自己実現2007/11/21 01:32

 さすがに冬めいてきて、行き帰りの特に家から駅までの道のりが寒くなった。まだコートは着ていないが、そろそろコートを着るようだ。

 管理職をやっているといろんなストレスがあるが、でも一番のストレスは授業が上手くいかなかったときである。手を抜いているわけではないが、用意周到に準備して、学生を乗せて、90分飽きさせなくて、しかも、できれば感動くらいさせて終わりたいというのが理想だ。理想が高いせいか、うまくいかないとかなりストレスになる。

 この教えるという職業を、塾講師、予備校講師、そしてあちこちの大学の非常勤と、そして今の職場ともう20年もやっている。20年やっているが、自分が優れた教師だとは一度も思ったことはない。そんなに話がうまいわけじゃないし、授業で歌が歌えるわけでも冗談や洒落が出るわけでもない。学生を楽しませる技術はそんなにない。あるとすれば、労を惜しまないということくらいだが、限界というものがあって、いつも十全な準備ができるわけでもない。

 それでも何とか教員をやっていられるのは、何人かは真剣に私の話を聞いていてくれているという自信があるからである。ほんとうは全員に真剣に聞いて欲しいが、それは超有名人か神様か詐欺師にならなければ無理だ。それから、俺の話を聞かないと君たちは損だぞ、というくらいの気迫はまだある。これがなくなったらおしまいだろうなと思う。

 月曜の「自己開発トレーニング」の授業で、「自己実現度」を数値でだす心理テストのようなものをやってもらったが、その時、自己実現度とは、あるべき自分とそこに到達していない自分(今の自分)との距離を埋めようとする努力の度合いのことで、この距離が大きくてしかもその距離を埋める努力に明るく積極的であれば、自己実現度は高いのだと説明した。

 今の私の自己実現度にとって大きな要素は、いい論文を書くことより、授業を上手くやることである。別に私は教育者であると言いたいわけではない。それが出来なかったときのストレス値が一番高くなるのが授業だからだ。つまりなんだかんだ言っても授業がやはり私の本業なのだ、ということである。この本業を外して余技でいくら評価されても私は明るく積極的に生きられないということだ。

 それなのに、授業がなかなかうまくいかないことが多いので私の疲れやストレスは貯まるのである。こういうストレスはたぶん誰でも同じように持っているだろう。長生きするつもりはないが、せめて明るく生きたいとは思う。そのためには本業を大事にしないとと思うが、なかなか思うようにはいかない。学生のではなく、私自身の自己開発トレーニングが必要なようだ。

        冬めくやことばなくて木の葉さやぐ