されない可能性もある。再任されないほうがいいのだが、どうなることか。いずれにしろ、来年は、もう少しゆっくり生きなければと思うのだが、来年のスケジュールを決めるこの12月の忙しさを考えると、それも無理そうだ。
  
師走走る足の腿の走るまま

何とかなった2007/12/07 01:00

 昨夜ようやく「ホジュン」を見終える。長かった、なにしろ64話ある。全部見たわけではないが、BSで途中からふと見始めてレンタルで借りるようになって、止められなくなった。チャングムより見やすかったのは、復讐譚といった暗さがないところだろう。貧しいもののための医術という理想だけを信じる主人公の純粋な生き方がテーマだから、見ていて安心なのだ。

 ホジュンをささえる人達、愛の力もあれば、足を引っぱったり、権力争いに走る醜さもあって、しかも波瀾万丈で、ジェットコースターのような人生はそれこそチャングムの男版といったところである。ホジュンを慕うイェジンという女性がなかなかいい。メロドラマとしてもなかなか良くできていた。

 ここんとこ、疲れ果てて帰ってきて「ホジュン」を見て、授業の準備、メール等の確認、余裕があればブログとで、夜も遅くなる。寝不足が続く。校正原稿が2本あり、書きかけの原稿もある。今週中に何とかしなくてはならない。「ホジュン」を何とか見終えてほっとしたところだ。

 今日は会議がいくつか続いた。来年のガイドブックの打ち合わせ、コースの会議、そして、入学前教育の会議である。特に、入学前教育の会議は、推薦で入った入学予定者の基礎教育を入学前に行うその前提として、入学予定者の学力をはかるテストをどうやるかという打ち合わせである。業者の担当者に来てもらって検討した。ようやくすすみそうである。成果が出ればいいのだが。

 夕方5時になったところで、助手さんが、先生!課外講座の講義があるのではと言ってくれた。ええっ、嘘だろう、先週やったばかりだ、と手帳を見たら確かに今日である。課外講座は一週おきに組んであるはずと思いこんでいた。が、先週と今週だけが二週続くので、それを忘れていたのである。言ってくれなければ、すっぽかすところであった。感謝!

 さて、問題は、準備をしていなかったことである。が、もう始まってしまう。慌てて教室に走る。こういうことは時々あるので、慣れてはいる。もともと、先週から遅れ気味だったので、今週は準備なしでも一応は何とかなった。柿本人麻呂の「近江荒都歌」を一時間かけてじっくりと講義した。じっくりとやったからみなさんけっこう喜んでくれた。これくらいじっくりとやった方がいいのだなと、こっちが勉強になった。

      ぎりぎりの人生もある冬の朝

忘年会2007/12/09 01:45

 今日はK氏の出版記念パーティが小石川後楽園内の建物で行われた。忘年会も兼ねていて80名ほどが集まった。実は、その本はある大学の全共闘の歴史をまとめたもので、その大学の元全共闘メンバーが一堂に会した。私はその大学出身ではないが、何人かは知っている。

 それにしても、皆歳を取った。私より上の世代が多かったせいか、平均年齢は60歳を越えていたろう。中には40年ぶりに再会したという人達もいた。40年というのも凄い。みな20歳前後の青春時代の体験だから、確かに、40年は経つのだ。

 末期癌で闘病中の友人も出席したいというので、友人達と相談し、車で送り迎えすることにした。私が運転手になり、彼の住む玉川上水から水道橋まで車で往復した。だから、私は一滴も酒を飲めなかったが、メタボに悩む昨今、丁度良かったというところだ。

 40年経っても、皆あの時代を昨日のことのように話す。たぶん、40年間繰り返し語ってきたのである。私たちにとって、輝かしい時代だったのか、それとも、暗澹たる時代だったのか、少なくとも、全共闘体験はマイナスにはなってはいない、それだけは言える。もっとも何がプラスでマイナスかはよくわからないが。今振り返れば、色々あって、面白い時代だったと思えるのは、現在、私が少しは余裕を持って生きていられるからだろう。

 みな孫がいる世代である。考えてみれば、爺さん達が、いまだ40年前の闘争の時代を懐かしみ、不抜けた現代の状況を憂いているのだ。挨拶をアジテーションでやった人もいた。この団塊世代は、なかなかすごいものがある。ある意味で壮観なパーティであった。

       忘年会昔のひとも現れぬ

めでたい言葉2007/12/10 00:07

 何とか古代語彙の原稿を書き上げる。「さく・さかゆ」が私のテーマである。とてもおめでたい言葉なのだが、これで15枚書くのはちょっときつかった。ただ、古代の語彙というのはけっこう面白くて、例えば「サク」は「裂く」「割く」と「咲く」と同義なのである。春、花のつぼみが裂けてそこから花が咲く。だから「裂く」「割く」と「咲く」は意味が重なる。

 一方、「咲く」は「散る」はかなさを伴う。古事記の神話で、ホノニニギノミコトはコノハナサクヤビメに求婚するが、父は姉妹のイワナガビメと一緒に奥さんにして欲しいと頼む。が、イワナガビメは醜女であったので帰してしまう。そこで、父は、あなたの命は永遠ではなく、花が咲くように栄えるがはかないものとなると言う。このように、「咲く」は美しいが「はかない」のである。

 「盛り」と言う言葉もあるが、これもやはり「盛り」と「過ぎる」がセットになることが多い。目出度いことばというのは、言祝ぐことばであって、抒情的な詩の言葉としてはつまらない。そこで、抒情の言葉としてははかなさの方で用いられるようになったのかも知れない。

 「栄ゆ」は、記紀歌謡では常葉の葉がつややかに茂っているさまとして表現されている。つまり、こっちははかなくはない言葉であるが、それでも万葉では挽歌の時に用いられるのまである。栄えていたのにどうして…というわけである。

 とにかく何とか書き終えた。実は締め切り一ヶ月遅れの原稿であるが、催促がこないので、たぶん私以外にもまだ書いていない人がけっこういるのではないかと思う。これでようやく今年の原稿はあと一本になった。これを書けばゆっくり正月を迎えられるというわけだ。さっそく、次の原稿をと思ったが、さすがに、今日は疲れ果ててしまった。

    裂くるまでこのつぼみ抱え冬籠

めでたいこと2007/12/12 00:56

 私の研究仲間で文科に非常勤で来てもらっているE君が、短大ではなく四大のほうの専任に決まった。めでたいことである。私もとても嬉しい限りである。最初ダメもとで応募してみたらとアドバイスをしたが、その後は、どうせだめだろうとあきらめていた。というのも、応募の条件である専門分野がややずれていたからだ。

 むしろ、他大学の募集でぴったりのがあり、そっちが決まるといいねと話をしていた。彼ももう40歳過ぎたし、子供も二人いる。そろそろ定職につかないと、と心配していたが、なんとそのダメもとのところが決まって了った。世の中わからないものである。

 でもそれなりに理由があるのであって、彼は、私と同じ中国少数民族の研究だが、中国語も出来るし、日本文学の博士号も持っている。民俗学もあるいは民族学も教えられる。そういう幅の広さが結局は決めてとなったようだ。募集は中世以降の韻文が主というものである。こういっちゃなんだが一番人気の無いところの募集である。それが幸いしたようだ。他の応募者はそれこそ、中世歌人のマニアックな研究者ばかりだったそうだ。

 余裕のある国文だったらそういう人でもいいが、余裕のない女子大ではとてもじゃないが無理だろう。幅広くどんな分野でも対応出来ないと、今教員はやっていけない。どうもそう考えて、やや専門はずれるが(でもE君は連歌をやると言ったそうだが)、いろんな分野をカバー出来るということで採用が決定したようだ。

 回り道をしていろんなことに手を出すことも、自分の幅をひろげていくことだと考えれば悪くはないのである。 

 古代語の原稿を送ったあと、落ち着いて読み直してみたら、重複の文章があり、手直しをしたくなった箇所も出てきた。校正でなおす手もあるが、そういう原稿を出す事自体が恥ずかしい。だから、訂正した原稿を明日訂正版として送ることにした。あまりに忙しく、締め切りを過ぎて余裕なく書くとこういうことも起こるのだ。締め切りは守った方が間違いは少ない。私の場合は。

      目出度きこと指折り数え足焙る

生物の違和感2007/12/13 23:10

 今日、教授会で学科長の選挙があり、私が再選された。任期はあと2年である。まあだいたい普通再任なので覚悟はしていた。奥さんには、あと2年やったら命はないよ、と言われたが、こればかりは仕方がない。自分の意志でどうこう出来る問題ではない。

 年末に入って、雑務が押し寄せてきて、原稿を書くどころの話ではない。授業のほうもいよいよ大詰めになってきて、まとめにかかってきたので力が入る。ただ、時間がないので、準備不足であることが悔しい。

 人事がここのところ動いていて、来年度の新任の教員が決まり始めている。E君もそうだが、私の学科でも、一人来ていただくことになった。ただ、本採用ではなく、嘱託教員であることが残念であるが、とりあえず5年は働いていただける。まだ決まったわけではないが、源氏物語の研究者をお一人候補者として決定した。業績もありとてもいい人なのでまず採用は間違いないと思う。

 私は演習の授業では、各自に、一定の書式に応じてワープロで打ったレポートを提出させ、それを印刷し、レポート集として冊子にしてみんなに配るという方法をとっている。こうすると、レポートの出来不出来はみんなにわかるから、手を抜けなくなる。そこで何人かは添削してくれと言ってくる。喜んで引き受ける。

 今日お昼に一人添削をした。とても優秀な学生だが、ただ、いろんなことを詰め込みすぎて混乱している。あれもこれもとつい書きたくなってしまうのだ。昔の私の論もそうだった。頭に浮かんだことを書くことにせいいっぱいで、読む側のことをあんまり考えないのだ。

 その学生は、「境」つまり境界がテーマで、生物が感じる違和感こそが境を生むという事を論じているのだが、その生物は動物をも含むとして最初から論じているので、私は、まず、違和感というのは人間が本来持つものであって、動物レベルまで広げて違和感というものがあると論じると、読み手は戸惑うだけだから、まず、人間という存在が感じ取る違和感が異界という幻想を持つのであって、だから境という幻想もそこに成立する、と論じ、そのうえで、実は、その違和感というのは、動物というレベルの生物にもあるものなのではないか、と、述べて論を締めくくればいい、とアドバイスをした。

 ところが、学生は、何故、違和感は人間だけのものなのかそれが分からないと答える。実は、昼休みの忙しい中での添削だったが、ここでの違和感というのは、異界とか神の世界という幻想に結びつくものなのだから、やはり人間がとらわれるものなのだ。人間は過去や未来の時間を持つ。そのような時間の幅の中で、過去や未来の自分を幻想する。だから、悲しみを何時までも引きずり、未来の自分を考える。死後の世界を考えるのもそういう時間の思考があるからだ。

 動物は基本的に現在しかない。だから違和感があっても、それは現在という時間のなかで処理されてしまう。神のような何かを感じることがあっても、それは現在の問題であって、その現在が過ぎればすぐに忘れてしまうというわけだ。

 だから、人間の違和感こそが、死後の世界や異界を、現在が過ぎても頭の中に幻想させるのだ。ということを説明したが、本人はわかったと言う。頭の良い学生だからきっとわかったと思う。ただ、動物だから、異界や神を幻想していないなんて断定するのは人間の側の勝手な思い込みかも知れない。たとえ現在だけであったにしろ、動物の感覚は、人間には推しはかれない世界を感じ取っているかもしれないし、それを人間にはわからない方法で表現しているのかもしれない。そう考えればこの学生の考えも間違っているとは言えない。だから君の言っていることはおかしいとは、言ってはいけないのだ。ただ、このやり方ではそれは人には伝わらないよ、としか言えないのである。もどかしいが、文章を書いて人に理解してもらうということは、いったん、人間の側の秩序に降りることなのである。
 おかげで昼を食べそこなった。

       竃猫異界に居るや神々し

春日若宮おん祭り2007/12/18 01:05

 土曜(15日)の朝早くたって奈良へ向かう。某研究会の会合が奈良であったからだが、ついでに、奈良春日大社の若宮おん祭を見学するためである。いつもの飛鳥の古代研究所の研究会とは違って、こっちは、どちらかというと、気楽である。

 土曜は、大宿所祭。大宿所は春日若宮おん祭に奉仕する大和士(やまとさむらい)達の詰め所で、まず準備の祭として、前日にここで、大和士の潔斎の儀礼が行われる。鳥と魚が奉納されているのが圧巻であった。これを懸け鳥という。

 この大宿所祭で、巫女による御湯立てが行われた。これは思いがけない発見であった。私は巫女の湯立ては初めて観る。花祭りも霜月祭も湯立ては男がやるもので、巫女の湯立てが行われているのは知らなかった。しかも、この巫女さんは、湯立てを伝える七家の内の一家で、他の家は絶えてしまったので、この湯立てを伝えているのはこの巫女さんの家だけだという。

 柳田国男は「巫女考」で、もともと湯立てを専門にする巫女集団がいて、各地の神社で湯立てを行っていたが、やがて定住して、巫女の家筋として残っていったというようなことを書いている。この巫女さんはまさにその通りである。こ巫女さんはかつて湯立てを専門にしていた流れ歩いていた巫女の集団の名残であろう。巫女の湯立てを目の前で見て、私は、もうこれだけ見れば他をみなくてもいいと言うくらいに満足してしまった。

 日曜は大学院生の発表があったが、なかなか面白かった。ユダヤ教の食事の研究をしている大学院生がいて、これが実に面白い。ユダヤ教では、食事は、食べるもの、その調理法、食料となる動物の殺し方まで、かなり厳格な掟があって、日常の食事自体が儀礼そのものになっているのだという。この不便さは、実は、ユダヤ人を他の民族から区別し、聖なる民族とするための方法でもあったという。日本では、祭の神役に選ばれた人が物忌みの期間、食事や日常の行為そのものに厳格な掟を課す場合がある。ユダヤ教は、それを民族のレベルでみんなでやっているというわけである。大変な宗教である。

 17日午前零時は、若宮の神が、若宮から行宮へとお渡りの儀礼(遷幸祭)である。深夜真っ暗ななか、全ての灯りを消すように見物人に申し伝えられる。その真っ暗な参道を、二本の松明を先頭に、若宮を運ぶ一団がオーオーという声をだしながら過ぎていく。神の登場を これほど神秘的に演出する祭は初めて見た。なかなかすごかった。

 行宮に渡って、神楽が始まったが、沢山の人で見る事ができず、夜中の二時に宿屋に帰った。次の日の朝(月曜)、宿を出て、東京に向かう。学校へは1時ころ到着。授業の準備をして、5限の授業に臨む。夜は、専任に決まったEくんの祝いをかねて忘年会。次の日は、朝から会議なので、私は神保町のホテルへ。ふうーっ。

       暗闇で神も息つく年の暮れ

家の他殺2007/12/20 23:35

  昨夜は近くのホテルに。とにかく、今日は朝1限の授業があり、そして5限の授業まで4コマある。その間に会議と、今年一番の忙しさである。それで家には一日帰ったばかりで、またホテルに。ホテルの良さは、暖房が効いて暖かいということと、とにかく通勤がないということだけで、そんなにくつろげるわけではない。くつろげるほどの好いホテルなんかに泊まっていないから。問題は食事で、コレステロール取りすぎの私としては、外食は天敵なのである。ここ数日、私のコレステロールは確実に高くなったことだろう。

 朝の1限目は、教養講座の企画物で、「家族」がテーマ。私は2回分だけを担当すればよい。さすがに朝1限の授業は出席者は少ない。柳田国男の紹介をしながら、柳田の家族観を語る。柳田は、「家の永続」を重視する。先祖を祭らず子孫を残さないものを「家の自殺」とかもっと厳しく「家の他殺」とまで言う。

 柳田にとって家とは、現在の家を構成する家族を意味するのではないのである。先祖や、子孫を含めて家なのである。それを「縦の団結」と呼んでいる。柳田は、この家の「縦の団結」が崩壊始めていることを、明治43年の「時代ト農政」の中で論じている。田舎から地方へと人が流れ、家の他殺が増えていることを危惧しているのである。

 この柳田の考え方は、家族の理想化であるとか、家族と国家をつなげたものであるとかとかく保守的な思想として批判されるのだが、別な見方があってもいいだろう。先祖や子孫も含めてコミュティとしての家という概念は、ある意味では、われわれが過去や未来という長いスパンを生きているということを前提に成り立つ。つまり、現在だけを生きているわけではないということを、ある意味で形にした関係であると言える。

 子孫も含めて家族と言うことは、子孫につまり将来に責任を持つということであり、先祖を祭ることは、過去に責任を持つということである。そう考えたとき、それはとてもまっとうな思想だろう。例えば現在の環境問題は、子孫という未来を考えずに現在の繁栄を謳歌した結果でもある。死んだ者を大事にしない心のあり方は、それこそ空虚で孤独な人間を作る。

 そういった思想を個人の意志的な思想の問題として構築できないことはすでに明らかになっている。だとしたら、個人ではない人間の存在の仕方、例えば家族あるいは家という関係の存在の仕方、それはある意味では個の対極にあるものだが、そこにも何らかの可能性はあるのでは、と思うこともありなのではないか。

 柳田の言う「家」は、過去や未来を含みこんだ存在の仕方そのものである。それを個というレベルで構築出来なかったから、現代社会の様々な問題は起こっているのである。だとしたら、「家」を新しい関係のあり方として見ることもありである。むろん、それは古い家の復活ではもちろんない。

 私は、柳田の言い方で言えば、家を殺してしまった罪人である。子供と呼べるのは犬のチビだけだから。こういう私でも、未来を含みこんだ関係の中を生きられるのか、それを考えること、それが柳田の言う「家」の現代的なテーマだということだ。

      着ぶくれて過去や未来がひしひしと

障子をはる2007/12/22 00:50

 やっと今年の授業が終わった。これで冬休みである。冬休みといっても、原稿が残っているので休むというわけにはいかないが。

 今日は月曜の振り替えで、「自己開発トレーニング」の授業。専門外なので四苦八苦している。今日は、「みんなでアドバイス」という授業。4人ほどのグループに分けて、それぞれ、一人が相談者になって他のメンバーに相談を受ける。他のメンバーはその相談に適切なアドバイスをする。相談した当人はその記録を、「みんなでアドバイス」という用紙に書き入れる。次に別のメンバーが他のメンバーに相談を受けアドバイスをもらう。そうやって全員が相談を受ける側とアドバイスをする側になり、全員が「みんなでアドバイス」用紙に記入するというわけだ。

 これは私のアイデアだが成功はしなかった。理由は、心理学の授業だから、それらしい相談をすること、自分の事でなくてもいいよ、それらしい相談事を作ってもいいよ、でもアドバイスは真剣にね、と言ったのだが、どうもこの真剣さが足りなかった。やっぱり、きゃあきゃあ騒いだり雑談が主になってしまって真剣になる雰囲気にはならなかった。反省である。

 午前中は、障子の張り替えをした。まず古くなった障子を破いて綺麗に剥がす作業からである。私は午後は仕事なので、とりあえずはこの障子紙をはがすのを手伝った。帰ったら、障子紙は綺麗に貼られている。なんとなくすっきりである。最近の障子は、障子紙にすでに糊がついていて、アイロンで熱すると糊が溶けて障子紙が桟にに貼り付くという仕組みになっている。糊を溶かして刷毛で塗るなんて作業はないのである。そういう小さな進歩が面白い。

 我が家も年越しの準備である。 

              新しき障子とともに年の暮れ